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#エッセイ
会社の評価をあえて捨てた4月だった。
諦めるは明らかに極めることらしい。詳しくは調べていないので断言できないけれど、明らかに極めるのは難しいから、なかなか諦められない、未練が残るのかもしれない。
仕事の話。仕事では求められている振る舞いを言われても、すぐに理解できるわけではない。雇われの場合は都度都度対応して、その状況に適応するしかないと考えている。求められていることが、自分にとって受け入れられないほど嫌いだと感じれば、仕事を辞める
反省文:無意味な「なんで」を言ってしまっていたことを反省します。
仕方がない。他人に求めても仕方がないと最近思えるように少しずつなってきた。
ひとつの会社で勤め上げる人、たとえ様々な部署に異動があっても、同一企業であれば同じ思想的プラットフォームの中にいるため、やはり言葉や思考がハイコンテクストになってしまう。これは避けられない。
ハイコンテクストである事実を知っていても、どこまでハイコンテクストなのかを理解するのは非常に難しい。なぜなら、今いるプラットフォ
中2病どころではなく、むしろ幼稚園児の心そのままにワガママに三つ子の魂100までなおっちゃまによる、全人類に向けた魂の踊りとはこの文章のことではないだろうか?
誰に受け入れられたいのか? ということを普段ほとんど考えていない。状況によっては考えなくちゃいけない時もあるだろうけれど、他人の反応にばかり意識を向けていると、本来の目的を見失ってしまうからだ。
大昔の話、吾輩が幼稚園の年少組の時のことだ。今はどうか知らないが、4歳当時通っていた幼稚園の運動会でよくわからんが、踊ることになった。お遊戯というやつだ。風邪か何かで数日休んだ影響もあったのだろうが、振