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母親を諦めて、わたしがわたしを癒していく

母親は子供を愛するものだ。
きょうだいは分け隔てされず等しく愛されるべきだ。

これらはわたしの思い込みだ。真実ではない。
実際日々流れてくるニュースなどを見ても一目瞭然だ。
母親は今日も子供を殺し、きょうだいの中で最も弱いものを虐待する。

もしもこれらの思い込みから、「母性」という幻想から自由になれたら。
わたしはどれほど楽になれるだろう。

わたしの母親は母性がないわけではない。
妹や弟、孫たちにはとても優しいお母さん、いまでは優しいおばあちゃんだ。

けれど長女のわたしに関しては今も昔も「母性」が発動することはない。

わたしが自分の子供であることを母親はいとも簡単に忘れてしまう。
まるで愚痴を聞いてもらう友人のように、時には共に子育てをするママ友のようにわたしに接してくる。(母は妹の子育てを手伝っている)

でもわたしは母の子供なんだ。
母の友達だったことは一度も無い。今も昔も母はわたしにとって唯一無二の母親なのだ。冷たくされれば傷付くし、否定されれば心をえぐられる。

でもどんなに説明しても、責めても、泣いて懇願しても、母がわたしの思いを本当に理解することはない。

母は人の気持ちがあまり理解できないのだ。


今度こそは理解してもらえるかもしれない。
今度こそは寄り添ってもらえるかもしれない。
今度こそは優しくしてもらえるかもしれない。

そんな期待はすべて徒労に終わった。

期待しては裏切られ、それでも懲りずにまた期待してまた裏切られる。

いつまでこれを続けていくのだ。
期待するから傷付くのだ。

母親はわたしのことを子供だと認識できない。
わたしに寄り添ったり共感したり優しくすることはできない。
わたしに対して母性を発揮することは今までもなかったしこれからも永遠にない。

諦める以外に方法はないのだと思い知る。
そう、諦めてしまえればどれほど楽か。

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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