本日の読書 #078 「アブダクション推論と子育て」
参考書籍:『言語の本質』今井むつみ
第六章 子どもの言語習得2──アブダクション推論篇 より
アブダクション推論と子育て。
アブダクション推論とは、一言でいえば「結果を見て原因を推測する論理」のこと。
著者によれば、これは人間を人間たらしめる推論方法で、言語を習得する上においても極めて重要な論理だ。
例を挙げる。
朝、玄関を開けたら、目の前のアスファルトが濡れていたとしよう。
私たちはこう考える。
「昨晩、雨が降ったのか」
しかし人間以外の動物には、これが出来ない。
この事実は、人間の脳が極めて高度であることを示している。
ただこのアブダクション推論、考えてみれば不思議だ。
本来は、「地面が濡れている」からといって、雨が降ったとは限らない。
それは「誰かがバケツで水を撒いた」のかもしれないし、「散水車が通った」のかもしれない。
でも私たちは、そうは考えない。
無意識下に確率の高い原因を特定し、そこに結論付ける能力が備わっている。
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「子どもには考える力が必要だ」というのは昨今の子育て・教育のトレンドであるが、私はその力を身に着けるにはアブダクション推論能力をはぐくむべきだろうと考え、その方針で動いている。
本書にも、
とある。
一緒に公園に遊びに行く。
「アリが列になってるよ。何でだろうね?」と問えば、子どもは
「あっちに食べ物があるんじゃない?」と答える。
これも、アブダクション推論だ。
ただし気をつけたいのは、こうしたことをあまりにも繰り返すと子どもに嫌がられてしまうことだ。
そのうち、「わかんない!」「お父さんが教えて!」という具合になる。
そりゃそうだ。聞かれてばかりで楽しいハズがない。
だから聞くばかりでなく、単に「推論の材料を提供する」ことに徹するのも意識していきたい。
これは持論だが、子どもにとってアブダクション推論の材料は「大人同士の会話」の中に豊富に含まれると思う。
子どもは大人の話をよく聞いている。
長男から突拍子もない知識を披露されて「えっ、何でそんなこと知ってるの」と聞くと、「お父さんが車の中で、お母さんと話してたじゃん」と言われて驚くことがしばしばある。
きっと私たちの会話の中から「こういうときに大人は、こう考える」という推論のタネを、いくつも子どもは摘み取っているのだろう。
だからこそ「子どもの前でする夫婦の会話」には、特別な意味がある。