見出し画像

一歩ずつ進む

あれは、今から4ヶ月前のことだった。3月に大学を卒業し、4月から新卒で入社した介護職を5月末で辞め、そこからドン底にまで落ちていった。

辞めた当初はすぐに転職活動をしようとしたが、思っていたよりも精神状態は悪く、絶望の道を歩んでいた。

6月になって、周りからのプレッシャーや重圧に耐えきれず、ふと脳裏に浮かんでいたのが3つの選択肢だった。

3つの選択肢


○刑務所に行くか
○自殺するか
○東京か広島に行くか

それぐらい精神状態が追い詰められ、無敵の人になろうとする、ほぼ鬱状態且つサイコパスな発想を抱いていたが

2022年6月22日15時20分。全財産を持ち出し、実家を飛び出して最寄りのJRの駅へと向かった。駅に着くと、取り敢えず切符を買い、東に行こうと決断した。行き先は未だ東京とは決めていないものの静岡方面へと向かった。興津駅で改札を抜け、東京行きの乗車券を購入し、東京へと本格的に向かった。

まさか本当に行くとは自分でも思っていなかった。今思えば、それぐらいメンタルがやられていたのだろう。

そして熱海で乗り換え、20時すぎにはJR新橋駅に到着した。そこから寝る場所がなかったため、東京在住の親友に連絡をして何とかホームレスになることは避けることができた。

約3ヶ月ぶりに再会することができて、その晩は一緒にダンスを踊ったりして久々に笑うことができた。ここから1ヶ月間、僕の東京滞在は幕開けしたのだ。

渋谷、浅草、赤坂、銀座、新宿、歌舞伎町、表参道、お台場、上野、秋葉原、丸の内、東京タワー、東京スカイツリー、自由が丘など至る場所に行った。

あんなに病んでいた者が、こんなに色んな場所に行くとは普通の人から見れば理解不能だろう。自分でも何が起きてるのか分からなかった。

ただ、日を増すごとに精神状態は落ち着き、オンラインで話した人とも会うようになった。

ここまではTravel✈️2022 Summer①でも述べた内容だが、

ここからは、その続きを書こうと思う。

プチ旅

8月から9月にかけ、名古屋、長野、横浜と色んな景色を観に足を運んだ。

また、最近会えていなかった人とも対面で話し、自分の近況を伝えたりとしていた。

そんななかで自分のなかで何かが前へ踏み出すきっかけとなっていった。

4つの選択肢

それが、4つの選択肢。

①事務職として働くか
②日本語教師になるため専門に通うか
③技能生管理団体で働くか
④フリーランスとして働くか

いつもなら決断を出すのに時間がかかることは殆どないのに対し、これまでで初めて非常に悩みに悩みまくった

旅行とか『何かしたいこと』があれば、咄嗟に行動に移して、気付いたら、行きたい場所ややりたいことはしているのだが

この時ばかりは非常に悩みまくった毎日で時だけが過ぎていった。

日本語教師になろう

そして10月1日。僕は日本語教師という道を志し、オープンキャンパスに参加して、ありったけの日本語教師に対しての質問をしたり

実際に授業に参加して、日本語教師を行う上でどのように学生に対して日本語を教えるかを肌で実感した。

そう思ったきっかけ

実は東京にいる間、4月に新卒で入社した企業の新入社員研修で出会ったベトナム人🇻🇳の友達、2019年10月にTwitterで出会ったトルコ人🇹🇷の友達から『日本語を勉強しているから教えてほしい』と日本語の学習を頼まれ、ボランティアとして日本語学習に携わっていたことがある。

ベトナム🇻🇳の友達は日本人の高校生よりも日本語が上手で、物凄く努力家で、しかも日本人でも取得するのが難しい国家資格『介護福祉士』を所持しているなど、まさに介護のプロフェッショナル。

トルコ🇹🇷の友達は最初、初めて広島で会った時は挨拶程度しか話せなかったのが、今年4月や6月、7月に会った時には日に日に日本語が上達していき、外国人のみが受験できる日本語能力試験の最も優しい級のN5に合格した。分からない表現は直接教えたりLINEなどでメッセージで教えたりした自分自身の指導も少なからず貢献はしていたかもしれないけれど、彼の努力があってのN5合格。これは滅茶苦茶嬉しかった!

こうした喜び、やり甲斐を感じられる点が異国の人と話すのに言葉の壁や不快感を感じない自分に合っているのだろうと思い、この道に進むことを決意した。

また正式に日本語教師の養成講座を受講し、学習がスタートしたら、それについても述べていこうと思う。

今日は以上です。
最後まで読んで頂き有難う御座いました。

今後も続編を2023年3月頃、公開します。
挑戦することを楽しみながら歩み続けていきます。

#日本語教師

#一歩ずつ進む

#日本語学習

#外国人

#国際協力

#教師

#教育

#第二新卒

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集