「野麦の音」・・・「峠(とうげ)」には、旅の安全を祈る「手向け(たむけ)の場所」という意味もある。旅で見つけた物語。超ショートショート。
「野麦の音」
岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置する野麦峠。
冬は積雪で通行止めとなるため、1年間のうち約半年間は通れない。
野麦峠越えの道には「お助け小屋」と呼ばれる避難小屋があるほど、
交通の難所として昔から知られている。
明治時代には、「ああ野麦峠」で知られるような、現金収入が乏しいく飛騨地方の貧しい農村の十二、三歳の少女達が、諏訪の製糸工場まで通ったという。
「年期が明ければまたこの道を通って、
懐かしい父さんや母さんが待っている飛騨の里に帰って来られる。
私が紡いだ細い絹糸が、故郷の家族の暮らしの足しになる」
少女たちは、小さな胸に希望と不安を抱きながら峠道を歩いた。
そして雪深い冬の日。
少女たちは、稼いだ金を故郷飛騨へ届けるために、諏訪を出た。少女達はマメの出来た足の痛みに耐えながら、野麦の茂る山道を歩いていった。
峠のお地蔵様に手を合わせ、故郷を振り返ると、
誰からともなく飛騨を呼ぶ声が発せられたという。
「飛騨よー」
切ない叫びが峠にこだましていく。
険しい山道を越えた少女たちが辿る運命は過酷なものであった。
命を賭けてでも働き続けた少女達の心の底には
常に美しい故郷の景色が映っていた。
そして、峠に茂る野麦の間を通り抜ける風の音は
哀しき少女達への手向けの声に聞こえたのだろう。
もしかすると野麦の峠には、そんな少女達の魂が眠っているのかもしれない。
悲劇だけではなく、沢山お金を故郷に送って、親兄弟を助けた娘もいる。
故郷への熱い思いが彼女たちの中に有ったと言われています。
おわり
ここで言う「野麦」とは「クマザサの実」のことを指すそうです。
女工哀史に関する資料や展示物が並んでいた「野麦峠の館(博物館)」は2022年3月末に閉館、資料の一部は隣接する観光施設「お助け小屋」で展示予定。野麦峠まつりでは、糸引き工女行列をなども行われているようです。
*冒頭の写真はイメージです
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