GPSSグループ

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マガジン

  • スイちゃんの菜遊記

    GPSSグループには、農業とエネルギーの資源循環を目的にした農地所有適格法人もあるんです。でも、すいちゃんはそこに所属しているわけではなく、個人で農業を楽しんでいるそう。

  • タイさんの取材ヨレヨレ日記

    タイさんは元全国紙記者。30年の記者生活で経験した苦労話、よもやま話を紹介します。皆さんが将来、メディアの直撃を受けた時、参考になることがあるかもしれませんよ。

  • サステなアクティビティ

    GPSSグループでは、ビジョンである「サステナブルな社会の実現」に向けて、社内で毎週、サステナビリティに関連する様々なテーマについて学び、従業員同士で話し合う場として「サステな会」を開催しています。ここでは、社内で好評の「サステな会」講義内容をシリーズでご紹介します。

  • 風日記

    GPSSグループには、CEOや仲間との対話を経て、サステナビリティという課題に向き合い始めた人もいます。カミーユは独自の感性を頼りに、サステナブルを体現するために日々挑戦しています。

  • 持続可能なアルゼンチンタンゴ

    アルゼンチンタンゴを週7で踊りながらGPSSグループでコンストラクションマネージャーを務めるHaruna(愛称:なーちゃん)です。サステナビリティが何なのかよくわかっていませんが、タンゴという切り口で持続可能性ってやつに迫ってやろうと思います。

最近の記事

スイちゃんの菜遊記 第13話 大根十耕

大根栽培の難しさは、やはり写真のような、又根になることではないでしょうか? 本来の大根は、根がまっすぐ下に伸びるので、こんなアッチコッチに分岐するのは、家庭菜園を始めた頃は多々ありました。 原因として、挙げられるのは・・・ ◆土の中に石ころが多く根がぶつかって避けるために分岐した。 ◆未熟な堆肥が残留して、根が逃げた。 ◆過剰施肥によって根が暴れた。 ◆他の作物の根が残り、 等々が挙げられます。 このため、回避策としては、 ●肥料・堆肥は、ひとつ前の作物の前に施し、大根

    • スイちゃんの菜遊記 第12話 米ぬかパワーが甘みを加速させる

      私の自宅と平塚の畑は、クルマで20分ほどの距離があるのですが、その途中には寄り道も含めて、かなりの数のコイン精米所があります。 全部ではないものの、ほぼ6~7割は、米ぬかがタダでもらえるのですが、冬は、人気があるのか早い者勝ちなのでなかなか入手できないのですが、夏場は余裕で大量にGetできます😀❗   私の場合、秋冬野菜に対して、元肥や追肥にと使用するわけですが、米ぬかは窒素、リン、カリウムがそれぞれ入っており、特にリン分が窒素、カリウムに比べて少し多めに入っているようで、窒

      • タイさんの取材ヨレヨレ日記㉕ 記者は服装もヨレヨレです

        地方支局へ配属された新人記者は殺人や傷害、窃盗などさまざまな事件を取材すると同時に、交通事故や火災の現場にも駆け付けます。事件、事故の取材で飛び回ることで、記事の書き方のイロハを学び、警察関係者など大切な取材先との付き合い方も身につけます。 新人記者だった私も、ある大規模な火災を取材しました。火災現場へ到着し、夢中で写真を撮っていると、飛んできた火の粉で顔面や首筋がチクチクと熱くなっていきます。ふと気づくと、着ていたジャケットも火の粉で穴だらけに。買ったばかりのお気に入りだ

        • タイさんの取材ヨレヨレ日記㉔ 夜討ちは太ります

          記者が夜討ち先で張り込み、帰宅した相手に情報を確認した後、記者クラブや本社に戻って関連記事を書けるのはとても運が良い日だけ。大半の夜討ちは空振りに終わり、記事にできるようなネタは得られません。 そんな日でも、取材先とのやり取りを詳細なメモに残して、同僚たちと情報を共有するのが記者のルールです。まだ、インターネットが普及していない時代は、こうしたメモは共用のノートに手で書きこむのが通例でした。一連の作業が終わると、もう夜中です。 それから夕飯を食べに出るとなると、行先は深夜

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        • スイちゃんの菜遊記
          13本
        • タイさんの取材ヨレヨレ日記
          25本
        • サステなアクティビティ
          14本
        • 風日記
          9本
        • 持続可能なアルゼンチンタンゴ
          4本
        • ゆずぽんの育児日記
          6本

        記事

          タイさんの取材ヨレヨレ日記㉓ バブル直後は怪しい人物がうようよ

          私が経済部の記者になったのは1990年です。株価は前年末に最高値をつけた後、下落続き。「地価は下がらない」という不動産神話も、不動産向け融資の総量規制と金利引き上げによって過去のものになりました。バブル崩壊が本格化したのです。 みなさんは、「AIDS(エイズ)」と呼ばれた企業群を覚えているでしょうか?バブルのに踊った代表的な企業、麻布建物(A)、イ・アイ・イ・インターナショナル(I)、第一不動産(D)、秀和(S)のイニシャルを並べたものです。金融機関など取引先に莫大な傷跡を

          タイさんの取材ヨレヨレ日記㉓ バブル直後は怪しい人物がうようよ

          タイさんの取材ヨレヨレ日㉒ カーナビがなかった時代の夜討ちは大変

          全国紙の記者は、入社直後にはまず、地方の支局に配属されます。支局では、夜討ち朝駆けの際には自分で車を運転するのが原則です。私が記者になったころにはまだ、カーナビが普及していませんでした。住宅地図と電柱の住所表示だけを目印に、慣れない道を運転するのはとても危険でした。   本社の記者になると、ハイヤーを使うケースが多くなります。プロのドライバーが運転してくれるので、移動中にヒヤッとするような危ない目にあうことはほとんどありません。ただ、カーナビがなかった時代は、たとえハイヤーに

          タイさんの取材ヨレヨレ日㉒ カーナビがなかった時代の夜討ちは大変

          タイさんの取材ヨレヨレ日記㉑ 取材先との飲み会はスクープの機会

          記者は、取材先と飲む機会が多くあります。大きなネタを持っていそうな相手と飲むときは、記者は大抵、二人で参加します。酒が強い方の記者が乾杯を繰り返し、そろそろ相手が酔っ払ってきたなと判断したら、もう一人の記者が「ところで、あの件はどうなってますか?」と問いただす。「飲み役」と「聞き役」の連係プレーが、記者のやり方です。 私もすっかり酒が弱くなっちゃいましたが、現場を回っていたころは、「どれだけ飲んでも酔わない『うわばみ記者』」の異名をとっていました。取材先との飲み会では当然、

          タイさんの取材ヨレヨレ日記㉑ 取材先との飲み会はスクープの機会

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑳ 非常事の取材は大変です

          2024年は元旦から大地震に見舞われ、波乱のスタートとなりました。非常事態になると、社会部の記者たちは間髪入れず、現地に向かいます。一刻も早く、現場の模様を全国に伝えたいという本能が、彼らを駆り立てます。 私は経済部の記者だったので、災害取材に直接携わることはありませんでした。天変地異などをきっかけとする金融市場の乱高下を取材したり、関連の大臣や経済人のコメントを取りに走ったり、いわゆる「後方取材」がもっぱらでした。 大変だったのは、「9.11」の時です。天災ではありませ

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑳ 非常事の取材は大変です

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑲ 記者は社内結婚が多め

          社内やライバル紙の記者と結婚する例は多いですね。みんな忙しすぎて、同業者や取材先以外とは話す機会がないためです。 同業者同士での結婚は、お互いの事情や苦労を良く理解しているので、夫婦喧嘩が少なくなるという説があります。記者の場合は、二人とも仕事でへとへとで、喧嘩をする余力が残っていない、というのが実情かもしれません。 私が働いていた新聞社には、特別に関係が深い信用組合がありました。給料の振込先は、全国に支店が多い都市銀行にするが、出張費などの経費を精算したおカネは、社内に

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑲ 記者は社内結婚が多め

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑱ デスクの大晦日

          新聞は元旦も配達されます。もちろん、テレビニュースも元旦に放送されます。元旦の紙面や朝のニュース番組を担当するデスクは、大晦日に出勤して作業に励みます。 私がデスクだった時は、大晦日もいつもと同じように出社。現場から出てきた原稿をチェックするのと並行して、編集局長室で開かれる「紙面会議」などに出席し、元旦紙面をどういう構成にするか、ほかの部のデスクたちと議論しました。 とはいえ、大晦日にはそんなに多くの原稿は出てきません。取材先の官庁も企業も、冬休みに入っているところが多

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑱ デスクの大晦日

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑰ 記者は短命?

          今年も多くの先輩記者の訃報が届きました。古希を迎える前に亡くなった先輩も複数います。秋には、大学で同期だった社会部の記者も、長い闘病の末、亡くなりました。   これまで書いてきたように、記者の日常はハードです。睡眠時間は短いし、ストレスも多い。体力に自信がないと、長くは続けられない仕事です。   私の後輩が、結婚式を数日後に控えていた時のことです。すでに社宅へ二人の荷物を運びこんでいたのですが、いわゆる「マリッジブルー」という現象でしょうか、相手の女性が急に結婚をためらい出し

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑰ 記者は短命?

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑯ 年末年始はパーティーの連続

          年末年始はパーティーの季節。様々な業界団体や企業が「年末懇親会」や「賀詞交歓会」といった名目で、ホテルの大広間を借り切ってのパーティーを開催します。   最も有名なのは、年明け早々に開催される「経済3団体賀詞交歓会」でしょう。日本経団連、経済同友会、日本商工会議所の「財界3団体」が主催し、主要な経済人や政治家を数多く招いて、とても規模の大きなパーティーを開催します。会場の出入り口には多くのテレビカメラが待ち構え、各テレビ局の女子アナが著名な経済人たちを捕まえて、新年の経済見通

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑯ 年末年始はパーティーの連続

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑮ 広報部は出世コース

          経済記者をしていると、広報部の方々との付き合いが多くなります。取材のたびに顔を合わせます。   私が記者として現場を回っている頃は、新人社員や就職希望の学生にとって、広報部は人気の職場でした。企画部門、国際部門の頭文字と合わせて、「人気の3K職場」と言われたものです。 人気になるのも当然です。広報部のメンバーは若いころから、記者会見やインタビュー対応の場などで、会社のトップたちと接する機会が数多くあります。社員数が万人単位の大企業では、若手社員がトップと一緒に働く機会などめ

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑮ 広報部は出世コース

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑭ 大物政治家の殺し文句

          ある官庁記者クラブのキャップをしていた時のお話です。香港で数日間にわたって開催される大きな国際会議へ出席する大臣の同行取材をしました。 取材の利便性を考え、大臣と記者団は同じホテルに宿泊するのが原則です。この出張では、会議場に近いホテルが宿泊施設となりました。 ある日、朝食をとろうとホテル内のレストランに向かった私は、大きなテーブルに座っている大臣を見つけました。秘書官とSPを連れて、3人で静かに朝ご飯を食べていました。 私は迷わず、大臣と同じテーブルに座りました。もし

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑭ 大物政治家の殺し文句

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑬ 記者ほど面白い仕事はありません

          新聞業界の地盤沈下が止まりません。 部数は急減。通勤電車の中で新聞を読んでいる人をまったく見かけなくなりました。ある小学校で、「工作に使うので、古新聞を家から持ってきてください」と呼びかけたら、自宅で新聞を取っている児童が一人もいなかった、という笑えない話も聞こえてきます。インターネットとスマホの普及が、市場を急速に奪っています。 テレビだって安泰ではありません。CMはインターネットに奪われ、人もうらやむ高給取りだったテレビマンの懐にも、寒風が吹きつけています。視聴率がな

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑬ 記者ほど面白い仕事はありません

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑫ サリンで吹っ飛んだスクープ

          「戦後50年」となった1995年は、いろいろな事件が起きた年でした。1月には阪神・淡路大震災。この連載で以前に書いた「東京銀行、三菱銀行の大合併」。そして、オウム真理教による地下鉄サリン事件。年明けから途切れなく、大ニュースが相次ぎました。 地下鉄サリン事件という超ど級の大事件が起きたちょうどその日の夕刊で、私は金融関係のスクープを放っていました。ある銀行が傘下のノンバンクへの支援を打ち切って破綻させる、という特ダネです。 当局による「護送船団方式」で守られてきた国内の銀

          タイさんの取材ヨレヨレ日記⑫ サリンで吹っ飛んだスクープ