沖縄県南大東村を踏破 その7<日本全市町村踏破(制覇)>
2018年4月30日。ゴールデンウィーク沖縄未踏市町村集中踏破三日目、第二村、南大東村。
塩屋プールから、島の西側を北へ向かって行く。まずは西港へ。
南大東島にも、小規模ながら、北大東島の燐鉱石貯蔵庫跡のような、近代の建造物が残っている。
これはボイラー小屋として建てられたもの。
西港近くの上陸記念碑。三本の柱が立っており、いずれも大東諸島を初めて開拓した玉置半右衛門に関係したものだ。
右の柱は、玉置の命で南大東島へ上陸した第一回洋丸船長・小島岩松の上陸記念碑。中央はその後沖縄近海で暴風雨に遭い死亡した小島岩松と、開拓所事務長・山田多恵吉の碑。左は大東諸島以前から玉置が開拓していた伊豆諸島・鳥島の爆発記念碑。玉置は鳥島のアホウドリの羽を使った羽毛布団の生産と輸出で巨万の富を得た(その為鳥島のアホウドリは一時絶滅寸前にまで追い込まれた)が、鳥島が大噴火して事業の為移住していた島民が全員死亡し、事業は終わった。
こちらも西港近くに立つお地蔵様。仏教の普及がさほど進まなかった沖縄には、路傍に地蔵菩薩像を祀る信仰がないが、八丈島からの移民が主体となって開拓された大東諸島には、このように、お地蔵様が存在する。
こちらの花崗岩で出来たお地蔵さんは、玉置とともに渡って来た最初の開拓民、大沢仁太夫の妻が、夫の死後、遺言に従って建てたものである。
島の北西端にある南大東漁港。
隆起サンゴ礁の断崖を発破、掘削してコンクリートで固めた漁港は、軍事要塞のような威容を誇る。
この漁港の完成により、漁船ごとクレーンで上げ下げして出漁・帰港する必要がなくなった。ただし、長距離フェリーが停泊できる大きさではない為、あくまで島の漁船のみが使用している。
島の北端近くにある「バリバリ岩」へ。南大東島は、フィリピン海プレートに乗って年間7cm北西方向へ移動しており、そのために巨大な岩盤が裂けて行くらしい。そうして岩がバリバリと裂けているので、「バリバリ岩」というのだろう。
一歩岩の裂け目へ入れば、そこは異世界。
岩盤の裂け目に亜熱帯の樹木が茂り、摩訶不思議な光景。
夢にでも出て来そうな光景だ。
奥へ進んで行くと、岩穴があって、向こうに突き抜けているのが見えた。岩穴の中は、結構急な下り坂になっている。
岩穴を抜けた先は、両側の壁が一層高い岩の裂け目となった。
岩の裂け目のさらに奥深くへと降りて行く。
岩盤のクレバスの底といった趣き。
日本とは思えない光景。海外の世界自然遺産を訪ねる番組でも観ているかのようだ。
最奥は裂け目の上部が閉じて、洞窟となっている。
洞窟の天井からは鍾乳石が垂れ下がっている。
洞窟を少し入ったところ、、地面から岩がそそり立つところで、行き止まり。しかし、奥にいくつか小さな裂け目が見えるので、その先は、恐らく鍾乳洞となっていることだろう。
大東諸島は明治になって開拓されるまで無人島であったが、もし、もっと昔、「ウフアガリ」と琉球語で呼ばれていた時代に、沖縄の人々が定住していたなら、ここは確実に御嶽となったことだろう。
実のところ、バリバリ岩のことは事前にあまり調べていなくて、宿で他の宿泊者と会話していて、「変な名前だな」と意識し、最後に巡ってみたのであるが、南大東島必見の場所と、島を訪れる人には推薦したい。
バリバリ岩見学後は、宿へ戻って車を返し、空港へ。
南大東島とも、これでお別れだ。
市町村踏破数は前回投稿から変わらず。
沖縄県全41市町村のうち、31市町村踏破、残り10市町村、達成率75.6%。
九州・沖縄全274市町村のうち、263市町村踏破、残り11市町村、達成率96%。
日本全国1741市町村のうち、1723市町村踏破、残り18市町村、達成率99%。