小説|メルクリウスのデジタル庁の年末 第19話 冥王星
テラの居住区の情報館からの問い合わせがほんの少し落ち着いてきた。私は再度申請済みの魂のフォルダーの処理に戻った。フォルダーを整え、中の映像や音声、文章ファイルをチェックし、祈りをささげてフォルダーを強化する。いつもの作業ではあるが、特に忙しかった今日という日においては、いつもの作業が単調に思えてしまう。これではいけない、と自分を奮い立たせた。
生命の記録を扱っている限り、その個人情報の管理には気を配らねばならない。今日もフォルダーの次元の調整やバイブレーションの調整でうまくいかなかったことは沢山ある。
あと数時間で、シフトの交代だ。テラの地上ではアカエアやムンド・コンティネントゥムが深夜を迎えた後は、アメリカ大陸が夜を迎える。今日のような満月の日には、やはり大勢の人々がテラの居住区の情報館に足を運ぶことは容易に想像できた。
そんな矢先、ケビンさんが声をかけてきた。
「千佳、その作業が終わったら、こちらのグループソウルのフォルダーの処理を手伝ってくれるだろうか?プルートでの転生が多いので、ラーさんにエスカレーションしなければならない案件もあるだろうが・・・プルート・チームにも応援を頼んでいるので、協力してやろう。」
「やります!」
私は即座に返事をした。懐かしいプルート。私自身、家族の承諾を経て何度か転生した惑星。芸術と音楽にあふれる優しい惑星だった。ギャラクシーを超えて転生してくる人も多く、他の惑星よりも多様性にあふれた惑星だった。
一瞬思い出に浸ったのもつかの間、私は自分のバッチの中のフォルダーに右手をかざしてフォルダーの調整を始めた。割り振られたフォルダーは、やはりプルートの6次元のバイブレーションとテラの3次元のバイブレーションが入り乱れている。プルートでの記憶を頼りに、テラで芸術的な成功を収める人は多いが、このグループソウルもまた芸術的な活動を行うか、それを支援してきた人たちの魂がほとんどだ。
ほどなくして、サラさんからテレパシーが入った。
「千佳、今やっている作業で、プルート・チームが手を借りたいそうです。マイアと連携してもらえる?3次元のバイブレーションの強いフォルダーで調整が難しいものを頼まれています。」
プルート・チームとの連携は願ったりかなったりだ。私は喜んで承知し、自分のタブレットを抱えてプルート・チームの島へ向かった。
マイアさんを筆頭としたプルート・チームは、穏やかで常に落ち着いた性格の人が多い。マイアさんはその典型で、どんな緊急事態でも落ち着いて物事に対処できる肝の座った女性だ。メンバーにはやはり惑星間の転生回数が多いカウリさんがいて、プルート関連での問題が起きるとよく相談に乗ってくれる。もくもくと仕事に精を出す人が多いこのチームのデスク周りは、落ち着いたえんじ色でまとめられている。
プルートの人々もヒューマノイドではない。身体は光り輝くプラズマに似ている。テラでいうところのオーロラの様だ。刻一刻と形の変化するその身体からは、淡く光る様々な色が放射されている。
「マイアさん、ヘルプに来ました。」
「早速ありがとう。ほんの数件なんだけれど、なかなか6次元まで上昇してこないフォルダーがあるので、そちらをお願いできるかしら?バッチを今割り振りますね。プルートの6次元の鍵は以前扱ったことがあるわよね。時間が許す限り、最後の祈りの所までやってもらえると助かるわ。」
「承知しました」
バッチを開くと、3次元のフォルダーが6つ並んでいた。最初のフォルダーに右手をかざして、フォルダーの強度を確かめる。大体整ってはいるが、作業をするにはまだ少しフォルダーが脆いようだ。私はオニキスを握りしめてフォルダーを整え始めた。
中の音声や映像、文章ファイルは問題がない。次は鍵が必要な隠しファイルを洗い出す。3件が該当した。
プルートの6次元の鍵はカラビ・ヤウ多様体とフラワー・オブ・ライフが使用されている。次元があがると立体的な鍵が増えてくるが、この鍵もまた立体的で美しい鍵だ。カラビ・ヤウ多様体の様な立方体は3次元のテラの案件ではめったにお目にかかることはない。
「万事順調かい?」カウリさんが声をかけてくれた。
「大丈夫です。祈りの所が少し不安なので、フォルダーの強化の時に見てもらえますか?」私は正直にカウリさんに告げた。
フォルダーの最期の仕上げがうまくいかないことは今日も何度か目にしたが、最後の祈りの匙加減は本当に気を使う。私はオニキスを一旦置き、フォルダーの次元を上昇させた。7次元や8次元とは違い、6次元までなら何とか自分一人でできそうだ。私はプルートの案件を扱う時に使ういつもの祈りをささげてみた。
そばで祈りを聞いていたカウリさんは、満足そうにうなずいてくれた。
「その魂のフォルダーにはぴったりだね。次元も綺麗に上昇した。今、赤紫に光ったのが分かったかい?そこまで行けば大丈夫だ。」
「ありがとうございます!残りのフォルダーの処理も進めますね。」
私は、以前SEチームからの噂話で気になっていたことをカウリさんにぶつけてみた。
「カウリさん、以前うわさ話で聞いたんですけれど、SEチームが祈りを録音し、それをフォルダーに流すようにする、という案があるらしいのですが、それは本当の事でしょうか?」
カウリさんは、可笑しそうにこちらを向いた。
「うん、聞いたことがあるよ。でも私が聞いたのは、ラーさんから猛反対を食らった、ということ。」
カウリさんは微笑みながら続けた。
「私たちがAIを使わずに、こんなアナログな仕事の仕方をしている理由は解るよね?声のバイブレーションもフォルツァもAIやそのほかの技術を使えばもしかしたら再現できるものなのかもしれない。ただし、そこには気持ちが込められていないことがあるんだ。
我々が毎日行っている祈り。これには機械では再現できないパワーがある。録音にはフォルダーを強化しよう、情報を守ろうという気持ちが込められていないし、個々のフォルダーに必要なだけのパワーも込められていないからだ。
千佳も3Dチャットをした相手と直接会ったことがあるんじゃないかな。私はあるよ。3Dで見た時の印象と本物は全く別の印象があった。たたずまいや物腰、声のトーン、身体からでる雰囲気・・・すべて機会を通すと本物とは異なってくる。単なる事務的な連絡なら機械を通せばいいだろうが。
ただ、録音したものでも、人の心を動かす名曲はあるよ。テラにもあるだろう?たしかビートルズだったけ、何年もの間大勢の人々に影響力があるのは。確かにテープに録音したものに人の気が込められるのは事実だと思う。
しかし、私たちがやっているような個人の魂の記録は、機械化されたルートでは保護できないんだ。やはり大霊への祈りは、録音ポッドからスピーカーで出せば良いというものではない。職員個人々の経験や勘でその都度祈りを選んでいくだろう? そこには我々の個人情報保護に対する責任と、地上では死を迎えた魂への敬意も含まれているんだ。だから機械化を推し進めすぎるのは、私は大手を振るって賛成できないな。ラーさんが反対したのもわかるよ」
テラの具体例を挙げてもらって、私は納得した。確かに気持ちが込められた歌は、録音を通じても大勢の人々の心を揺さぶる。プルートの音楽家や声楽家の出す音もしかりだ。
しかし、私たちが行っているのは、いわば魂の鎮魂歌でもある。それぞれの魂の記録を保護するための祈りだ。私が普段唱えている短い祈りも、言葉は少ないが、大霊に直結する祈りで、それぞれのフォルダーに合わせたバイブレーションで祈りをささげている。
「ありがとうございます。以前からなんだかひっかっていて・・・SEチームがよく現場の効率性と生産性を上げるよう、色々な意見を言っているというのは聞きますが、やはりアナログ方式は間違いじゃないですよね。」
「どうした、何か不安でも?」
「いえ、システムの改善をSEチームにお願いしているのですが、なかなか現実にならないんです。それどころか、SEの考える効率性や生産性の上げ方ばかり聞かされていると、だんだんどちらが優先されるべきかわからなくなることがありまして」
「SEにも色々考えがあるんだろう。でも現場で不自由をしていることがあれば、遠慮なく責任者に伝えるべきだと思うよ。テクノロジーは必要なところに使い、テクノロジーに頼れない所こそ我々の出番なのだから」
カウリさんの言葉が身に染みた。今日の午前中にラーさんやトートさんに言ったSEチームへの要望。果たしてかなうのかどうかはわからない。でも、今は自分のやるべきこと、できることに集中しよう。
私はそう思いなおし、再度タブレットにかざした右手に集中した。
(続く)
(このお話はフィクションです。出てくる人物は実際の人物とは一切関係がありません)