隠れた貢献
本人が意識していなくても、誰かの人生を大きく助けていることがある。大きくというか、ものすごくというか。
お金の有無とかよりも、何をしてきたのか? どんな行動を今するのか?
その行動の先に他人と一緒に作り上げてきた「物語」が自分だけでなく他人にどんな形(印象)で残っているのか?
その形(印象)が自分の評価となり他人の評価になる。
大病がわかり精一杯生きた叔母の話である。おそらく本人はものすごく重く考えていたわけでもないと思う。普通にどこにでもいる人。その時その時に応じて親とともに暮らすことが難しい子ども達の面倒を看る仕事をただただ続けていた。誰かに褒められるわけでもなく、ただ目の前の子ども達が少しでも前に進めるように手を添えることを続けただけ。それだけ。
その「それだけ」はひたすら続けていたことで多くの人の今に大きな意味を形作っていた。
叔母の通夜には想像以上の人が叔母のお見送りに来てくれた。
普段、ぼくらは今の状況に集中して生きている。過去のことをいつも考えているわけでもない。しかし、過去の体験や感情の動きはぼくらの人生の物語にしっかりと組み込まれている。
同僚や以前ともに過ごして大人になった子ども達。
その全員とともに紡いできた物語が、それぞれの人生の骨格の一部になっている。
そして、彼らはおそらく気がついていない。
特に今も親と暮らせない子ども達と共に過ごす叔母の同僚の方々は。
すでにあなた方も誰かの人生の骨格の一部になっているということを。
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