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隣の芝生は青く見える。味方同士で争う。

同じ被害者同士なのに争う理由にもなるんだ。


どうやら想像以上に他人は良く見えるらしい。病んでいる人の方が普通を求めていると聞いたが、これは割と本当なんだろうなって思う。
今回はそれをテーマにまとめてみようと思う。

人によって「普通」は違う。

これに関しては学生の時から段々と選択肢が広がっているように見える。
学校から帰ってきたらバイトに行くのが普通。
学校から帰ってきたら自由。塾や習い事。友達と遊ぶのが普通だったりと。
勿論、何かの理由で学校に行けていない人もいる事は事実。

こう考えてみると他者と比較してもあまり意味がないことに気付けると思う。

生まれた境遇によって、当たり前は軽々しく変わるからだ。

他人はそれほど気にしていない、それは気にするほどの情報が出回っていないからである。

言い方は非常に悪いが、基本人は表面上の情報で勝手に判断して、勝手に広めたりするのが人間なのだ。良い情報も悪い情報も確証がないが広める。
良かれと思って、とんでもない情報を流す人もいるだろう。

普通は存在しないからね。仲がいい人というのはその「普通」が近い人同士で仲良くなれるのだと思う。いい意味での「類は友を呼ぶ」と言ったところか。

お互いの常識は非常識でもある。情報が出回る回らないの時点でカオスな状況なのだ。「何を当たり前、常識として」話を進めているのだろうか?

当たり前は当たり前じゃない。

これは最近よく思う事だ。パートナーがいるのは当たり前だよね!働いているのが当たり前だよね!趣味を持っているのが当たり前だよね!
個性を持っているのが当たり前だよね!ペットがいるのが当たり前だよね!

どう思うだろうか、本人が幸せそうにしているならいいが、様々な事には悩みが付きまとう。多少羨んでしまうかもしれないが、状況によるだろう。
友達以上じゃないと実際な所を話してもらえないのが事実。
上辺の関係性じゃキラキラ輝いている部分しか見ることができない。

僕も相手もずっと物事が上手く行くという確証はないからだ。

言えない事の方が多い、というより言わない方が多い。

言っちゃ悪いが、多少の信用がなければ言えることも言えない。
以前、自分で書いた記事でも言ったけれども、疑うのは簡単であり、信じる事の方が難しいと書いた。

お互いが相手を信じられると判断をしてから、深い話ができるようになるのだ。初対面の時点でベラベラ話せるものでもないし、最初から決めつけるのは浅はかだと思う。

勿論、ゼロにどれだけ掛けてもゼロのような関係性は存在するので
時間を掛ければ仲良くなれるという理論は足早に捨て去った方が良い。
合わないのは合わない。お互いの「普通」が遠ければ理解し難い場合もあるからだ。住む世界が違う可能性も大きくある。

時間の無駄というより、ただ自分の見る目がなかっただけ。
他人をどれだけ責めても失った時間は戻ってこないのである。

最初から期待も信頼もされていない状態で開始することもある、最初から自分は期待や信頼を持ち合わせているなんて綺麗事は捨て去った方が良い。

そっちの方が幾分楽ではある、疑うのは簡単だから。
根も葉もない人さえ疑えてしまうのが事実だから。

自分の普通と他人の普通を擦り合わせることが大事。

僕達はエスパーじゃない。とにかく一歩でも自己開示する事が大事なんだと思う。裏切られるのは怖いかもしれないが、言いづらい所をいきなり言い出すのではなく少しずつ距離を縮めていく事が得策だろう。
焦らないことは何事も大事だ。「思い込みと早とちり」
これだけには本当に注意したいところだと、自戒の意味も込めて伝えたいと思う。


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