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痛いファンはいつの時代にも…太宰治の短編小説「恥」を紹介!

  どうも宇宙ゴリラです!突然ですが「顔から火が出るほど恥ずかしい」とか「思い出すだけで辛くなる」みたいな恥ずかしい経験って誰にでもありますよね。本日はそんな「恥ずかしさ」がテーマになった太宰治の「恥」という小説を紹介していきます。

簡単なあらすじ

    和子は顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしました。それは、自身がファンである戸田という小説家に気取った手紙を送ったことが原因でした。手紙の内容は

あなたの読者には女性がいない、理屈をしらない、学問もない、身なりも汚く、借金だらけ、少しは反省してください。でも、あなたの小説の底にある一種の哀愁感は惜しむべきものだ。努力してください

といったもの。失礼なことを書き連ねた和子はさらに増長し「この前の作品は自身をモデルにしたものだろう」といった内容の手紙を送りつけました。有頂天に達した和子は戸田は自分に会いたがっている!と考え、戸田のもとを訪ねていきました。

 しかし、戸田の家はとても綺麗で、奥さんも上品。戸田自身の身なりもきちんとしており、小説から受けた印象とは全く異なるものでした。さらに、和子をモデルにしたと思っていた作品は全くの思い違いで、戸田は「あなたのことなんて知らない。それに、僕は小説にモデルを使わない」と言われてしまいました。

 大恥をかいた和子は、「小説家なんてつまらない、人間の屑だ、インチキ」と友人の菊子に語るのでした。

登場人物

・和子
主人公。暴走して、小説家の戸田に痛い手紙を出してしまった女性。戸田に真実を告げられ、あまりの恥ずかしさから号泣してしまう。

・戸田
被害者。勝手に暴走した和子に家まで訪ねてこられ失礼なことをさんざん言われてしまう。

・菊子
被害者2号。和子の友人で、一連の恥ずかしい話を聞く羽目に…

感想

 いつの時代でも痛いファンはいるんだなぁ…と笑える作品。単純に面白い。この作品が発表されたのが1942年なので、約80年前の作品ですが、現代とあまり変わっていないように思います。でも、こういう勘違いというのは往々にしてあるもので、僕も中学生のころ些細なことで女子に対して「もしかして、俺のこと好きなんじゃね?」とか思ったりしたものです。

 こういう誰にでもある「恥ずかしい勘違い」を主題に据えて、それを太宰の描写力で描いているから、読んでいるこっちまで恥ずかしくなるような物語が完成したのだと思います。読んでいて、自身の恥ずかしい経験を思い出して「あぁぁぁっ!」なる人も結構いる気がします。

 現代は和子のように痛い手紙を送りつけるファンはほとんどいないと思います。その代わりにSNS上で有名人に対して痛い発言や、気取った発言をする人はしばしば見られるようになりました。痛い発言をネットでしてしまうと、消すことが難しく、一生さらし者になる可能性もあります。そういう意味では、手紙の方がさらし者になるリスクは低かったように思います。

 僕も、本の感想などを書いていると、ついつい作者の気持ちが分かった気になって「痛い内容や気取った文章」を書いてしまうことがしばしばあります。書いたときは「いい文章書けたぞ!」とか思っているんですけど、しばらくして読み返すと恥ずかしくて死にそうになることがあります。僕も和子のように草原を転げまわって、わぁと叫びたくなります。

 しかし、逆に考えると和子のような勘違い、ある種の陶酔がないと何かを創造することは難しい気がします。和子自身も調子に乗って痛い手紙を書きましたが、あの文章って本当に調子に乗った人にしか書けないものではないでしょうか(書いているのは太宰治ですが)。創作をするときっていうのは大抵、このような調子乗りが必要になるものです。だからこそ、中学生のころに書いていたノートは大抵、黒歴史になるわけです。逆に言うと、その恥ずかしさを乗り越えないと、何かを生み出すことが難しいのかもしれません。

 というわけで、僕は開き直って今日も恥ずかしい文章を書きました。この記事も何年後かに見返すと顔を覆いたくなるほど恥ずかしいものかもしれません。でも、僕は恥ずかしさの向こうに作品が生まれると信じています。作品を生み出すためにも、僕は和子のように勘違いできる人でありたいものです。

 だからといって憧れの作家に痛い手紙を送りつけたり、Twitterでクソリプをして迷惑をかけることはNGです。笑

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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