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シャワーを5分で浴びなさいといわれてた話

シャワーは5分で浴びなさい

母はずっと子供たちに「シャワーは5分で浴びてきなさい」と言っていた。5分で浴びてこれないと怒られた。
私も兄も、別にシャワーで遊んでいたわけではないし、シャワーを出しっぱなしにしていいわけではなかったので、温まるということもなかった。15分くらいでは出てきていたと思う。
ただ、母はシャワーを5分で浴びていた。服を脱いで髪も身体も洗って服を着て出てきて5分である。どうやって浴びているのかよくわからない。ただそれは当時ちょっと母の自慢だったっぽかった。
そして、私や兄が5分で浴びれないと怒った。
小学生が服を脱いで髪を洗い身体を洗い服を着るところまで5分でやるのは無理である。しかもうちの風呂場は冬、本当に寒い。
ものにもよるのだけれど、母はその辺の自分と子供の身体的な能力さを加味できないことがたまにあった。

他にも、歴史の勉強というものは小学校5年生から始まるけれど、それ以前に歴史的な質問をしたことがあった。〇〇ってだれ?〇〇ってなに?とかそんな感じ。でもそうすると「あんたそんなことも知らないの」的なことを言われた。我が家はTVを見ることができなかったため、時代劇や大河なども私はほとんど見たことがない。情報が入ってくる場所がなかった。そして「知りたかったら自分で調べなさい」と言われた。当時インターネットもない状況だったので、どうやって?という感じだった。
ただこれに関しては、兄と私は展開が少し違っていて、兄は記憶力が異常にいいので、どこからともなく知識を得てきて色々知っていた。彼は中学、高校とノートを一切取らずに大学に受かっている。兄もその辺ちょっと普通の人と違う。

長袖をなかなか着せてもらえない

また、母はとても寒さに耐性があった。いまだに真冬でも7分丈のカットソーと下手するとハーフパンツで生きていける。寒くないらしい。(ちなみに東京です)小学生の時によくいた、一年中半袖短パンでも大丈夫な子みたいな感じである。
本人がその格好をしているのは別にいいのだが、私が子供の頃は子供に対しても同じくらいの格好をさせていた。11月くらいにならないと長袖を着させてもらえなかった。私はどちらかというと寒がりで、寒いのが苦手だったため、20分休みなど寒すぎて外に行きたくなかった。
当時母は私が母と外気の感じる感覚が違うと思いもしなかったようだ。
そして自分が比較的特殊であるということにも気がついていなかった。
よその子供に対しても「こんなに暑いのにあんなに着せて」ということをよく言っていた。

この母と私の気温に関する感覚の違いは、大人になってから証明された。
というのも、我が家をリフォームをした際、給湯器がお風呂場で温度設定ができるタイプのものに変わったのだが、私が温かいと思う温度にお湯を設定すると、母は熱くて入れず、母が心地よい温度に設定すると、私はぬるくて浴びていられなかったのだ。肌の温度を感じる細胞の数が違うのか、感度が違うのか、生物的になにか違っているらしい。

靴下を履かせてもらえない

母親は肌が感覚過敏気味の人で、肌に触れるものは許容範囲が限られている。今も化繊のものはあまり着ず、チクチクしない綿や麻など天然素材のものしか着られない。そんな感覚過敏の母が大嫌いなものが『靴下』である。
母は靴下が本当に嫌いで、一年中素足で過ごしていた。そして子供達が靴下を履いているのも許せなかったらしく、家にいる時に靴下を履いていると脱がされた。
我が家は一軒家で当時は一階の床や廊下の下が直で地面になっていて、床がとても冷たかった。冬になると足の指はほぼ全部しもやけで赤くなった。
しもやけが一番痒くなる瞬間は、上履きを履いている授業中。よく足を授業を受けながら足を踏んでたことを覚えている。

親は発達障害

母はおそらく発達障害なのだと思う。彼女は40歳半ばから60歳過ぎまで、看護師として区の発達支援センターに勤めていた。そこで働く中で自分が発達障害のADHDであろうことに気がついたらしい。お医者様から診断されたわけではないけれど、毎日発達専門の先生の補助として数々の発達に問題のあるお子さんや家庭を見て本人がそう思ったのならそうなのだろう。
その仕事の中で、発達に障害のある子供の親たちをたくさん見てきていた。発達に障害のある子供の場合、親も発達に障害があることが多く、支援センターに来る親たちが、過去の自分を見ているようで色々反省したし、子供に対する接し方が間違っていたことに気がついたと話していた。
あと、母の見立てによると父もASDであろうとのことである。

私もこうして親の言動について色々かいていると、発達障害の子供がいる親向けの本の内容を書いているような気持ちになってくる。

父も母も、「相手にこれをしたら相手はこんな気持ちになるのではないか?」ということを考えるのが苦手である。なので子供に対してこんなことをしたら、子供は怖いと思うとかそういう相手の目線に立って自分の行動を調整するということがあまりできてなかったのだろうなと思っている。
それでも、成長というか気づきはあるようで、母も発達支援センターで働くようになってから、たとえ同じ場所で同じものを見ていたとしても、人によって感じるものは違うし、その環境から拾う情報は異なるということに、気がついたらしい。これに気がついてなかったから、この記事に書いたようなことが起きていたのだなと思っている、
ちなみに私が『自分と他人が違う』ということに気がついたのは20代の半ばくらいである。それも遅いといえば遅いのかもしれない。

今は親は適度に距離を保ってくれるようになったし、一応こちらの意見をお伺いしてくれるようになった。自分と相手のことは以前よりは分けて考えられるようになっている感じはする。おかげで私はだいぶ楽になった。

発達障害は仕方ないというのはわかる。できないことはできない人に合わせていかなければいけないということもわかる。でも合わせていく相手が親の場合、子供大変というのが本音である。
あと、もっと大変な環境にいる子供達がたくさんいるのも知っている。
でも、とりあえず、自分の親やこの生まれた環境を受け入れていく意味も込めてのこのブログを書いている。



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