ママ、大きくなったら
「ママ、大きくなったらね」
8月に3歳を迎えた娘が毎日の様に“大きくなったら”の話を聞かせてくれるようになった。
それがとても壮大で夢のある内容だったり、そんな事?って思うような小さな事だったり。周りの事に興味を持ち見聞きできている証だと感じるものばかりで娘の“大きくなったら”を聞くのが楽しみな毎日だ。
先週の日曜日は
「大きくなったら、ばぁばと3色丼作るの!」と意気込んでいた。誰と食べるの?と聞くと「ママに全部食べさせて大きくなるんよ」と既に大きくなり過ぎている私に言う。
昨日は
「大きくなったら まっくろくろすけをヤッツケル!」と言うので「何で?トトロのまっくろくろすけは何もしないよ?」と聞くと「だって笑っとらんから危ねぇよ!」と力を込めて語る顔は真剣そのものだ。
最大の夢は「柿を食べる事」なんだそう。
思い返せば4月に柿を食べたいと ねだられ冬にならないと食べれないのよと伝えると床に四つん這いになって泣き崩れていた。
それから毎日の様に「今日は冬?」と聞くようになった。夏になり家の近くの柿の木に青い柿がなってるのを見つけるとピョンピョンと跳ねて「あー!緑!柿!もうすぐよー!」と拍手をして喜んでいた。
それから毎日柿の木の前に立つと「柿さんこんにちは♪」 「オレンジになってきたね♪」と母の目には昨日と同じ緑に見える柿の成長を喜ぶ娘の姿があった。
ようやく暑い夏が過ぎ涼しく過ごしやすい気候になった。今日も娘は「大きくなったら…」の話と柿の成長についてを語ってくる。
去年の今頃は柿を見つけると「キ!」「あったー」しか言えなかった娘が「鳥さんが食べるかもしれん」とか「雨降ったら柿さん悲しい?」と、覚えた言葉を沢山並べ柿の心配をする。
娘がこうして“大きくなったら” と毎日話してくれるまでは、なかなか夢のある話を聞く機会なんて無くなってしまっていたから今は私自身の心を前向きにしてくれている。毎日通り過ぎるだけだった草花の成長を小さな指で指して教えてくれる度、毎日同じことの繰り返しでは無い事を気づかせてくれる。
産後1年弱は鬱にも近い不安だらけの真っ暗だった。「今日も外に連れて行けなかった…」「今日も手抜きのご飯にしてしまった…」罪悪感だらけで自分で自分を責める事も多かった。
そんな過去の行動と罪悪感は関係なく無事に娘は健やかに育っているではないか。そして私自身も今や娘の言動が穏やかで晴れやかで心地よい風となり日々の暮らしが清々しいのだ。
私も年老いる事や若い時のように思い通りにならない体調を卑下するだけではなく夢を持とう。大きくなくても良い。明日叶う事でも良い。何か楽しみな事を意識してみつけよう。自分の為であり、同時に誰かの何かになるはずだ。きっと。
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