芥川龍之介の「戯作三昧」は作り手なら共感できる「あるある」に溢れている。
本日紹介するのは、創作活動に伴う苦しみや喜びについて書かれた芥川龍之介の名作「戯作三昧」です。noteというサービスには創作活動をしている方が多いので、読んでみると「あるある~」となる方がたくさんいるはず。作り手の方は必見の内容です。
『戯作三昧』のあらすじ
主人公の滝沢馬琴は自著である『南総里見八犬伝』の批評を聞いてしまう。良い評価を聞くのは構わないが、悪い評価は自分の作品に影響を与えてしまうので極力聞きたくない。とはいえ、馬琴も好奇心には勝てず悪い評価を聞いてしまう。
馬琴は編集者に原稿を催促されて、嫌な気持ちになったり、友人である画家に触発されたりする。いざ、八犬伝の続きを書こうと思い昨日書いた分を読み返すと納得できず、さらに読み返すと、いよいよ初めから書き直すしかないと感じ憂鬱になってしまう。
絶望的な気分になり、自身の才能すら疑い出した馬琴のもとに幼い孫がやってきてとんでもないことを言い放つ。「勉強しろ。癇癪を起すな。もっとよく辛抱しろ」。観音様がそう言っていたと孫はいう。それを聞いた、馬琴の心は澄み渡り、その夜、嵐のような勢いで筆を走らせた。
宇宙ゴリラ的感想
この作品は、作り手なら誰もが経験する「あるある」で物語が構成されています。作中には4つの「あるある」が登場し、物語の起承転結と深く関わっていきます。具体的に話の流れと「あるある」を確認してみましょう。
①起
・自分の作品の悪口が気になり、聞いてしまって落ち込む。
②承
・同業者と自分を比べられてしまい落ち込む。
③転
・落ち込んだ結果「自分の作品が面白くないのでは?」と感じて落ち込む。
④結
・ささいな事でやる気が復活して創作活動を再開する。
どの「あるある」も作り手なら一度は体験したことがあるものではないでしょうか?僕は、「戯作三昧」の主人公である馬琴と同じくらい落ち込みやすいので気持ちが本当によく分かります。特に共感が出来たのは、自信をなくしてしまい自分の作品が面白くないのでは?と感じるシーンです。「作っているときは自信満々だったのに、読み返してみると全く面白くない」というのは、本当によくあることです。馬琴は作品を一度初めからやり直そうとするのですが、それもありがちですよね。僕の場合、初めからやり直し過ぎて、作品がなかなか完成しないこともよくあります。こういう時は本当にしんどくて「二度と創作なんてするか」って思うこともしばしばです。
創作活動が辛くなることがある一方で、創作活動が楽しくて仕方がないという状態もあります。作中では、馬琴が最後にその状態にたどり着いています。その状態の彼を表した文章がこちらです。
始め筆を下おろした時、彼の頭の中には、かすかな光のようなものが動いていた。が、十行二十行と、筆が進むのに従って、その光のようなものは、次第に大きさを増して来る。経験上、その何であるかを知っていた馬琴は、注意に注意をして、筆を運んで行った。神来の興は火と少しも変りがない。起すことを知らなければ、一度燃えても、すぐにまた消えてしまう。…
僕も創作活動をしていると、頭の中にすごい勢いで構想が浮かんできて止まらくなることが稀にあります。そういう時は、頭の中にあるものをこぼさないように必死で形にしていきます。形にしているときには「良い作品を創ろう」とか「他者から評価されたい」というような気持ちはなく、ただただ自分と向き合うことになります。自分と向きあい、一つの物を作り上げる。そんな瞬間こそが創作活動の醍醐味ではないでしょうか。
何かを創ることに関わる楽しみと苦悩。作り手なら誰しもが共感できる内容。もう、創作活動が嫌だなと思ったときは是非「戯作三昧」を手に取ってみて下さい。もう一度創る気力をくれるはずです。