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史記 自分の価値を認めてくれる者のために命を投げ出す
士為知己者死、女為説己者容-『史記』
士は己を知る者の為に死し、女は己を説ぶ者の為に容づくる
「男は自分の価値を認めてくれる者のために命を投げ出し、
女は自分を愛してくれる者のために容色を整える。」
晋の国の人、予譲は主君に恵まれず何度か仕える主君を替えてきて、最後に仕えた主君も政敵に殺されてしまいます。
予譲は主君の仇を討つために政敵を執念深くつけ狙いますが、結局は捕らわれてしまいます。
命を狙われていた相手は予譲に聞きました。
「お前はこれまで仕える主君を何度となく替えてきて、それまでの主君たちの恨みは晴らそうとはせず、なぜあんなつまらない人間のためには仇を討とうとするのか」
予譲は答えました。
「先に仕えた主君たちは並みの扱いで自分を遇した。だから自分も並みの報い方をした。だが、最後に仕えた主君は、つまらない人間だったかもしれないが、自分を国士として扱ってくれた。だから自分も国士として主君に報いているのだ」
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他人から認めてもらうために必死に努力をし、成果を出しても認めてもらえないことも世の中には残念ながらあります。
待遇は良いのに期待を裏切る人も多くいます。
そして、自己評価ばかり高く、大した成果も出していないのに待遇に不満を抱き、モチベーションが上がらないとこぼす人も多いです。
好待遇を先に与えれば期待通りに成果を出してくれるということでも決してありません。
だから人の処遇というものはいつの時代も難しいことです。
では、予譲の言葉をどう受け止めたらよいのでしょうか。
自分には才能がある
その価値を理解しない無能な上司のためには才能を使いたくない
承認欲求を満たしてくれるのであれば、それに応じて才能を発揮する
単純にギブ&テイクの関係で読むのか、
主君のために命を投げ出すほどの覚悟を持って仕えているのに
自分のその覚悟に気づいてくれない器の小さい人間に呆れている
高い忠誠心がありながらそれを持て余す嘆きと読むのか、
または、その両方の意味を含んでいるのか。
もしくは、待遇といった打算ではなく、男気という精神的な側面なのかなとも受け止められます。
女性が自分を大事にしてくれる相手に対して、いつまでも美しくあろうと努力するのは打算ではなく、愛情から来るものだと思うと、男気に近いのかもしれません。
(手抜きをしたら捨てられてしまうかもという恐れに近い気持ちもあるのかなとも思えますが。)
いずれにしても人の心を理解するのは難しいです。
他人のために命を投げ出すというのは相当な思いがなければできないことです。
映画や漫画の世界では大事な人のために命を犠牲にするような場面がよくありますが、家族を守るためならいざ知らず、仕事を通じて人はそこまで本当にできるのだろうかと考えてしまいます。
日本だと赤穂浪士を思い浮かべます。
時代が違い過ぎる点もありますが、人は情で動く側面があるのは事実だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございます。