アリストテレス「ニコマコス倫理学」を読む:菅豊彦著 書評
<概要>
アリストテレスの講義録を息子のニコマコスが編集した「ニコマコス倫理学」の内容をソクラテス・プラトンから続く古代ギリシア哲学の流れの中に位置づけた上で、その詳細について哲学に馴染んでいない人にも分かりやすく解説した著作。
<コメント>
「ニコマコス倫理学」通読後に、その理解の一助として読ませていただきましたが、非常に分かりやすく、かつ内容も整理されているので原典を読むのが億劫な方は本書の通読をお勧めします(時間のある方は原典にトライすべきですが)。
以下ニコマコス倫理学の内容以外で、興味深かった内容「序章」の概要をメモる。
■「ピュシス」「ノモス」という二つの正義
著者によれば、古代ギリシャ人は人間社会の自然の正義=ピュシスは、ホッブスのいう「人間の自然状態は万人の万人に対する戦いの状態=弱肉強食の社会」として捉えており、これをいかにノモス(法と秩序)と統合させていくか、がソクラテス・プラトン・アリストテレスの倫理的課題だとしています。
したがって古代ギリシャの倫理学は、政治学と密接不可分であり「善き政治のためには善き倫理が必要」「倫理学は政治学の一環」というのが彼らの認識だったようです。この辺りは古代中国思想(儒・法・老荘・墨など)と全く同じ。
どちらも戦争が常態化した時代において、やり方はそれぞれですが、その目的=目指すところは「いかに世界を暴力に頼らないで秩序だった世界にしていくか」ということだと思います。
*ピュシス
人間社会の自然本来にある姿→自然の正義=暴力に基づく弱肉強食をよしとした社会(動物の正義と同じ正義の社会)。情念が支配した世界
*ノモス
法・慣習・規範を正義とした社会→法律習慣上の正義。理性が支配した世界
①ソロスによるピュシスとノモスの一体化
アテネの民主政治の礎を作った政治家ソロス。彼は戦争が常態化した古代ギリシャ世界において、自己負担だった武具購入のための債務増大の一方、戦果を上げてもその報酬が十分でないという平民の不満を解消するため、平民の「債務放棄」と「民主化」に向けた改革、つまりピュシスにノモスを付加することでアテネの秩序回復を成し遂げます。
②カリクレスの思想ーピュシスとノモスの分離
ソロンの改革によって安定を取り戻し国力を強めたアテネは、二つのペルシャ戦争とペリクレス時代(デロス同盟)を経た国際化によって、ソロンの法と慣習=ノモスは相対化され、ソロンのノモスが絶対ではない、という風潮がアテネに生まれます。
特にスパルタとの戦い=ペロポネソス戦争を経て「強き者が弱き者を支配する」という自然の正義(ピュシス)が復活。その時代の代弁者がプラトン著「ゴルギアス」にて、カリクレスとして登場します。
③ソクラテス・プラトン・アリストテレスによるピュシスとノモスの一体化
アリストテレスは、ソクラテスの善く生きるための試みを、プラトンの「善のイデア」を中心にしたイデア論を批判的に継承しつつ、理性に基づく法や習慣(ノモス)を、教育や訓練によって第二の自然(ピュシス)というカタチで、ピュシスに一体化させようとします。
このための実践的教育の講義録がニコマコス倫理学というわけです。
■学問(哲学)の三つの区分
アリストテレスによれば、学問には三つの領域があるといいます。これを整理すると、哲学の主要課題の三つに整理され、これが面々と近代哲学まで続いていることに気付かされます。
プラトンの提示した「真善美」の概念が、アリストテレスの導入した学問の三区分に見事に対応しているし、その系譜を受け継いだ(かもしれない)、近代哲学者のエマニュエル・カントが三つの主要著作を対応させているのも興味深い。
現代風にいえば「まずは事実をきちんと認識し(認識論)、その上で何をすべきか選択し(道徳論)、その上で何を作るかを決める(芸術論)」。
ちょっと強引にストーリーづければ、こんな流れで学問を位置付けた上で、高潔な人を育てるための教育を推進したのがアリストテレス。
そしてその教育によって育った高潔な人(=賢明なる人格者)が知的・社会的能力を発揮し続けることこそが幸福であり、彼らが政治家になってこそ、アテネは善きボリスとなる、としたのでしょう。