心より是非ともオススメしたいNetflixドラマ・シリーズ「阿修羅のごとく」~古臭い女の価値観をひっくり返し、むしろ男を操る強さに驚き~
匂い立つ人間の表と裏のせめぎ合いのおかしさよ、ホームドラマに仕込まれた喜怒哀楽に浮かび上がる人間賛歌。向田邦子の昭和の世界を令和の今、見事に精緻に蘇らせ、ひやひやハラハラしながら回を追う醍醐味がここにある。もともとは1979年のNHKの土曜ドラマ枠のための書き下ろし脚本を基に、名匠・是枝裕和監督が脚色した約1時間×7回のシリーズ作品。連続ドラマ枠の特性を生かしたものですが、配信ってのは便利で私のように一気見も出来てしまうのも素晴らしい。
根幹は「昭和」であり、当然に向田の描く昭和の社会通念と令和の今とのギャップを対比させ比喩し笑いのネタにもし、一周廻ってそのギャップの無さに気付かされる面白さ。家族に拘り続けた是枝裕和にとって、ひょっとしたら最高傑作かもしれませんね。テンポは驚くほどに早く、あれよあれよでコトが進み、それをまるでアドリブかと思わせる生きたセリフの洪水が取り囲む。キーアイテムは、着物であり、固定電話であり、真っ赤な色で、ほぼ全編にこれらが散りばめられ、本質を形成してゆく。
大田区池上の住所に門構えと庭を有する日本家屋が実家ってことは、当時としてもリッチな部類で、サザエさんの家庭とか、小津安二郎の諸作の舞台に近い。この家の4姉妹が主役で、谷崎潤一郎の「細雪」を下世話にしたような雰囲気でしょうか。4人そろってそれぞれに男問題を抱え、右往左往。その要に4人の年老いた両親がメタファーとして土台に据える。第7話のラストに男の口からの溜息「女ってのは阿修羅だねぇ~」ってセリフに対し、4姉妹揃って「馬っ鹿じゃないの」と男の単細胞を揶揄して締めくくる。女の裏を阿修羅とするなら、表は菩薩であり、表裏一体の多面体を描くコメディでしょう。
当然に役者が命であり、この4姉妹を歳の順に、宮沢りえ、尾野真千子、蒼井優、広瀬すずの超豪華配役で命を吹き込む。これが実に見事で天晴れ、逆によくぞ集めたりと感心するばかり。宮沢と尾野はもはや超ベテランの立て板に水の大御所で心配無用、結婚し暫く映像から離れていた蒼井も以前の魔性の女っぷりが隠しようもなく匂い立つ、最も若手の広瀬がいつのまにか女の色香に溢れているのには驚いた、演技もアイドルっぽさを完全に払拭し見事な女優魂を見せつけて本当に安心しました。
この4姉妹の両親が國村隼と松坂慶子の豪華版、尤も父親役には小津の世界の佐分利信並みの二枚目でなけりゃ、あんな4美人姉妹は無理でしょ。そして4姉妹に翻弄される男どもにこれまた歳の順に、内野聖陽、本木雅弘、松田龍平、藤原季節の布陣。宮沢の大輪の花のような色気ただ洩れを誘う内野の間男ぶりのセクシーさ、男の立場代表として常識を振りかざす小男に相応しい本木のチマチマぶり、堅物女に似つかわしい堅物男の松田のひょうきんぶり、破滅型男の虚勢を藤原が体を張って、皆さん見事です。
さらに、内野の正妻としての夏川結衣の発狂寸前、日陰で切ない戸田菜穂、秘書として誤解されかねない瀧内公美の色香、派手な嫁に苛立つ小言の多い高畑淳子と、豪華すぎる脇役も凄い。そしてなにより1979年の背景構築に相当の努力の跡に感無量。ほぼ50年前近く前ですよ、セブンスターとマイルドセブンの違い、缶コーヒーのプルタブがしっかり離れる仕様、冷蔵庫も電子レンジも緑色、ステレオセットの鎮座する居間、商店街の佇まい、などなどの再現度に目を見張る。とどめは上品な山の手言葉でしょう。
「男に愚痴を言ったら負けよ」と、男の身勝手を内包する女性の意識が最大のポイントですが、阿修羅のような女達の策略をこうも盛大に描かれると、ほとんどお釈迦様の手のひらで踊らされる孫悟空のような男どもが哀れにさえ見えてきたら、是枝監督の勝利でしょう。めそめそ悩まずスパっと行動する女達を表現するためにテキパキと進む。長女は常に、次女は時々、母に至ってはそれしかないのが着物で、母の形見分けも着物。割烹着なんてサザエさんの母親ふねくらいしか見ませんものね。一家に一台だけの固定電話がシチュエーション・コメディを否応なしに作りだす。女から阿修羅が発露するさいに飛び出す赤色、ワインであり、口紅であり、襦袢であったり、効果的に画面から主張する。
各話の冒頭のタイトルバック、4人がそれぞれ順に癇癪を押しつぶしたような我慢のバストショット、続いて2回目には遂にすべてをぶちかました発露のアクションが描かれます。要するに前半が菩薩と言うかお釈迦様で、裏が見えるのが阿修羅の状態。実に見応え十分です。