#55_「脅威としての評価」「希望としての評価」
「ナスビの学校」には「脅威としての評価」がありません。
「ナスビの学校」には「希望としての評価」があります。
「これをやらないと評価が下がるよ(下げるよ)」「これをやれば評価が上がるよ(上げるよ)」という言葉は、子どもたちにとって、しばしば「脅威」となります。このような言葉を投げかけられる関係において、子どもたちは「評価弱者」です。弱者は強者にあらがう言葉を発することができません。子どもたちがやるべきことは、すべて教師によって決定され、教師によって価値づけられる。このとき、評価は子どもたちにとっての「脅威」となります。「脅威としての評価」はこんなふうに生まれてきます。
「これをやらないと評価が下がるよ(下げるよ)」「これをやれば評価が上がるよ(上げるよ)」という言葉を投げかけるとき、そこには「子どもたちを学習に向かわせたい」という教師の思いがあるはずです。それ自体は、とてもよいことだと思います。しかしながら、「評価」を武器として子どもたちを学びに向かわせようとすると、子どもたちは学びから遠ざかっていくばかりではないでしょうか。
立場を逆転させてみればいいのです。もし子どもたちから「こんな授業をしたら評価が上がるよ(上げるよ)」「こんな教え方をしたときには評価が下がるよ(下げるよ)」と言われながら授業をする自分を想像してみると……ゾッとします。背筋がひんやります。何より「今日も授業をがんばろう」と思えなくなります。教室に行くのがこわくなります。あらゆるモチベーションが「自分の評価を下げないため」になってしまいます。
こんなふうに考えてみると、「脅威としての評価」がどれだけ学びによくない影響を与えてしまうのかがよくわかります。
私が「脅威としての評価」に対置させたいのは「希望としての評価」です。
「ここ、よくできてるね」
「ここ、いいねえ」
「ここをがんばったらいいかもね」
子どもたちが「ちょっと成長した未来の自分」を予感することができる言葉を探して、そっと贈ってみる。その小さな積み重ねが、子どもたちの「希望」になっていく。
私は「評価」をそんなふうに捉えたいと思っています。
そうすると、子どもたちも、そして、私自身も、前向きに、楽しく、学びに向かえそうだからです。
「希望としての評価」は、別名「贈与としての評価」です。
このあたりを深めてみようと思います。
「ナスビの学校」には「脅威としての評価」がありません。
「ナスビの学校」には「希望としての評価」があります。
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