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部下から「老害と思われる上司」と「メンターと思われる上司」のたった1つの違い


朝の玄関前を掃除していると、落ち葉が。。。

落ち葉を見ると、なぜか、昔の上司を思い出してしまう・・・

なぜか・・・

まーそれはそれとして・・・

最近の「無能の鷹」を見ていると、若いけど「老害の人」っているよね。
「ソフト老害」って言うのかな・・・

そんなことを思って朝食を摂っていたら、面白い記事をみつけました。以下、ダイヤモンドオンラインの記事より。前田さん、ありがとうございます。

コミュニケーションにおいて
取り扱いが難しい「お節介」

「お節介」というのはコミュニケーションの中でも最も取り扱いが難しいものの1つであると私は考えています。なぜなら、当事者が「お節介は結構です」と断った場合でも、無理やりお節介をすることで事態が好転して、その本人にも良い結果をもたらすことがあるからです。

たとえば、老々介護で困っている近所のご家族を見かけて「周囲の助けを借りたほうがいい」と声をかけたら「迷惑をかけたくないから放っておいてください」と拒絶されたとします。それでも、お節介で役所などに手配をして、結果的にその家族が助かるというケースもあります。

 だから「お節介はしないよりしたほうが良い」と考える方も多いですし、メンターになるような方は実際に「自称お節介」な方が多いと思います。

 ただ、次のようなケースはどうでしょうか。

 ある会社の若手社員が、自分の企画書を企画会議に提出しようとしていました。するとその上司が、その内容を見て「ちょっと手直しをしたほうが絶対に企画が通るから、企画を少し手直ししてあげるよ」と言いました。しかし若手社員は「企画が通らなくても後悔しませんので、自分の企画のまま出してみたいです」と、その申し出を断ったそうです。そして結果的にその企画は通りませんでした。

部下への助言も
度を越せば老害に

 結果から見れば、「上司の言うことを素直に聞いておけば……」と思う人も多いかもしれません。ただ、もし上司の言う通りにしてその企画が通ったとしても、若手社員はきっと浮かない顔をしていたでしょう。上司の手垢が少しでもついてしまった瞬間、それは純粋な自分の企画ではなくなり「自分の原案をベースとした上司の企画」になってしまうからです。

 もし、若手社員の方から上司に「今度の企画会議で自分の企画を絶対に通したいので、直すべきところがないか見てください」と言ったのなら、上司が直したほうが良いポイントを指摘し、部下も素直に従い、「上司にサポートしてもらった自分の企画書」として提出することでしょう。そしてその企画が通っても通らなくても上司に会議後「相談に乗って頂きありがとうございました」と感謝するはずです。

上司に助言を求めないのは、「力不足かもしれないけれど、自分の力だけでやってみたい」という意思表示です。上司なら部下の企画を通したいと思うことでしょう。そしてアドバイスをする力量が自分にあれば、部下が拒否してもついお節介を焼きたくなります。

 しかしその気持ちが度を越してしまい「どうして好意を素直に受け取らないんだ!」と激昂してしまうと「部下の企画書に必ず自分のつばをつけたがる上司」と誤解され、老害扱いされてしまう危険性もあります。

あらゆることをカバーする
熱心なベテラン事務員

 あるベテラン事務員さんの話です。その方は事務処理の担当者として入社をしたのですが、長年働いていくうちに、ありとあらゆるさまざまな雑用(散乱する傘立てや給湯室のマグカップを整理したり、植物の水やりをしたり、空になったウォーターサーバーの水を交換したりといった、誰でもできることなのに、多くの人が見て見ぬふりをしてしまう仕事です)を請け負うようになっていました。

 雑用に対しても報酬が支払われていればいいのですが、ご本人もサービス精神が旺盛なのでボランティアでそれらの雑用をやっていました。

 ある日、新人の事務員さんが入社してきました。その人は、雇用契約通り事務処理だけをやっていましたが、周囲の人達から、「ベテラン事務員さんのように雑用もやって欲しい」と次第に雑用をお願いされるようになっていきました。

初めは入社したばかりなので断れず言われるがまま雑用をしていましたが、ある日「私は雑用分の報酬をもらっていませんし、ベテラン事務員さんが好きで雑用をやっているのはいいのですが、私は事務処理担当として入社したので、事務処理に専念させてほしい」と会社に言いました。

旺盛なサービス精神が
無自覚な老害行為に

 そして会社からはそれが認められたのですが、周囲からは「そういう雑用も事務の仕事の1つとしてとらえていいものなのよ」「雑用を通して社内の皆ともコミュニケーションがとれるのに」「ベテランの事務員さんはやってくれるのになあ……」と言われ、居心地が悪くなり結局辞めてしまいました。

 その後も、あまりにそのベテラン事務員さんがボランティアで雑用を一生懸命してしまうので、新しく入社してくる事務員さんがそれについていけず、何人採用してもすぐ辞めてしまいます。

結局ベテラン事務員さんは「一人事務員」として、社内に何十年も君臨することになりました。そのため誰にも業務の共有や引き継ぎがされることなく属人化してしまい、若い経営陣がバックオフィスの業務改善をしようとしたときに激しく抵抗され、マネジメントに大変苦労したそうです。

 サービス精神が旺盛なのは基本的には良いことですし「皆から頼られる存在」に実際になっているのでしょうが、仕事においてそれが過剰になってしまうと、その人は良くても後任の担当者が「相対的に」比較されてしまいます。

「今はまだいないけれど、いずれ引き継がなければいけない人」のことも考えていないと「自分だけ評価されてご満悦のサービス精神」となり、後輩や後任にとってはハードルの高い老害行為を無自覚にしている危険性があります。

部下からの相談時に注意すべき
「よかれと思って」の一言

 私もよくやってしまう反省すべきことの1つに、相談を受けたときに、相談されたこと以外のことについても「つい」「良かれと思って」指摘してしまうことがあります。

 たとえば「部下のマネジメントに困っている」という相談者が来て「先日、部下からこんな不満を言われたのだけれど、どう言葉を返したら良かったのか」という相談に、「私だったら、こう返すかな」と答えてそれで終わりにすればいいものを、「そもそも、そういうことを言われてしまうのは、あなたが優し過ぎると思うから、もっと……」と、相手が特に求めていないことまで言ってしまうことがあります。

『メンターになる人、老害になる人。』前田康二郎(クロスメディア・パブリッシング)

 相談者が「自分の性格が優しすぎてリーダーに向いていないのではないかと思うのですが……」という相談を受けたならそれについて答えればいいのですが、この場合は、相談者の立場になれば「いや、別に仕事上の部下の発言について相談しただけで、どうして自分の性格のことまで踏み込まれなければいけないのか」となってしまうこともあります。

 人は相談をされると「できるだけ相手に役に立つことをたくさん言わなければ」と思いがちですが、それによって「余計な一言」「相手が求めていない範囲」「相手が触れられたくない範囲」まで言ってしまう恐れもあります。

「まずは求められているものだけに忠実に打ち返す」という意識もメンターから老害に転じないコツではないかと思います。

ここまでが記事です。

やはり、どこの組織にもいますよね。。。

自分だけは、該当しないと思っている・・・あなた・・・

あなたも、該当しているかも。。。(笑)

では、また・・・

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