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連載小説(2):室町時代劇:芸人一座の娘

「梅、そんなところで何してんだ」松太郎が言う。あたしは慌てて言った。

「しーっ!!兄さん達がしゃべっているのが聞こえないじゃない!」

あたしたちは板壁に耳を付けると,次の部屋で喋っている保名兄さんや小雪姐さんの話に耳を傾けた。

「なあ、小雪。女が男装する舞、どうしてもだめかい?」

保名兄さんが言う。ここのところ、小雪姐さんに何度も言っている話だ。

「あんたも大概しつこいね、保名。あかんと言うたらあかん。うちの一座にはあんたたちが作った女装の舞ならたんとあるではおまへんの。そっちを大事にしたらどうなのさ」

話を聞いていると,うちの一座ではこれまでに男が女を演じる演目は数多くやって来たみたい。

でも女が男装して演じるという事はやってこなかった。

「うちの座の売りは、女衆の大勢でやる華やかな舞よ。一人で踊りたきゃ、保名、あんたがやればええではおまへんの」

これが小雪姐さんの口癖だった。

確かにうちの一座は、男が一人で舞うのもいつの間にか演目の一つになってた。

保名兄さんが小さい頃に作った天女と龍人の舞は、その後福吉兄さんが振りを渡してもらい、今ではあたしの兄さんの松太郎のものになっている。

兄さんの松太郎はあたしの本当の兄さんじゃない。

母さんと父さんが、何年か前に松太郎兄さんに話したそうだが、兄さんは赤ん坊の頃に、親を亡くしたそうだ。道に倒れている所を今いる芸人一座を取り仕切るおやじさんが見つけてくれ、母さんと父さんに托したらしい。

そんなことを聞いても、あたしにとって松太郎兄さんはあたしの兄さんだ。一緒に育って一緒に芸を磨いてきた大事な兄弟。

物心つく前からあたしたちは母さんの背中で唄を聞きながら育った。大きくなってからは朝は保名兄さんから文字の書き方やお金の数え方を教わった後、軽業や唄のお稽古をつけてもらった。

あたしたちの軽業におやじさんが「うん」と言ってくれた頃、あたしたちは父さんに町の四つ辻に連れて行ってもらい、初めて軽業を人にお見せした。
あたしと松太郎兄さんは五歳だった。

その日のためにあたしたちは母さんに衣装を新調してもらった。

兄さんが若草色の着物。あたしが山吹色の着物。揃いの色の括り緒の袴の裾をぎゅっと締める。絵草紙の一寸法師みたいな衣装だった。普段は下に垂らしている髪を一つにまとめ、首の付け根でぎゅっと一つにまとめる。

笛吹の父さんは紺色に黄色の文様が入った派手な衣装。
鼓の竜おじさんは深緑に白の文様が入ったこれもまた派手な衣装。
唄の清姐さんは茜色に白の文様が入った小袖に細帯。

「あんたたちの初舞台だからね。この衣装は京の都に行った時に着た衣装なんだよ。二人とも思い切って軽業をやっておいで!」清姐さんが満面の笑顔で言ってくれた。

父さんが笛を吹き、竜おじさんが鼓を鳴らし、清姐さんが遠くまで良く通る大きな声で唄い始めたのをきっかけに、あたしと兄さんはお稽古をしてきた軽業を見せた。

大車輪にトンボ切り。地面にかがんだ兄さんの上を大きく飛んで飛び越すと、兄さんに持ち上げてもらって後ろに大きな大回転をして見せた。軽業と舞が得意な保名兄さんに教えてもらった大きな技。

路肩で見ていた人達が一瞬どよめいたのが聞こえた。それ以外は何も覚えていない。それほどまでにあたしたちは軽業をこなすのに夢中になっていた。

その日はお捻りが沢山飛んで、いつも「河原の舞台」と一座の兄さんや姐さん達が行っている場所に来ている「お得意様」と呼ばれる人たちが声をかけて下さった。

「この京丹波で美しい衣装の芸が見られるなんてねえ。子供たちもよく頑張ったこと。この調子じゃ舞台に上がるのも夢じゃあないねえ」

「正吉一座は子供たちに良く仕込んでいるね。孫の世代が頑張っていてさぞかし正吉さんも鼻が高いだろうに」

色々お声がけをしていただき、あたしたちはお捻りを拾うと、やはり四つ辻にいた猿楽の舞を遠くから眺めた。四つ辻には鼓を持った子供を従えた白拍子が待ち構えている。

「順番があるんだよ。白拍子の他には誰もいないから、あのお人達の舞が終わったらすぐに次の出番だからね」父さんがそっと言った。

その日は四つ辻で三回、軽業を披露した。猿楽の人達はどこか別の場所へ行ってしまい、白拍子とあたしたちが交互に四つ辻を賑わせた。

お稽古してきたことを見て、道行く人たちが楽しんでくれる。上手く技が決まればどよめきが聞こえる。三回目には見ている人の息遣いに合わせて自分たちの芸を見せることが出来た。

三回目が終わった頃には頃には、空に薄桃と薄紫の雲が一面に広がっていた。

あたしがぼんやりとその綺麗なさまを見ていると、清姐さんがこうおっしゃった。

「あんたたちが大きくなったら、あの雲の色の様な綺麗な衣装をこしらえてあげるからね」

あんなに綺麗な色の衣装を着るなんてどんな演目になるんだろう。考えただけでも心が弾んだ。

暗くなりかけた道を、おやじさんの家まで急いで帰った。

その日はおふくろさんと母さんが特別に、いつもは大事にしまっている大きな梅干しの樽を開け、夕餉には塩をふいた大きな梅干しを一つ付けて下さった。

囲炉裏の周りに皆でぎゅうぎゅう詰めになりながら夕餉を頂く。普段は囲炉裏端ではなく、土間に近い上がり框で夕餉を頂いている私と兄さんは、その日はおやじさんの隣に座った。

「この間まで赤ん坊だと思っていた松太郎と梅が四つ辻で芸を見せてきたとはね。うまく行ったとわしも聞いているよ。こんなに嬉しい事はなかなかあるものじゃない。どうだったい、二人とも。見物の人には気おくれしなかったようだね」

「この二人は度胸がありますよ。最後の方はわしらとも見物人とも息を合わせていた。演奏するこっちが二人の軽業に合わせるので必死でしたよ」

竜おじさんがくっくと笑いながら大声で言った。あたしは何かおかしなことをやってしまったのかと少し不安になった。

「二人とも自信をもって稽古を続けるんだよ。保名や徳二からたんと稽古をつけてもらうと良い。そうすればもっと面白い出し物が出来るようになるからね」

清姐さんが嬉しそうに言ってくれた。じゃあ、何かおかしなことをしたわけではないんだな。

保名兄さんや徳二兄さんが、囲炉裏の向かいでにこにこ笑っている。

お顔が良く見えないが、その傍にいる小雪姐さんもこちらをみて微笑んでいる様だった。

その日は土間に下りて、竜おじさんの鼓の節に合わせて皆で唄を何節も唄った。


「茨小木(うばらこぎ)の下にこそ
鼬(いたち)が笛吹き猿奏で かい舞で
稲子麿賞で(いなごまろめで) 拍子つく
さて蟋蟀(きりぎりす)は 鉦鼓(しやうこ)の 鉦鼓の 好き上手」

待ちきれないとばかりに保名兄さんが扇を取り、土間の真ん中で舞を見せる。

小雪姐さんや徳二兄さんも後に続く。

あたしたちは唄いながら、兄さんや姐さん達がその場の思い付きで舞っていくのをぼんやりと眺めていた。

兄さんや姐さんの動きのなんと滑らかな事か。

徳二兄さんなぞ、蟋蟀そのものになったかのような動きだ。

小雪姐さんはあたしたちの手拍子に合わせて、まるで空気の精が目の前にいるのではないかと思わせる流麗な舞を見せている。

気が付いてみたらあたしも松太郎兄さんも眠ってしまっていたようで、起きたら自分たちの家に居た。

その日は寝坊をしてしまったようで、母さんに揺り起こされるまでは二人ともぐっすり眠ってしまっていたようだ。

大慌てでおやじさんの家に行って朝餉をかき込む。

今日もまた保名兄さんのお勉強がある。昼餉の後は、もしかしたら小雪姐さんから舞を教えてもらえるかもしれない。やることが沢山あって、あたしはこんな毎日が大好きだった。

四つ辻の出し物が無い日は、軽業のお稽古をしながらも、あたしは周りの大人が言っていることについ耳を傾けていた。

このところ、うちの一座では人をあっと言わせるような舞や舞台は作れていないと吉丸兄さんや徳二兄さんが言っているのをあたしは聞いた事がある。

昔の演目を大事にし過ぎたのか、これというような演目が出来にくくなっているとも聞いた。

一番大きい原因は、おやじさんが病で引退したからだろう。

おやじさんは、今は身体を動かすこともままならないまま、母屋の寝室で寝ていることが多くなった。

あたしはあんまり会った事は無いが,おやじさんの弟だった吉太郎さんは鬼籍に入ってしまった。享年五十八だったという。

吉太郎さんが亡くなって、しばらくの間兄さんや姐さん達がしょんぼりしていたのを覚えている。あんまりにも早く亡くなってしまったから。吉太郎さんはよっぽどすごい人だったんだろう。

兄さん達や,吉太郎さんが持っていた一座も,一生懸命に新しい舞を作っていたが,吉太郎さんの作った舞よりもすごいものは作れていないそうだ。

吉丸兄さんがよくこう言っていた。

「大きな存在があっけなく居なくなった後に空いた大きな穴は、そう簡単に埋められるものじゃないんだよ」

また、おふくろさんの親御さんだったおじいさんとおばあさんも鬼籍に入られた。あたしたちにとっては大事なお爺さんとお婆さん。小さい頃から遊んでもらい、一緒に夕餉の支度のお手伝いをしたり、勉強も見てくれた二人を,あたしは大好きだった。

大きい兄さんや姐さん達に言わせると、一座のこまごまとした大事な用事をいかにお二方が担ってくれていたか,痛いほど身に染みていたそうだ。

今年は天正十年。あたしたちの一座は、今は三十二歳になった吉丸兄さんが座長として取り仕切っている。

吉丸兄さんは,若い頃から熱心に若手に稽古をつけてくれ、新作の舞台にも意欲的に取り組んでいた。しかし、吉丸兄さんの求めるものは高く、それを表現できる舞手や唄い手、演じ手が、若い衆の中には現れていなかった。あたしたち子供にもとっても難しい舞や唄を教えてくれるが、きちんとできていない時の吉丸兄さんはちょっと怖かった。

また、おやじさんを慕って今まで一座を支えていた兄さんや姐さん達がどんどん独立してご自分の座を立ち上げたりなどしたためか、若い兄さんや姐さん達,それに子供のあたしたちを教える人がうんとに少なくなってしまったのも、吉丸兄さんが納得のいく新作が作れなくなった原因の一つだ。

結局あたしたちは、今まで座にいた兄さんや姐さん達に頼りきりで、いかに自分たちで観客をあっと言わせられる出し物を一から作り出すことに慣れていないかを思い知らされた。

保名兄さんは二十六歳。なくなったお爺さんに代わってあたしたち子供たちの勉強をみたり、軽業を教え込んだりする役目も担ってくれていた。忙しい兄さんは新作の出し物に集中することが時として難しい事があったようだ。

清姐さんは三十一歳になり、徳二兄さんと所帯を持ちながらも、相変わらず母さんと一緒に衣装と唄に専念している。小さい頃は姐さんや母さん,おふくろさんが仕事をしている合間に沢山遊んでくださいった清姐さんがあたしは大好きだ。

近頃はあたしたち子供や年若い姐さん達に唄と針仕事を仕込んでくれいる。姐さんは針仕事と唄との二束のわらじで仕事をしつつも、若手に唄の稽古をつけるのに余念がない。

徳二兄さんは自分の道を行っていた。若い兄さんや姐さんを引き連れて四つ辻で芸を見せながらも、身体を柔らかくして見せる芸を何とかあたしたちに伝えるよう努力はしていた。あたしも松太郎も,福吉兄さんや花姐さんも頑張ってはみるものの、逆立ちして両の足の裏を頭に付けるところまではどうしても行かない。

舞手の看板である小雪姐さんは二十五歳。小さい頃から見ているが,小雪姐さんの舞は見事で,その舞の腕は衰えることなく、前にも増して凄みのかかった舞を見せる。あたしたちにお稽古をつけてくださるときもあるが、舞に対して厳しい小雪の稽古に食らいついていけるだけの力がある子は、あたしも含めて大勢はいなかった。

吉丸兄さんは、保名兄さんと小雪姐さんを主演にした新作舞を考えていた。以前相模へ遠征された際に聞きかじった「江の島縁起」を軸にした舞で、一日ごとに男女の役を入れ替えて上演するという趣向だ。

主人公は荒れ狂う龍と、天から降りてきた女神の弁財天。

五つの頭を持つ龍である五頭龍が、一人ぼっちの寂しさのあまり天変地異を起こし、下界の人間たちが豪雨などで苦しんでいる。そこへ天から見目も美しい天女の弁財天が海の上に舞い降り、そこに一つの島が出来る。

一目で天女に恋をした五頭龍は弁財天に諭され、悪事を止める。弁財天と言う伴侶を得た五頭龍は、その地を守る神として山に姿を変え、弁財天が降り立った島は江の島となり、その後訪れる巡礼達を受け入れるようになる。

この筋書きの一部,「五頭龍」を小雪姐さんが舞に仕立てた。

実際の所、小雪姐さんが振り付けた五頭龍の舞は、丹力の籠った見事な迫力で、見る者を惹きつける力があった。

小雪姐さんが五つの頭を持つ龍の化身と見まごう程の出来で、ひとりぼっちの龍の嘆きを簡潔ながら無駄のない動きで見る者を捕らえる。

舞台に出て来るだけで人の眼を惹きつけるその存在感。その腕の動き、足さばき、力強い旋回一つとってみても、小柄で華奢な小雪姐さんがこれほどの迫力の舞を見せるとは誰も思っていなかった。そこには確かに五頭龍の憤怒の怒りと悲しみ、極限までの寂しさが表れていた。

また、小雪姐さんは弁財天の舞もたやすくこなして見せた。

天から降りてくる弁財天の舞は息を飲む程の出来で、五色の光に包まれて海原にふわりと降り立ち、五頭龍をなだめ教え諭す女神を荘厳に舞って見せた。

人間でないこの二つの役柄を、人間である小雪姐さんがここまで舞で見せるとは。保名兄さんはこの弁財天の舞を覚えなければいけない立場で、忙しくて稽古に取れる時間があまりにも足りないのに、振り写しの時は舞う小雪姐さんの少し後ろで徹底的に真似していた。

龍おじさんと父さんが今回の舞のために作った楽も、緊張感がある音色で、舞をさらに盛り上げていた。そして今回は清姐さんと徳二兄さんが唄いを一から作り、楽と唄と舞の混在する大掛かりな一作になっていた。

振り移しをしてもらっていた保名兄さんはよくこう言っていた。

「龍の舞だけは小雪の舞を観客に見せるべきだよ。この舞だけは俺や他の団員ではない、小雪ならではの表現で見せてこそ成り立つものだ」と。

他の団員もそう感じていたようだった。どうせならば小雪姐さんの一人舞台にしてしまった方が良いのではないか、という声まで上がっていた。清姐さんなどは、すでに五頭龍の頭飾りや衣装についても頭を巡らせ始めていると言う。

けれども、小雪姐さんは頑として「どうしてもと言うなら、自分は弁財天を舞う」と言って譲らなかった。保名兄さんが舞うことになっているにも関わらず。

この五頭龍の舞を世に出したい。いくら皆がそう思ったとは言え、舞える当のご本人が首を縦に振らない。お稽古は中断しがちだった。

「小雪、五頭龍の舞はやはりお前がやるべきだと俺は思う。これだけ見る物を惹きつけられる舞が出来るのはこの丹波だけではなく、京でもどこでもお前一人しかいないんじゃないかな。俺はこの舞と、天女の舞で今年の河原の舞台で勝負したい。なあ、猿楽ではないが、面をつける方法もあるし、それでお前が舞台に立ってはどうだい」

吉丸兄さんは辛抱強く小雪姐さんを説得した。

しかし、小雪姐さんはこんなことまで言い始めた。

「保名が昔から言うとる『天女の羽衣』はどうなったん?あれなら天女と漁師の二人がいて成り立つ。漁師なら保名でも舞えるとちがう?」

「漁師か。。。俺がやった『藤戸』に出てくるのは漁師の亡霊だぞ。まさか浦島太郎でもあるまいに」

「そうだけど、他の座員でそうそう漁師を演ずる事がでける人はおらんのよ。保名ができない、福吉と花に舞をまかせてもええんでない?昔から『天女の羽衣』をやりたい言うとったのはあんたとちゃうん?」

漁師の舞は以前猿楽士から『藤戸』を振り付けて貰って以来、保名兄さんが得意としている役柄だった。『浦島太郎』は子役時代の演目で、保名兄さんはこの座でも一番漁師の動きに慣れているた。

しかし、天から降りてきた天女の羽衣を漁師が盗み、それを返してくれれば夫婦になる、と言った天女が、再度衣を手にして天に帰っていくという筋書きは、『江の島縁起』の話に比べると少し弱いように思えた。

「確かに保名が以前から『天女の羽衣』やりたいと言っていたのは俺も知っている。だがな、今お客に見せるべきものは『江の島縁起』のお前さんの舞だと俺は思うんだよ。これだけ荘厳でいて丹力の詰まった舞は、きっと見る人を別世界に引き寄せる、そんな気分にさせる舞だ。舞を作ったお前さんはもったいないとは思わないのかい」吉丸兄さんが小雪姐さんを説得している。

「そら保名が稽古を積めばええ事。とにかく『江ノ島縁起』は保名にかかっとるとうちは思うんよ。うちは今回は舞台に出ても出なくても構へん。それとも何、若手に任せる?若手に稽古する機会をどんどんやる方がうちらにとってもええのでは?」

小雪姐さんは言い切った。あたしたち若手に機会を与えてくれるのを大事にしている様だ。しかしおやじさんの引退後に当たりの演目が作れないでいた一座は、今すでに出来ている『江の島縁起』で何としても次の舞台を成功させたかったようだ。それには、小雪姐さんの様な経験を積んだ舞手の力がどうしても必要らしい。

それに舞の振りの話になると、小雪姐さんは吉丸兄さんよりも見せ方や配役を的確に言いあてる。小雪姐さんは舞を率いる様になって二十年近くになるそうで、座員の力量や可能性を誰よりも熟知していた。

新作の舞は『江の島縁起』にするか。それとも今から『天女の羽衣』を作るか。この二つの作品のうちどちらをやるか。演目のすべてを束ねている吉丸兄さんも、小雪姐さんをどの役で出させるかで悩んでいた。どちらの方向で稽古を進めていくか、悩んでいらっしゃるようだ。

季節は卯月。河原の舞台の始まる五月まではあと何日も無い。

小雪姐さんを説得して何とか龍の舞を見せるか、それとも『天女の羽衣』の演目に変えるか。団員の中でも毎晩色々な意見が飛び出していた。

吉丸兄さんはあきらめずに小雪姐さんを説得した。

「保名は天女と龍の舞を作ってはいるが、男でありながら龍と天女を舞っているぞ。しかも滑稽な舞ではない。お前さんなら保名を超えて、もっと素晴らしい龍と天女が舞えるのではないかいね」

「そら男が女舞を舞うのと大して変わりはない。まあ、確かに保名の「天女と龍」は見どころがあるけれども・・・うちは、女が男舞を観客の前で踊るのは納得がいかんのよ」

「なぜそう思う?」吉丸が尋ねる。

「四つ辻でうちらが舞うでしょ?そうするとそれを見とった遊び女達がその次の日にはもう真似しとる。それもうちらが苦労して作った舞を台無しにするほど下品なものに仕立て変えて。うちはそれに我慢がならんのよ。人の作ったものが真似されるのはええけれど、あそこまで下品な舞に仕立て上げられると、女舞は結局は遊び女に取られてしまう。うちは遊び女に負けへん、決して真似のでけへん女舞を作りたい。

うちの一座にいた姐はん達は皆舞の名手やった。うちらが舞えば、誰も口を挟むことも無く舞に見入ってくれた。それなのに近頃は遊び女達に真似されるだけ。うちは舞台で誰にも文句を言わせへん女舞で勝負をしたいの」

「気持ちはわかるよ」吉丸兄さんが言った。

「ただな、そこをお前さんが先例を作るべきではないのかね?女でも人をあっと言わせる男舞ができる。しかもそれは人知を超えた神である龍神だ。神々しい神の役は猿楽でもやってるのを知っているよな。龍神は神だし、弁財天も神。神の役だと思えば舞えるのではないかい?」

吉丸兄さんも譲らなかった。小雪は姐さん少し考えるように黙り込んだ。

誰かがこうと決めなければ物事が動かない。かといって、小雪姐さんの舞を見せたいことで、団員の兄さんや姐さん達の意見は同じだった。

演目をどちらにするか。

すぐにでも決めなければ、開演に間に合わなくなる。兄さんや姐さん達は焦り始めていた。

「天女の羽衣」でも「江の島縁起」でも,あたしはどちらも見てみたい。

小雪姐さんの舞は一番美しい。この二つの演目にいつか自分も唄い手として出てみたい。あたしは密かに考えた。

(続く)


本作品は、シリーズの4冊品目の一部です。

これまでのシリーズのサンプルはこちらからご覧いただけます。
ご興味があられましたら、ぜひ一度覗いてみてください。


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