なぜ神と仏は分離されたのか「廃仏毀釈」について
「なぜ神と仏は分離されたのか?」
その答えは
「明治政府が神(と天皇)を利用して日本という近代国家を創造したかったから」
となります。
神と仏が分離されたことに伴う悲劇「廃仏毀釈」について、今回は最後に紹介した新書2冊を中心に読んでみました(2冊読むとさまざまな地域の廃仏毀釈の実態がわかり、興味のある方はセットでの通読をオススメ)。
日本列島では神仏習合といって「神と仏が合体している姿が、古代から江戸時代にかけて1,200年間続いた日本の宗教の姿」でした。そして基本は仏教であって、仏教の枠組みの中に神祇信仰を組み入れるというカタチ。
なので日本列島の歴史上の位置付けとしては、明治政府による神道国教化に伴う神と仏の分離は、1,200年以上続いた日本の宗教のカタチを廃した、全く新しい日本の宗教のカタチだったといえます。
本題の廃仏毀釈も、この流れの中で起きた事件でしたが、その多くは明治政府の思惑(神と仏の分離)とは異なった方向にいって過激化してしまい、多くの仏教関連施設や仏像、経典などが廃棄されてしまいました。
廃仏毀釈とは、
明治新政府の神道国教化政策に依拠しておこなわれた仏教排斥運動であり、神仏分離令(※)の布告・通達に伴い、仏堂・仏像・仏具・経巻などに対して各地で起こった破壊行為である。廃仏毀釈=仏を廃して釈を毀る(そしる)(「廃仏毀釈」より)」
※神仏分離令とは、
1868年3月13日-12月1日の間に相次いで出された太政官布告、神祇官事務局達など一連の布告・通達の総称で、これらに基づき、それまで神仏習合の状態にあった神社仏閣において仏教色の排除と破壊が行われた(同上)
では、廃仏毀釈はなぜ起きたのか?に関しては「仏教抹殺」の著者鵜飼秀徳が、以下四つに整理しています。
①権力者への忖度
特に過激だったのは、幕府につくか新政府につくか迷った挙句に新政府についた松本藩、苗木藩(長野県中津川あたり)。政府に取り入ろうとして徹底的に寺を破壊し、苗木藩の東白川村にはこれ以来、寺はもちろん仏教徒も皆無らしい。
伊勢神宮に次ぐ社格の宮崎県鵜戸神宮も元は神仏習合のお寺さん(鵜戸山仁王護国寺)で、この場合は薩摩藩に忖度して飫肥藩が、寺→神社に転換。
奈良の興福寺を主導した一条院・大乗院は神仏分離の政府方針を受けて率先して還俗し、春日大社の神主として奉職(公家関係はいつの時代も変わり身が早い?)。残った興福寺は捨て置かれて荒廃し廃寺状態。天平の仏像は焚き火の材料にされ、五重塔は売りに出されなど。
②富国策のための寺院利用
これは薩摩藩・水戸藩。仏教の力が弱かった薩摩藩、國學が水戸光圀以降盛んだった水戸藩では、寺が豊富に保有する金属類が兵器製造に有益と考え、仏像や鐘など、あらゆる金属類を接収して兵器の原料として活用。薩摩藩は廃仏毀釈によって1,000軒以上あった寺が全滅したらしい(今は主に浄土真宗が進出して487軒まで回復)。
③熱し易く冷め易い日本人の特性
これは日本人だけではないかもしれませんが、神仏分離を拡大解釈して、にっくき坊主たちを懲らしめる好機と考え、この機に乗じて大衆が過激化。とはいえ、破壊活動も1−2年で終息。別途、浄土真宗が過激化する状況を明治政府に訴えたことも、速やかな終息に影響したらしい。
④僧侶の堕落
江戸時代以降、お寺は戸籍の代わりとなった檀家制度によって仏教組織は既得権益化し、年貢などでも民衆を苦しめ、ひどいお坊さんは遊女を囲って奢侈に勤しむなど、江戸末期には堕落した僧侶も多かったらしい。また滋賀県の日吉大社など、長い間僧侶に虐げられた神官も多く、その鬱憤を晴らす結果ともなった。
自身もお坊さんの「仏教抹殺」の著者鵜飼秀徳によれば、廃仏毀釈は貴重な仏教関連の遺産を大量廃棄してしまった一方、肥大化して一部堕落した仏教界のリストラ効果もあって、今も仏教がそれなりに成り立っているのは、廃仏毀釈によって堕落した仏教組織がスクラップされたからではないか、ともしています。
以上、それでは各地域で具体的にどのような惨劇が起きたのか?に関しては別途展開します。地域単位でみても漏れなく「革命」と呼ぶにふさわしい歴史的大事件で本当に驚きです(これが隠蔽されてきたのかと思うとゾッとしますが)。
■以下参照した書籍です
<概要>
タイトルは過激だが、内容は至って客観的。廃仏毀釈の実態とその遠因・原因を解説したお坊さん兼ジャーナリストの著者による著作。
<概要>
明治時代の廃仏毀釈の実態について、発端となった滋賀県の日吉大社など、日本全国各地で展開されたその運動の詳細について解説した著作。先月(2021年6月)出版されたばかりの新書。
<概要>
神社とお寺の違いについて、美しいグラフィックデザインを活用して紹介したムック
*写真:興福寺 五重塔(国宝)。2021年5月撮影
廃仏毀釈の一環で燃やされそうだったのですが、近隣住民から延焼のリスクを指摘され、燃やされずに無事残りました。本当に良かった。