自己紹介と簡単な自叙伝
三日坊主になるかもしれないけどnoteに登録してみました。
幼少期から今までの自己紹介をします。
幼稚園から専門学校へ行くまで
幼少期の頃、自分が一番偉くて強いと思っていたので幼稚園ではガキ大将だったのに、父の仕事の関係で転勤する度にその土地の雰囲気に馴染めず、転入生なのに偉そうにしていたので、いじめにあい挫折と人生最初のどん底を味わうがそのお陰で人の心に入り仲良くするにはどうしたら良いかを体感的に学びコミュニケーション能力が身につく。
学校の勉強は苦手でいつもテストは20点から30点位、毎日学校へは遊びに行く感覚で通っていた。小中高と全く勉強をせず受験勉強も全くしなかったので、私が通っていた高校は、朝、校門に仁王立ちで竹刀を持ちパンチパーマを掛けた体育の先生が立っているような高校にしか入学できず。
でも、私はヤンキーはなくてファッションとしてボンタン(学生服のズボンの呼び方)を履きパーマを掛ける程度で至って普通の高校生で過ごす。
高校で一番ハマっていたのがコピーバンド。中学1年生でエレキギターを購入し兄の影響でその頃からライブハウスへ行ってライブ鑑賞し刺激を受けてバンドを組むが中学2年生で転校してしまったので、それ以来触っていなかったエレキギターを高校でまたバンドを新たなメンバーで復活させ、ライブの時には頭をダイエースプレー(超強力な整髪スプレー)で逆立ててギターを弾いていた。
学校生活では、授業中に抜け出して、お昼前に弁当屋さんに行き弁当を買って学校裏で早弁をしたり授業中は寝ていたりと全く勉強をしなかったので大学には当然行けず…!笑
高校卒業後に仕事をしたくなかったので何となく専門学校へ行くことに。
専門学校でも遊んでばかりで学校へは通っていたが友達と遊ぶために通っていた感じで、卒業はしたものの学校で勉強した事は殆ど役に立たずCM美術の会社へ就職する。
フリータで自遊人へ
就職はしたが暫くしてアメリカに留学したくなり、お金を貯める為に半年間でその会社を辞め、割の良いアルバイトに仕事をチェンジ。いわゆるフリータへ。
フリーターになり当時の月収は、30万から40万円近く稼いでいた。お金は貯まったが趣味の多い私は四駆車を買い、スノーボード、サーフィン、ウエイクボードなど横乗りスポーツにハマり週一の休みの日は必ず山か海か湖へ行って自然の中で遊んで過ごす。
貯金もある程度、溜まっていた時にアメリカに留学していた友人から「キャンピングカーで旅をしないか?」と言う誘いに二つ返事で行く事に!日本から友人3名、アメリカに住んでいる友人と計4名で人生で忘れられないアメリカ縦断旅行を約1ヶ月間楽しむ。
ワシントン州にあるロイヤルシティと言う小さな町からスタートしアイダホ→モンタナ→ワイオミング→コロラド→ニューメキシコ→テキサス→アリゾナ→ネバダ→カルフォルニア→オレゴン→ワシントン州のロイヤルシティへ戻る。
1ヶ月間キャンピングカーで移動しながら泊まる所は、殆どがキャンピンググランドで毎日、日が暮れる前(ランタンを持っていなかったので)に夕食の支度を自分たちで作り、殆どがチリビーンズの缶詰とパン、時には釣りをしてレインボウトラウトをおかずにする事もあった。
イエローストーン国立公園内では、バッファローに追いかけられ焦りと恐怖で湖に落ちて足が泥んこになったことも。
1か月間の間に多くの体験とアメリカの広大な土地や自然の偉大さに気づかせてもらう。
また、同じくフリーターの時に1ヶ月間ニュージーランドへスノーボードトリップへ行ったり、ニューヨークのマンハッタンで3ヶ月間、ラーメン屋でアルバイトしながらマンハッタン生活を楽しんだりと自由奔放に過ごしていたので結果的にアメリカ留学は出来ずそのままフリーターで過ごす。
挫折から起業へ
だが元々、会社経営をしようと思っていたので社会勉強をしたいと考え、フリーターを初めて5年目の時に就職活動をすることになる。しかし、いろいろな職種の会社を40社程面接を受けるが全て落とされるが最後にスポーツ商品の商社へ内定が決まり喜んで働いていたら何と、その会社は入社後1ヵ月で倒産してしまった。元々、私が入社する前から倒産は決まっていたが、倉庫整理などで私を採用したようだった。その時の私は、ショックのあまり自信喪失と挫折感を味わい1ヶ月間引きこもりをする。
その時、周りからは散々、ドリームキラーの言葉を投げかけられた。私が会社経営したいということは、周りの人に話していたが、殆どの人は、「お前は大学にも行ってないんだから会社経営なんて出来ないよ」とか「フリータが社長にはなれないよ」とか「就職も出来ないんだから無理だろう」など色々言われていたので、それも重なって相当落ち込んでいた。
しかし、中国のことわざで人間万事塞翁が馬という言葉があるが就職できなかった事が後々功を奏することに。
引きこもりからまた元のフリーター生活へ戻ったある日、同じ職場で働いていた17歳年上の方に「一緒に起業しないか?」と声を掛けてもらい即「やります!」と返答しその後、半年間準備をして4人で起業する。自分の夢に一歩近づくことに!
その起業ではある業界に特化した人材派遣会社を設立し10年間役員を務めた。
フリーターからいきなり経営者となり、営業、マネージメント、総務など諸々の仕事が初めてだったがビジネス書を浴びるほど読み漁り、試行錯誤しながら会社を成長させて行った。余談だが元々、私は学校の勉強をしてこなかった為、本を読む習慣が全くなく、しかも読めない漢字も多かったので殆ど本を読んでいなかったのだが、経営者になったきっかけから今では書斎に1000冊以上の本が並ぶことになり今でも沢山本を読んでいる。
会社を成長させて行ったが、しかし、その道のりは大変険しくストレスと忍耐の日々。
社長となった17歳年上の方と3人の役員との経営方針の衝突が毎日、業務が終わってから繰り返され、無駄な精神力を使い疲れ果てていた。
そんな状況を打破したいという思いから起業して3年目の時に、支店を開設するために事業計画書を書き、役員会議で承認され支店を開設することなった。本社を離れ他の役員とも離れ1人で支店長として5年間務める。
支店を開設してから3年目の時には、本社の売上を超えて支店を成長をさせるが日々のルーチンワークと刺激の無い日々に飽きてしまい新しい事を始めたいという思いが沸いてきたので、マーケティングと準備を半年間掛けて新規事業を立ち上げ事業部を作る。
新規事業といっても別のある業界に特化した人材派遣でその業界には競合となる派遣会社が存在していなかったので独占状態。売上は初年度で3千万円以上となり急成長事業部となった。
その新規事業を1年間務め売上も安定し、会社全体も成長させてきた満足感で「もうこの会社でする事はないな」と思い、またゼロから自分で会社を立ち上げたいという気持ちとなり10年間役員を務めた会社を辞任しその後、今の会社を設立させた。フリータの時に抱いていた会社経営(社長)が遂に叶うことに!
2度目の起業もハプニングで鬱
2度目の起業でも順風満帆とは行かず、2008年2月に私が代表でもう1人の役員と2名で会社を設立後、同年8月にリーマンショックが襲い、世の中は徐々に不景気となる。それに伴い会社の売上もドンドン下がる一方で私の頭の中では、「倒産」という文字がずっと離れず、とうとう精神を病み鬱になってしまった。
当然、社長(私)が鬱状態だと徐々に会社の士気が下がりだし社員が辞めていき一緒に起業した役員も辞任することになり、残ったのは私と当時パートの女性一人のみ。
一緒に起業した役員は、違う業界で起業したいという理由で出資金を返却して欲しいと申し入れがあったが、既に会社の資本が殆どない状態の中、なけなしの出資金を返却した。
しかし、その数ヵ月後その役員は競合会社を立ち上げ、同じ業界のパイの奪い合いをすることになる。
当時は、鬱状態にも関わらず、傷口に塩を塗り込まれるほどに追い組まれたが、これも人間万事塞翁が馬のことわざ通りに。
会社が倒産しそうな時に社員や役員が辞めていき、資金も底をつく時に、よりによって元役員が競合会社を立ち上げるとは、予想もしなかったし裏切られた事にとてもショックが大きかった。しかし、その結果、役員報酬、社員給与等の固定費が下がった事で会社を存続できることになったので結果オーライとなる。
しかも、その競合会社は後発だったので、多くの資金を使い広告宣伝し新規のクライアントを集めていたが供給が追い付かないためにその新規クライアントは自然と弊社に流れてくるようになり、弊社は広告宣伝をせずとも売上と信用が上がっていった。要するに競合他社がマーケットのパイを広げてくれたこととなる。
そして、話を私の鬱に戻すと2009年後半から2011年3月まで鬱が続いたが、ある出来事を境にピタっと治ってしまう。
鬱の状態は、なった人はお分かりだと思うが、思考が回らず、やる気もなく誰にも会いたくなく生命力もなくただ廃人のように生きていた。その間、パートで残った一人の女性が会社を支えてくれて会社は倒産ギリギリから回復の兆しが見えてきた。しかし、2011年3月11日東日本大震災が起きる。
リーマンショックから徐々に景気も回復しこれからようやく会社も軌道に乗せられると思たった矢先の出来事でその当時は、「もう会社や自分なんかどうにでもなれ。。。」と投げやりになっていた。
ボランティアへ行く
その当時、私は全国で約500名近くの社長が集まっている経営者団体に加盟しており、震災後直後にある1人の社長の呼びかけで、その団体で「物資を集めよう」ということになり全国から多くの物資が集まった。同時にその物資を現地に運ぶ方の募集もあったので当時の私は自分の命はどうでもいいと思っていたので、どうせだったら他人のお役に立ちたいという想いから手を上げて行くことにした。
蓋を開けてみると物資集めの呼びかけをした社長と私の二人だけ。500分の2。。。
丁度その時は、震災が起きて2週間ほど経った頃で、放射能が危険という報道が広まり多くの社長達は東京から離れて海外へ行ったり地方へ避難している人が多かったので誰も放射能を浴びに行きたがらないのは当然だった。
結局、たくさん集まった物資を二人で被災地へ届けることになる。
最初に物資は仙台で経営者達が集まったボランティア団体の所へ届けることになり、現地の倉庫で仕分け作業があり、各被災地に必要な物を必要な分だけトラックに詰めなおし、その日のうちに我々と現地のボランティア団体と一緒に牡鹿半島の被災地に届けに向かった。
仙台市内から海岸沿いに近づくにつれ津波の傷跡が少しずつ露わになっていき、道も地震の影響で分断していて悪路になっていたが数時間かけて牡鹿半島に着いた。現地の津波に襲われた光景はTVで観ていた映像よりも凄まじく五感で感じ、全ての建物がグチャグチャに壊れていて悪臭も漂いホコリも舞っていて私は言葉が全くでないほど衝撃だった。
物資を現地の被災者の方へと直接渡したが皆さんが喜んでいない表情が印象的で私は2度も衝撃を受けていた。その時気づいたのは、被災者の方々は、一瞬のうちに家族も家も財産も全て津波に浚われ自分だけが生き残ってしまったという絶望感に近い想いだったのだろう。
鬱が一瞬で治った
それに引き換え、私は東京で会社が倒産して借金が出来たとしても命があればアルバイトしてでもお金は稼げるし、家もあって家族もいて食事もできて何不自由ない生活が出来る事に気づき、そこから鬱が治ってしまうことになる。後からNLPを学ぶことになり分かることだが、鬱が治ったその気づきを自分なりに検証すると、鬱当時の私の価値観の上位は「お金」であり、お金が欲しいのに会社が倒産しそうでお金がない状態となり自分の無意識の中で「怒り」が浸透して鬱になってしまっていた。そして、被災地で衝撃を受けた時の気づきで、自分の価値観の上位が「お金」から「愛」に入れ替わったので「怒り」が自然と消えていき鬱が治ってしまったのだ。
(※鬱病になる理由や治るきっかけは人によって異なります。)
そこから会社も徐々に軌道に乗っていき、パートの女性と2人で頑張り倒産は間逃れ徐々に会社の体力も私自身の精神も回復していった。そしてその後、パートの女性は社員となり役員となり今では副社長として活躍してくれている。当時、彼女がいなかったら今の自分はいないだろうと思うくらい私の命の恩人だ。
心理学の学びをスタート
2012年にはすっかり元気になった私は子供の頃から人の心理に興味(いじめに合っていたので、なぜいじめをするのか又されるのかという人の心の観察をしていた)があったので会社経営をしながらNLPを学び始めそこでNLPに関連した資格を2014年までに約2年間で幾つか取得することになる。
◆全米NLP協会プラクティショナー認定
◆全米NLP協会マスタープラクティショナー認定
◆全米NLP協会認定トレーナー
◆LABプロファイル®コンサルタント&トレーナー認定
◆米国催眠療法協会(ABH)認定トレーナー
◆国際コーチ連盟(ICF)公認NLPプロフェッショナルコーチ認定
その他、諸々学びでたくさんの資格を取得したお陰で自分自身の鬱が解放した理由が分かったり、自分自身もゴーチング®という名前でコーチとなり2014年暮れにはアメリカまで行き世界一のコーチと言われているアンソニーロビンズのセミナーにも1週間参加したりした。
子供の頃は、学校の勉強には全く興味がなかった私は、大人になって自分の興味のあることはとことん学びたくなり、NLPに関連するものをすべて受講していた時に、強制的にストップさせられる出来事があった。
私が通っていたNLPのスクールは割と大きなスクールで学生から社会人の方が多く学びに来ていてかなり人気のあるスクールだった。このスクールを紹介してくれたのは、著者でありセミナー講師である有名なAさんで、Aさんのセミナーに参加した際の休憩時間に直接「心理学を学びたいのですが何がおすすめですか?」と質問したら「NLPが良いんじゃない?」と教えてくれて「では、NLPはどこのスクールが良いですか?」と更に質問すると「Bさんが経営しているスクールが良いのでは?」と聞いたのでその後、直ぐに調べて申し込みをしてNLPを学び始めることになった。
AさんからBさんのスクールを聞いてそのスクール代表のBさんにも興味があった私は、たくさんの授業を受講していたので代表のBさんとも会う機会が多くあり、そこから少しずつ話をするようになってゴルフに行ったり、飲みに行ったりと仲の良い友達関係になっていったと自分では思っていた。
え?!突然なんで?!
しかし、ここでも人から裏切られる(あくまでの自分の解釈で)事になる。(以下は批判ではなくあくまでも事実を記載しています。)
その出来事は、そのスクールであるコースを受講中にそのスクールで知り合った私以上にNLPや心理学を学び尽くした年上の方から「今度、自分で心理学のスクールを開くのでアシスタントをしてくれないか?」とお誘いを受けたので「良いですよ」と応えその方が開催する講座のアシスタントをすることになった。
その事がBさんの耳に入ったようで、いきなり呼び出され一方的に「今受講しているコースは辞めてもらいます」、「今後、当スクールの授業は一切受けられません」と言われ今まで仲の良い友達だと思って接していた代表Bさんの言葉に唖然としてしまったが、なぜ、そんな事になるかを質問しても応えてくれなかった。この事件をきっかけに私がアシスタントを受けた年上の講師やその他数名がそのスクールから追い出されることになる。
これは私の憶測だが、当時、私はBさんのスクールで、たくさんの授業を受けていていがのでそのスクールで多くの知り合いができ目立っていた。なので他社が運営するNLP(心理学)スクールを私が手伝う事でそちらに当時の生徒さんが流れてしまう恐怖心から私の影響力を恐れ、そのような行動になったのだと思う。当然、私としては、他のスクールに勧誘するつもりもなく純粋にお手伝いをしたいと思っていただけなのに。
このような理不尽な出来事(これも私の解釈)に納得が行かず、頭に来て怒りが浸透したが暫くして直ぐに自分の感情は収まっていった。それは、NLPを学んだことで相手のBさんの感情や状況が手に取るように分かり許せるようになったのだ。
あの時、自分の怒りの感情(マインド)を手放さずにいたら、Bさんを恨み怒りを持ち続けた結果、自分自身の身体や心を痛めつけていただろう。そして今なら分かるが自分自身の魂はそのような辛い経験を自らが望んでいたのだろうと。その役割をしてくれたのがBさんだっただけである。
Bさんのスクールはとても良い講師が所属していて、また外国人の講師とも提携していて質の高い授業を提供しているので、NLPを学びたい方にはお勧めのスクールだと思う。
そこから暫くしてNLPから自然と離れコーチ熱も冷めていき本業の仕事に没頭しようと思ったおり、NLPスクールで知り合った方に「面白い学問があるけど学んでみない?」と誘いを受ける。それが帝王學という学問で王様や皇帝が学ぶ学問だけあって、とても幅広い知識と経験を教えてくれる先生と出会う。
突然の絵本出版
丁度、同じころに自分の中でNLPを学び尽くしたお陰でどうして、学歴が無くてもお金をたくさん稼ぐ人がいて、反対に高学歴であっても全然お金を稼げない人がいるのか?という事がはっきりと分かり、子供のうちから正しいお金の教育をした方が良いと思い、絵本を出版したいと考えていた時に、急にお金に関するストーリーが閃いた。しかし、自分では絵は描けないし...と思っていたら友人から絵の上手な方を紹介してもらいストーリーに合わせた絵を描いてもらう事となり、2014年に自費出版という形で「#ありがとうのおかね」という題名の絵本を出版する事となる。初年度は、全国の書店でも扱っていたが今ではAmazonかSTORESしか販売をしていない。
奥が深い帝王學を学ぶ
帝王學の授業は初級、中級、上級、師範代、などそれぞれ1年間のコースだったが、当時1年間、授業を受けてからでないと次のコースが受けられないというルールだったので、せっかちな私は一気に学びたいと思い、当時の塾長に直談判して前例がなかったが初級に通いながら、中級、上級、師範代、そして国造りと同時並行で5つのコースを受講することになる。
ここでも約2年間で約600時間以上、帝王學の授業は殆ど受講した。
この學門のお陰で#歴史、#文化、#経済、#統計学、#運命學、#形而上学、#霊学、#仏教、#神道、#自然の摂理等、#物凄く幅広い知識を知り、尚且つこの學門は、机上の授業と課外授業があり実際にその土地、その国へ行き実際に自分で歴史に触れたり体験して学ぶスタイルで私の人生観が大きくシフトすることになった。
校長を務めたり鳥居を建てたり
この學門を学んでいる間、会社経営をしながら1年間だけこの學門を広めるために校長先生にもなり、生徒を集めて教室を開講したが2年目以降は、ある事情で辞めることになり帝王學の学び自体も辞めてしまった。
このような學門を学んだので2018年にご縁があり弊社の十周年記念と森羅万象への感謝として京都にある#伏見稲荷大社に鳥居を建てさせて頂いた。
宇宙とスピリチャルの学びへ
その後も占いなどいろいろな学問を学んできたが最近熱中していのは、#スピリチャルや#宇宙の摂理に関してだ。この学びは、現時点で私の人生の最終章の学びだと思っている。
なぜ、そしていつから人間は地球に居るのか。
なぜ、人間は輪廻転生するのか。
なぜ、人間は宗教に依存したがるのか。
人生の目的とは何か。
エネルギーワーカーやチャネリングをする方の役割とは。
宇宙にはどのようなETが存在するのか。
スターシードとは。
ハイヤーセルフと繋がるには。
聖徳太子が言った「世間虚仮 唯仏是真 セケンコケユイブツゼシン」の意味とは。
などなど、自分なりの理解や解釈が深まるに連れて、また今までの人生経験と多くの学びでまだ完全ではないが自分の人生に対して達観できるようになってきているように感じる。
達観できたとしても聖人君主でも悟っているわけでもなく、ただ客観的に自分の人生を俯瞰できるようになっているだけだ。
2012年頃からたくさんのお金と時間を使い多くの事を探求してきたが今まであまりアウトプットをしてこなかったので少しづつnoteに書いていきたいと思う。
あ、最後に2020年3月からコロナ騒動の影響で弊社は売上が90%減っており同年7月現在もいまだにその状況が続いているが融資や給付金等で何とか存続が出来ている。この状況下だと今までの私なら不安と恐怖とでリーマンショックの時のように鬱になってしまうところだが、不思議と不安や恐怖は全くなく、ただ時を待ち、次の一手が閃くのを気長に待っている状態だ。
この状況も人間万事塞翁が馬になるのか?それとも。。。続きはまた、以下に続けて書きたいと思う。