帝王学の教科書、「貞観政要」からリーダーシップを学ぶ
今回は名君と評された中国は唐の時代、第2代皇帝の太宗と家臣たちの政治問答集である「貞観政要」についてお伝えしたいと思います。貞観政要はタイトルにあるように「帝王学の教科書」と呼ばれている中国古典のひとつです。
「貞観の治」というのは学生の頃に歴史の時間に聞いたことがあるかもしれません。また昨今では、ライフネット生命創業者の出口治明さんが貞観政要に関する著作を出版されていたので、どこかで目にされている方も多いのではないかと思います。
■帝王学とは
帝王学と聞くと、雲の上の限られた人だけが学ぶ特別な学問のような印象を受けますが、要するにリーダーシップ論です。より厳密に言うと、後述する
「創業と守成」における守成の時代、安定した世の中を守り抜くためのトップの心構えと解釈されています。
もちろん、立場に相応しい人が学ぶものであることも事実で、日本では鎌倉時代に権勢をふるっていた北条政子が政治の教科書として学び、江戸時代では徳川家康、明治天皇も帝王学のひとつとして学ばれたと言われています。
中国の長い歴史の中でも最も安定し、充実していた王朝が唐王朝と言われていて、貞観は太宗が治世をしていた期間の年号で、政要とは「政治の要諦」という意味で、後世、貞観政要と呼ばれるようになったそうです。
※貞観政要の解説はwikipediaもご参照ください。
■貞観政要の概要
貞観政要のアウトラインは次のようなものです。
とてもシンプルにまとめてしまいましたが、リーダーとして驕ることなく、
私欲に打ち勝ち、広く部下の意見を聴き、責任感を持って組織を運営するという姿勢を学ぶことができると思います。
今でも読み返すことが多いのですが、読むたびに背筋が伸びるような気がします。
■創業と守成
先ずは貞観政要で有名な「創業か守成か」の問答について触れてみましょう。(創業とは諸国との戦争を勝ち抜き、天下を取ることであり、守成は天下を取った後の世の平定を図ることです。)
太宗が「帝王の事業のなかで、創業と守成のいずれが困難だろうか」と側近の房玄齢と魏徴に尋ねます。
房玄齢は先代の父が天下を取る以前からの側近ですので、その苦労から創業の方が難しいと言い、魏徴は天下を取った後、敵国出身でありながら側近になり、現在進行形で苦心しているため、守成の方が難しいと言います。
二人の意見を聞いたのち、太宗は二人の意見はもっともなことであり、天下を取った今は創業の困難は過去のものであるから、今後は側近の皆と心を合わせて守成の困難を乗り越えたいと述べたそうです。
どちらがより難しいかはなかなか答えようがありません。創業には創業の苦しさがあり、守成には守成の難しさがあるからです。
創業には時として運の要素も多分に含まれていますので、再現性がない場合がありますが、守成の世を治めるための心得は学ぶことができるので、後世に生きる私たちはその心得を学び、活かすことができると思います。
貞観政要を学ぶことはすなわちこの心得を学ぶという点に尽きるのです。
■リーダーとしての心構え
貞観政要には太宗のリーダーとしての強い決意でもある訓話や問答が多数残されています。代表的なものを現代語訳にして一部ご紹介します。
厳しくとも、高い目線で、ぜひ見習いたい考えです。太宗も自分を律することに自信がなかったからこそ、側近の諫言にも積極的に耳を傾けようとしていた訳です。
ただ、解釈について注意点があるような気がします。
部下の意見に耳を傾けることは良いことだと思いますが、リーダーというのは時に周囲の反対を押し切っても判断することが必要な時があります。特に保守的な組織から上がってくる意見に惑わされてしまうことがないように熟考が必要です。
また、組織を守るために優しすぎるリーダーであってもいけないという点です。寛容で理解があることは素晴らしいことですが、組織の構成員がそのために甘えの気持ちを持ったり、怠慢にならないように締める時は締めることが必要です。
もちろん、太宗はそんな底が浅いリーダーではありませんので、貞観政要を手に取って全体を読み、バランス感覚を察して頂きたいと思います。
■トップと部下との間の緊張感
「安きに居りて危うきを思う」絶えず緊張感を持てという。国が安泰な時こそ心を引き締めて政治にあたらないといけないという左伝から引用した太宗に対する側近である魏徴の言葉です。
国が危機に追い込まれた時は優れた人材を登用し、その意見に耳を傾けるが、国の基盤が固まり、安定すると必ず心にゆるみが生じ、人の意見も聞かなくなることを厳しく戒めているのです。
現代でも「勝って兜の緒を締めよ」、「順境の時に慢心するな」という戒めの言葉がよく使われますが、好事魔多しです。いつの時代においても安定している時にこそ気を引き締めることは大事なことです。
スタートアップ企業がVCから資金調達して、短期間でIPOを果たした後にあっという間に消えていくような事例や業界の老舗企業が何かの拍子にあっという間に没落し、破綻するような事例などを私はよく思い浮かべます。
また、こうした厳しい意見を部下から言われても、素直に受け止めるトップの器量の大きさに感嘆します。
トップにも逆鱗というものがありますから、部下も言い方やタイミングなどには十分に配慮して意見は述べないといけないと思いますが、やはりトップの器量次第だと思います。
■率先垂範
「君主たる者は何よりもまず人民の生活安定を心がけなければならない。人民を搾取して贅沢な生活に耽るのは、あたかも自分の足の肉を切り取って食らうようなものだ。」
「天下の安泰を願うのであれば、まず自らの姿勢を正す必要がある。いまだかつて、体がまっすぐに立っているのに影が曲がって映り、君主が立派な政治を取っているのに人民がでたらめであったという話は聞いたことがない」
太宗の言葉ですが、トップが指導力を発揮し、十分な説得力を持つにはまず自らの身を正さなければならないということです。
論語にも「その身正しければ、令せずして行われる。その身正しからざれば、令すといえども従わず」とあります。
昨今は、理念経営だ、パーパス経営だと高い理念に基づいたマネジメント論が人気を博していますが、それを掲げるトップ自身がその理念に反した言動を日常的に取っていたら何の説得力もありません。
会社のホームページや社長室に額に入れて飾っているだけの言葉遊びなのに、部下にはそれを強要し、自分は全く改めるつもりがなく、外部の人前だけではカッコいいことを言ってるだけの経営者ならみっともないです。
また、売上利益を上げることは社員の生活を守ることがその目的のひとつになっているはずですが、社員がどんなに努力し、成果を上げても報いることはせず、非開示をよいことに自分の役員報酬だけは高額に設定したり、経費は使いたい放題で、社員の搾取が経営者の特権と考えている卑しい経営者も現実に多いです。
■兼聴
あまり耳慣れない言葉ですが、兼聴というのは「荀子」に出てくる「兼聴斉明なれば、則ち天下これに帰せん」という言葉が出典で、多くの人の率直な意見に耳を傾けるという意味です。
これに対して、偏信という言葉があり、一人の言うこと、一方の言い分だけを取り上げて、一つの情報だけを頼りに判断してしまうことです。
「君の明らかなる所以は、兼聴すればなり。其の暗き所以は、偏信すればなり」(優れたリーダーは多くの意見を聞いて冷静かつ適切な判断をするが、愚かなリーダーは一部の意見を信じて、愚かな判断をしてしまう)
この兼聴の話をする際には必ずイエスマンの存在が登場します。
子飼いのイエスマンはトップに悪い情報は伝えません。理由は、自分の無能さを隠したいからです。逆に、自分の手柄に繋がりそうなことはどんなに小さなことでも曲解し、過大に報告します。
正しい情報を与えず、自分に取っての利益を最大化させることがイエスマンの目的ですから、このような部下の言葉を信じて、誤った判断をしてしまうのは暗愚と言われても仕方ないと思います。
多くの人の意見を聞いて、冷静、客観的に受け止めて判断することは大事なことです。ただ、意見ばかり聞いて何も判断しない「検討史」にならないよう気を付けないといけないです。
また、優れたリーダーは自分に絶対の自信を持ち、他人の意見やアドバイスに耳を傾けることなく独断専行で物事を決めていくものだと考える人もいますが、誤ったリーダー観だと言わざるを得ません。
■自制心
リーダーは強大な権力を持っています。ともすれば何もかも好きなようにできる立場にあります。けれどもリーダーが私利私欲に走れば破滅することを知っていた太宗は自重することを決して忘れることはありませんでした。
太宗が指針としていたのは天の意思と人民の意向です。リーダーが謙虚さを忘れ、不遜な態度を取り、人の道を踏み外すようなことがないように心がけていたのです。修己治人と言いますが、徳を積み、世の中を正しく治めていくことがあるべき姿と信じて疑わなかったのです。
現代でも「お天道様が見ている」と思い、弱い心に鞭打つ人も多いかもしれません。私もそう考える一人です。
誰も自分を責めることがない状況で、踏みとどまったり、考え直すことは
この自制の心しかありません。
時代背景もあるかもしれませんが、天という宇宙法則を古代では特に尊重していましたから太宗が天の意思に沿っているのかどうか逡巡する気持ちもよくわかりますし、現代でもそう考えるのも不思議ではありませんが、皇帝という地位にあってこの自制心を持っていた太宗には頭が下がります。
■引き際の美学
本稿、最後のテーマです。
太宗は立派な皇帝ではあったものの、貞観が安定期に入り、気の緩みが生じてきていると感じた側近の魏徴が太宗に厳しい意見を述べます。
「書経」を引用してこう言いました。「知ることが難しいのではなく、行うことが難しいのです。行うことが難しいのではなく、それを終えることが難しいのです。」
そして、太宗が改めるべきことを十ヶ条にして以下のように言いました。
・名馬や財産の収集(高価で華美なものを欲しがるな)
・人々への過剰な労役(人民をもっと大切にしろ)
・宮殿離宮の造営(無駄な費用をかけて贅沢するな)
・小人と慣れ親しみ、人財を敬して遠ざける
(下らない人間ばかりと付き合い、本当に必要な人間を遠ざける愚かさ)
・商工業の振興ばかりを重視して農業を軽視
(街の発展ばかりでなく、産業の根幹を大事にしろ)
・誤った人材登用(人を見る目がない)
・狩猟への没頭
(趣味に入れ込み過ぎて、怪我をしたり死んだらどうするのだ)
・仕える者たちへの礼節の欠如(尊大で不遜な態度が見える)
・驕慢、欲望、享楽の拡大(驕りや私利私欲と距離を置きなさい)
・天災への対策無防備(万が一に常に備えなさい)
上司を相手によくもここまで言えたものだなと感心してしまいますが、この意見に対して太宗の言葉がまた立派です。
「今、あなたから自分の欠点を聞いたので、必ず改めてみる。そして、願わくば有終の美を成し遂げたい。」
正確に言うと、魏徴もこれらを対面で伝えたのではなく、上申書として提出しました。
魏徴ももちろん立場をわきまえた忠臣ですから、この上申書の最後にこう記しています。
「慎んでお願い申し上げますのは、私の間違いだらけの提言を採用され、他の意見も参考にされたうえで、千に一つの正しいことがあるかもしれないと思われ、ご自身の政治に少しでも役立つとお考え下さいますならば、今お怒りに触れて死ぬ日が私自身の生まれた年であると考え、死刑に処されても満足でございます。」
上申書を読み終えた太宗は魏徴を呼び、
「トップの意志に従うのは容易なことだが、トップの感情に逆らって諫めることは極めて困難なことだ。あなたは私の目や耳となり、手足となって
いつも思慮深いアドバイスをしてくれる。ありがとう。」
と述べ、前述の有終の美を成し遂げたいとの決心を伝え、魏徴に褒美を与えたそうです。
そして、「上申書に書いてあることは屏風にし、朝晩必ず仰ぎ見て心に焼き付けるようにする。さらに、史官に記録させて1000年後の人々に私たちの間にあった「義」について知ってもらおう」と添えました。
私は、この有終の美の話が貞観政要のなかで一番ジーンとする話なのですが
上司と部下の強い信頼関係の手本だと思っています。
魏徴も立派ですが、太宗はさらに立派です。歴史考察の世界では、太宗も晩年は暗君だったとさまざまな意見が実はありますが、太宗は高潔な人物だったと信じたいです。
魏徴の有名な言葉を最後に紹介して締めくくりたいと思います。
「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん」
(人間は時に相手の心意気に感激して、金や成功といったことに関係なく仕事をするものだ。 だれでも人生に一度や二度は相手の気持ちに強く心を動かされて自分の利害を無視して仕事をしたり、人の手助けをしたりするものではないだろうか。)
貞観政要、ぜひお手に取って読んでみてください。たくさんの学びがあるはずです。
今回は長文になりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。