そういえば学校が苦手だったなぁという脱力系駄文
今日も曇り空でいい天気です。おはようございます。
何だかネットニュースやらSNSやらで「義務教育の是非」とか「学校行く行かない」とかの話が飛び交ってて、おじさんは自分の学生時代をふっと思い出してしまったよ。
あ、なんか飛び交っている問題に関しては全く言及しないので期待された方はごめんなさい。あくまでおじさんが脱力して駄文を書き留める記事です。
学校どころか幼稚園の頃から馴染めなかったよ
私自身は学校どころか幼稚園の頃から集団生活が苦手でしたわ。教室は年中騒がしいし、同級生はなんかやたら打ってきたり体の接触があって暴力的だし、先生はいつもイライラしていた。
大きな音が怖い。他人のイライラが伝わって怖い。終始怯えてた記憶しかないな。
そうした集団生活のストレスから、幼いながら夜眠れないことがあったり、幼稚園のお昼はいつも食べられなかった。あれはつらかった。他の子が帰り支度している中、自分だけ食べられもしないお弁当箱とにらめっこしつづけるのが。
そんな状態だから周囲からも腫れ物扱いだったしね。そりゃそうよ。だって毎日帰りの会が終わるまで弁当箱覗き込んでんだもん。こええよ。異質だよね。
余りにも私がご飯食べないもんだから、先生があるときヒス起こして「親が毎朝苦労して作っているのになんで食べないの!」って平手打ちされたこともあったっけ。親の方も分かってて、子供のコブシくらいの小さなタッパーに白米詰めただけのやつを、だ。それがトラウマになって家族とか親しい人以外と食事を一緒に取ると今でもふいに食べられなくなったりお腹痛くなったりするんよ。
そんなこんなでいよいよもってボッチ化が進んだね。いや、同級生と話はできるよ?でも一緒にサッカーしたり遊んだりした記憶が露ほども残ってないってことは、まぁね。そういうことなんだろうね。
小学校低学年で煮詰まる
別にいじめられたとかそういうのはなかったんだよね。当時の私はコミュ力だけはあったから。(今は見る影もないクソ陰キャだけど)
とりあえず話しかけられたら面白い返しをして前歯出してわらっときゃいじめられないからね。そういう意味では、したたかな部分もあったんよね。うん、今でこそ思うけど自衛のために半ばやけくそだったのかもね。
小学校に上がると幼稚園のころそれなりに仲良くしていた子たちと離ればなれになり、いよいよボッチになった。いやまぁ執拗に絡んでくる子とかいたけど、正直横暴で嫌いだった。でもクラスの雰囲気を乱したくないからずっと我慢してへこへこしてた。
小学校入りたてはまだ良かった。給食がないからね。給食が始まったらまた地獄が始まったよ。ここでも食えない、食えない、食えない。
午後の授業や帰りの時間までずっと給食とにらめっこしてた。そして「今日も食べられませんでしたごめんなさい」って給食センターに泣きながらおぼんを返しにいくのね。最初は笑って対応してくれたセンターのおばさんも、段々目が生易しくなっていくのが辛かった。そんな目をさせてごめんってね。
この時の担任も外れだったよ。普段は5,6年生しか受け持たないおばさん先生なのに、学校側のトライアルで1年だけ(普通は2年間同じ担任が受け持つ)小1を受け持ったんだけどそれに巻き込まれた。めちゃくちゃ厳しかったよ。辛すぎて未だにフルネーム覚えてる先生だわ。
結局、精神的なトラウマが寛解しない限り食べられるわけがなかった。ある時から給食袋におかずをぶちこんだり、パンを中身をくりぬいて、その中に給食を入れたりという不正を働きだした。もうね、惨めだったよ。でももう昼が食えないことのストレスで限界だった。ちなみにこの発想は祖母と時代劇を見ていて、おまんじゅうの下に小判を入れている名シーンから着想を得た。
ますますトラウマが深まったね。昼食えないことで何故ここまで咎人のような扱いを受けるのか理解できなかった。「食べられないなら最初から配膳しない」というシステムがあればなと思わない日はなかったね。
というか周りも気づかないもんかね。好き嫌いで食べないんじゃなくて、明らかに異様な様子でメシの前でぜえぜえはあはあ言ってんのにね。
当然クラスでも浮くのよ。そりゃ給食を前にこの世のあらゆる絶望を煮詰めたような顔してる奴なんて気持ち悪いだろうからね。だからかな。休み時間は一人で学校探検して遊んでた。普段行かないような家庭科室とか理科室とか、あまり人がいないような中庭でひなたぼっこしたりして過ごした。
今思うとよくいじめられなかったよ。思えばこのときいじめられないために「一生分のコミュ力のストック」を使い切ったんじゃないかとさえ思うね。今では辛うじて職業に就いてるだけの精神的引きこもりさ。
それに不登校になっても家自体が居心地よくなかったからね。どっちもどっち。逃げる場所はない。それなら日々前へ進むだけマシ。そんな心境さ。
小学校中学年~中学卒業までは平和だった
それまで食べられなかった給食がふいに食べられるようになった。そのきっかけは小学3年生の時のクラスの担任が「食べられないなら残せばいいよ。誰にでも苦手はあるから」と公言したことでプレッシャーが激減。少しずつ食事を口に運べるようになった。
その時の同級生も神がかり的に良い奴ばかり集まってて気が楽だったというのもある。
そうやって何年越しかの「お昼を食べるリハビリ」が功を奏し、給食を食べられないというストレスからは無事解放された。
でも結局休み時間は一人だったけどね。小学3年にもなると、もうある程度グループが決まっててその中で遊ぶだろうからね。男子連中は基本的に皆ボール遊びしてて近寄りにくかったから、基本的には女子グループの間をふらふらあっちこっち移動して短い会話を楽しみながらコミュ力を鍛えてた。
それでも時間を持て余していたから、結局一人で学校探検してた。もう隅々まで探検し尽して飽きてたけど、教室に居ても息苦しいだけだから仕方なくやってた。
そんなこんなで小学4年のときかな、人生を変える事件が起きた。
運動会の片づけをしているときに6年生の体の大きい子に絡まれたことがあった。きっかけは自分の意見にヤジを何回も飛ばしてきて「何ですか?何か意見があるんですか?」って言ったら胸倉をつかまれた。体格が違いすぎて全く歯が立たなくて悔しかった。それからかな。コミュ力だけじゃだめだと、体を鍛え始めたんだ。
今でも体のデカいやつは苦手だよ。街で小競り合いになると足が竦む。けどそれ以上に腹の底からどす黒い深淵が手を伸ばしてくる気がするんだ。今でも体は鍛えているよ。あの日からずっとね。世の中へんなやつ多いからね。自分から突っかかってきていざ反論できなくなると暴力に走るやつとかね。ああいうとき、自分を守れるのは自分だけだから。立ち向かっても得るものはないから結局逃げるだろうけど、逃げるにしても力がないと厳しいよ。家族を連れていたら余計にそうさ。
こうして次第に体も丈夫になっていった。小学校高学年のクラス替えで初めて友達と呼べる仲間ができた。今まで同じクラスになったことのない人たちとグループを作ったことがきっかけで、学校生活が飛躍的に改善された。中学3年の時なんて2つのグループを統合して大所帯のグループを作ったりして実質クラスの覇権を握っていた。陽キャグループより自分らのグループのほうがデカかった。その陽キャたちとも馬鹿やって遊べるくらい仲良かったし、この時がピークだったかな。
そこから中学卒業までは何の問題もなく楽しく過ごせた。学校ていいな、毎日楽しいな、なんて思ってた。
高校はまた馴染めませんでした
生まれながらのボッチ体質の自分。そんな幸せはずっと続くわけもなかった。高校に上がったら途端にボッチになったね。
いや、一応話をする人はいたけど中学の頃みたいに濃密じゃないというか。ビジネス仲間みたいな、どこか互いに遠慮したような集まりだった。
この時高校選びに失敗したなと思った。中学3年の時のグループのほとんどが進学した高校は、自分の学力から言うとワンランク下だった。とはいえ大した差はないので、変な欲を出さずにそちらに行けばよかったと後悔した。
高校に上がると、周囲もなんか色気づくというのかな。そういう雰囲気に適応できなかった。どことなくカッコつけているというか、女子の方をちらちら意識して男の中でもマウント合戦が始まってきつかった。自分がガキ過ぎて、思春期を経て大人へと変わりゆく周囲の変化に適応できなかったのが良くなかったんだろうね。
自分からしたら男の子はやんちゃで遊びと冒険が大好きで、女の子は笑顔がかわいくて思わず笑わせたくなるような、いつまでも少年少女のままだと思ってたんだよね。今思うと寂しかったのかな。自分が幼稚園から小学校低学年までを空虚なまま過ごしてしまったから、まだまだお互いを少年少女として接するような輪の中で過ごし足りなかったのかもしれない。
結局高校という時間は大学進学のための通過点として過ごす羽目になった。修学旅行にも行かなかったし、学校行事もできるだけ避けて通った。
「ステータス:不登校」は身近だった
思えば「ステータス:登校」からいつ不登校になってもおかしくなかった。当時はまだインターネットなんて普及していなかったから、学校や社会のレールから外れそうになったら「我慢する」か「グレる」か「死ぬ」くらいしかなかったんよね。回避した先に道が続いていなくて、実質我慢するしかなかったのが実情だった。
当時、TVCM等で「いじめはだめ」「命の相談ダイヤル」という宣伝はあったけど「やばかったら死ぬ前に逃げろ!」というメッセージが世の中に大々的に発信されるようになったのはここ最近のこと。回避した先に続く道が少しずつ開拓されてきたのかもしれないね。
今はYoutuberになるでもいいし、SNS上で漫画書いてもいいし、プログラミングやデザインをやってもいい。昔よりも一人で仕事ができる環境は整いつつある。それが某肺炎ウィルス事変の影響でさらにブーストされ、サラリーマンですら職種によっては家で一人仕事ができるようになった。
学校が嫌いという人は今も昔も多いと思うけど、昔よりも多様性という点においては格段に広がっていると思う。世の中の移り変わりは早いね。
あ、ちなみに今でも知らない人とか仲良しさん以外とご飯食べるのが苦手で外食できません。異動時の歓迎ランチとか、社内立食会とかほとんど食べられないから水だけ飲んでる。普段のお昼も一人か、本当に仲いい人としか食べないよ。
振り返り
振り返ってみても、学校に行って良かった!と手放しでは言えないかなというのが正直なところ。学校で学んだ「とりあえず波風を立てないスキル」「不満をため込む技術」「面従腹背スキル」はサラリーマン生活においては役に立っている。
しかし、学校生活の半分以上を苦痛とそれに対する心配事に費やしてエネルギーの無駄遣いをしてしまった点も否めない。学校生活はいいこともあったけど、もしそのエネルギーを音楽とかプログラミングとか別のことに割けていたらな、なんて思ったりする。
半面、学校の音楽の授業で譜面を読んだり音を取る基礎に触れられたのは今の自分にも根付いているし、授業がなかったら自分で音楽を作ろうなんて思わなかったかもしれない。また、文章を読んだり書いたりするのが好きなことも気づけなかったかもしれないね。
良い点も悪い点もあって結局判断付かないかな。もし過去に戻ったとしたら、また学校に通うかもしれないし、行ったり行かなかったりするかもしれない。
塾まで通って大学まで出させてもらったのに、都内ベンチャーIT企業にて月給16万で働き始めたときは「何のために今まで我慢してきたんだ」と思ったね。でも今考えると当たり前だ。我慢ってつまり「何もしてない」ってことだからね。頭も体も動かさず、ただじっとして何かが変わるわけがない。そういうことを本当は子供のうちに学びたかった。いや、元々は持っていたはずなのに、どこかのタイミングで落としてしまったのかも。
まぁ親からしたら子供が学校に行ってくれたほうが楽だろうね。レールからはみ出さないでくれるなら放置できる。その分、自分の人生に時間も意識も割けるからね。学校は一部の集団生活に適性のある子どものためでもあり、親のためでもあるのかもしれないね。自分が子を持ったとしても、やっぱ毎日学校に行ってくれたほうが楽できそうだなって思うしね。
三つ子の魂百までというし、幼稚園や小学校低学年の時点で「あかん」と思ったら、もう一生「あかん」まま学校生活が続くと自分は実感している。人によっては少し慣れたり、あるいは風向きが変わって一時的に楽になる時期もあるだろうけど。結局学校生活をものともせずに過ごした人と「何か違う」感じは学校を出た後もずっと続くよ。
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