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会社の評価をあえて捨てた4月だった。

諦めるは明らかに極めることらしい。詳しくは調べていないので断言できないけれど、明らかに極めるのは難しいから、なかなか諦められない、未練が残るのかもしれない。

仕事の話。仕事では求められている振る舞いを言われても、すぐに理解できるわけではない。雇われの場合は都度都度対応して、その状況に適応するしかないと考えている。求められていることが、自分にとって受け入れられないほど嫌いだと感じれば、仕事を辞めるという選択肢をおそらく選ぶだろう。

生活が苦しければ、辞める準備を始める。
有給休暇を使いながら転職活動をする。そういう手もある。
今の給料が高いなら、すぐに動かせる資金は銀行預金へ、中長期なら投資信託へコツコツと投資をするのも一つの手だなと、今は思っているし、やっている。

人それぞれ状況があり、どこまで我慢するかも人それぞれだろうけれど、今の状況が良くても悪くても過信しすぎるのは危険かもって思う。

今年はこれまでやってきたことをキッカケに思いがけない一歩を踏み出す一年になるかもな〜と思っていて、まあ思っているだけなので、実現するかは自分だけでなく、周囲の協力次第、つまり自分を含めたチームの動きしだいかなと。チームというほど組織だっているわけでも無いけれど。

4月前半、あまりに仕事で何をやって良いかわからず、というか仕事が少なくてその間に仕事で求められることを勉強する時間にあてるなどしていた。(結論から述べると、孫氏の兵法の「敵を知り己を知れば百戦危うしからず」を実践しろということだった)
自分が仕事を作る側ではない雇われの場合、基本的には上から依頼された仕事をする。その依頼が少ないと暇になる。依頼から派生した作業や業務を行う。これが雇われの仕事だな〜と今わかった。

ここ二年ほど仕事をどう作っていくかを考えていたのだけれど、仕事を作って収益を得る、いや、売り上げをあげることがものすごく難しいなと思っていて、普段の仕事はそもそも自分で仕事を作る側では無いからこその時間をよりうまく使う必要があるところが難しい。

あまりに暇だと仕事をすること自体が苦痛になる。
そこで上司や同僚の評価を捨てることにした。評価されなくても良いことにしたのだ。各業務の目的をクリアにし、理解を深め、その目的の実現により集中することにした。その行動の結果、評価が下がろうが上がろうがどうでも良いし、本当にどうでも良いのだ。

上司含めて他人からの意見等は「業務の目的」に近づくものなのかどうか、自分が理解していた目的が果たして本来の目的なのかのチェックするためにあると捉えている。
それでも落ち込むこともあれば後悔することも出てくるだろうけれど、他人からの評価を気にしすぎると、本来の目的を見失ってしまいがちになる。だってそうじゃないかな? 他人に認められることが行動の第一目的で、その次の業務の目的達成となると、目的に近づく行動から外れやすくなる。

なので、企業的にはよっぽどのことがないと無いけれど、正直、普段している仕事はいつ解雇になっても良いし、続けても良いしと考えている。半分趣味みたいに働いている。

多分、9月以降は、完全に趣味で働くことになるかもしれないな〜
そうなったら、より成果を出してしまうかもしれないな〜
逆に、損害出してしまうかもだけど。

目的達成をするために、どんどん動いて、理解を深めて、どんどん成功も失敗もしていけば良いと思っている。失敗は痛い。痛いかもしれない。けれど、初めからうまく歩ける幼児がいないのと同じで、失敗から学び、同じ失敗を繰り返し、少しずつ上手く歩くことを学び続ける方が、繰り返した試行錯誤が後々めちゃくちゃ財産になって、やることなすこと成功しちゃう可能性が増えるな〜と実感している。

知らないことは知らない、わからないことはわからない。他人のことなんて全くわからない。見えていることは限られているし、わかっていることも少ない。にもかかわらず、相手の機嫌をとることを無駄に重視して、業務目的を見失うくらいなら相手の機嫌なんて捨ててしまうくらいがちょうど良い。

当然、業務目的を現在的にも将来的にも達成するために、あれやこれやのテクニックは使っているけれど。

【追記】
4月は初めてシベリア少女鉄道のお芝居を見た。
わけわからんかったけど、面白かった。
「恋は始まったのか?」
ええ? あのキャラは人間?
とにかく、パラレルワールドなお芝居だったな〜
初めて食べたゴーゴーカレーが思いのほか、美味しかった。


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