賢すぎる小学4年生の闘い! 辻村深月「ぼくのメジャースプーン」を紹介。
読書好きの皆様のTwitterを拝見していると、好きな作家として「辻村深月」を挙げている人が多くいらっしゃいました。特に、若い方からの支持が高くて「普段本は読まないけど、辻村深月の作品は読んだことある」という人もいるくらいでした。ミステリの要素を盛り込みつつ、人の心情に深くフォーカスした彼女の作品は、読書を始めるきっかけにはピッタリなのかもしれません。
本日は、そんな人気作家である彼女の作品の中から「ぼくのメジャースプーン」を紹介したいと思います。
◇あらすじ
「ぼく」はお母さんの家系から受け継いだある特別な能力を持っていた。 『Aをしなければならない。そうしなければBになってしまう』 特別な声を使って言うことで相手にAとBを選ばせ強制的に縛る「条件ゲーム提示能力」である。
小学4年生になった「ぼく」が通っている学校で飼われていたうさぎ達が市川雄太という大学生の手によって殆どが命を落としてしまう事件が起きる。 兎を誰よりも可愛がっていた「ぼく」の幼馴染みの「ふみちゃん」は現場で切り刻まれたうさぎ達の姿を見てしまい、心を固く閉ざしてしまう。
市川雄太に復讐する為、ふみちゃんの心を取り戻す為、「ぼく」は能力を使って戦うことを決意する。 「ぼく」のお母さんのおじにあたるD大学教育学部児童心理学科教授・秋山一樹に能力の正しい使い方を教わりながら「ぼく」の復讐劇が始まる。~wikipediaより引用~
◇おススメ度 ☆☆☆★★
「ぼくのメジャースプーン」のおススメ度は5段階評価で「3」です。
面白い作品であることには間違いないのですが、主人公が小学4年生であるという点が読む人を選びます。小学4年生という主人公の幼さと「復讐」という重たいテーマが、不釣り合いに感じる人も多くいることでしょう。実際、アマゾンのレビューには「主人公が賢すぎて違和感を感じた」という意見も散見されました。僕は主人公の
年齢とは不釣り合いな聡さにも意味があると思いましたが、どう受け止めるかは読み手次第だと思います。
◇どんな人におススメか?
・辻村深月ファンの方
・考えさせられる小説を読みたい方
さて、ここからは実際に読んでみて感じたことを書いていきます。当然ですがネタバレもあるので未読の方は注意してください。
◇感想(ネタバレあり)
正直、読んでいる最中に「こんな賢い小学生がいるか!」と叫びたくなりました(笑) でも更に読み進めていくうちに、主人公の不釣り合いな賢さにも意味があるように思えたのです。なので、今回は僕なりに主人公である「ぼく」について考えたいと思います。
そもそも、話の根幹となる主人公の能力がとても複雑。更に、能力の使い方を先生から教わるシーンは哲学的で、大人でも考えさせられる描写が続きます。それを、小学4年生である主人公がスムーズに理解していくのにはやや違和感があります。そういう点において「ぼくのメジャースプーン」は現代社会の問題をリアルに描いた作品でありながら、ファンタジー的な要素が強い作品となっています。まぁ、能力とか登場している時点で、現実的な作品というのは厳しいですね。
◇何故主人公が小学四年生なのか?
ここからは個人的な考えになるのですが、僕は動物虐待や少年犯罪などの重たいテーマを扱うために、主人公を小学生にしたのではないかと思っています。というのも、上記したようなテーマを扱う上で主人公を大人として書いてしまうと、作品全体の雰囲気が重たくなりすぎるように思うんですよね。辻村深月作品の持つ雰囲気とは合わなくなる気がします。
また、僕は主人公の妙に大人びていて、どこか危うい感じは、何かのメタファーではな?と考えました。主人公である「ぼく」は作中でPTSDという精神に大きな傷を負いながらも、大人のような振る舞いをしていました。僕にはそんな主人公の様子が、現代の若者の姿と重なって見えました。大人になり切れない大人とでも言えばいいんでしょうかね…。更に踏み込むと、アラサーに近づいて世間からは大人として扱われるが、精神的には成熟していない自分の姿とも重なりました。
話が少々脱線しましたが、結論として主人公である「ぼく」が妙に賢かったのは上記したように、作品の雰囲気を大事にしていたり、大人になり切れない若者を表現しているのではないか?というのが僕の考えです。そう考えると、先生からの忠告を無視した「ぼく」は話の終盤で大人のようにふるまう事を意図的に辞めたのかもしれません。達観したような言動、行動ではなく、等身大のありのままで問題にぶつかる。それこそが、大人になるための第一歩なのかもしれません。僕も腹をくくって失敗をして少しずつ大人になりたいものです…。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。