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私の67年

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これまでの歴史を自分の言葉で表したものをヘルパーさんに書きこんでいただいたものです。末永くお付き合いいただければ幸いです。
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重度障がい者のやりきれない思いを形に。社会参加、障がい者と健常者をつなぎたい。複雑な想いをほどきながら足跡を残していく。ボランティアを力に、想いの実現へ。

重度障がい者のやりきれない思いを形に。社会参加、障がい者と健常者をつなぎたい。複雑な想いをほどきながら足跡を残していく。ボランティアを力に、想いの実現へ。

第三章松の木福祉会
当時ボランティアや介護保険制度などなかったのでボランティアを集めるサークル活動から始めることにしました.

当時は重度障害者が表に出る機会などほとんどなく,家に閉じこもりがちだったので社会参加が遅れていたのも事実です。

そこで、私は社会参加を呼びかけていくためのボランティア集めから始めました。

昭和49年の3月下旬でした。

ボランティアを集めるために同級生のお兄さんに車に

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この世に送り届けてくれた母へ。    「 ありがとう 」と叫びたい。

この世に送り届けてくれた母へ。    「 ありがとう 」と叫びたい。

早いもんですね。
私が生まれこの世に生を受け早67年。
幼い頃から障害という二文字を背負い、

時には嫌な思いを受け、

時には涙を流し、

時には汗をかき送ってきた人生。

母の苦労を今ようやくわかる自分です。

私のために少なくとも母は67年間世話をかけ、

自分のために生きられず、

私の世話に明け暮れたそんな母のことを

亡くしてから痛いほど心を締め付けます。

今更のようにわがままだって

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私の67年

私の67年

 第1章 幼少期

私は身体不自由者で、生まれつき身体に障害を授かりました。

私が生まれたのは昭和29年の秋,
淡路島の村で産声をあげました。

この頃は,戦後より、9年も経っていない頃だったのでまだまだ社会全体が貧乏な人が多く、科学や建物や設備等もこれからという成長時期でした。

私が生まれた頃は、産婆さんが家に来られてのお産が支流のようです。

未熟児でかつ、へその緒が首に巻きつき仮死状態で

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父と母と女兄弟とボク

父と母と女兄弟とボク

父が商売に手を出し、家族もはじめは順調に思われていたのですが
うまくいくにつれて、女の人に走り、そこにお金をつぎ込むようになり
やがて家にも目を向けず帰って来なくなりました。

ちょうど私が中学生になった頃でした。

母親も私が中学1年になる頃から私から手が離れていき、少しは楽になったと思って暮らし始めたところでした。

しかし、またもや苦労がのしかかるようになってしまいました。

商売の借金とか

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