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藤原定家の熊野詣をトレイル⑳ DAY5 糸我峠と鎌倉時代のミステリースポット
薬の名前がカタカナになったのはいつ頃なんだろうか。
それまで「正露丸」や「葛根湯」。夜泣きの薬も西が「樋屋奇応丸」で東が「宇津救命丸」などなど。それが、いまは「バファリン」などカタカナ主流の時代となったわけです。その懐かしい薬のなかにツムラの「中将湯」がある。子ども心にまんなかの女の人が外国人顔(それがすでにあやふやだが)だった気がしていたが、久しぶりに見てみたら案外サッパリ顔。ただこの中将姫マークも時代によって少しずつ変わっていて、中将湯自体も錠剤は「ラムール」とカタカナになっていた。これも、時代だな。
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さて、この中将姫ゆかりの地が、今いる「糸我」なのです。中将姫とは奈良時代初期の藤原氏のトップである藤原豊成(大化の改新の中臣鎌足のひ孫)の娘で、幼い頃から賢くて美しい娘だったらしい。しかし、継母にいじめられ殺されかけた時に、家臣である伊藤春海なる人が糸我に匿い、それが今の得生寺なのだそう。で、なんで薬に結び付いたかというと、奈良の宇陀にも同じような話が残っており、かくまった御礼にと中将姫から薬の製法をおしえてもらったのがツムラの先祖なのだそうだ。宇陀はツムラに限らずロート製薬やアステラス(藤沢薬品)などの創業者を生んだ薬の街でもある。
ふむふむと中将姫の由来書きをよみ浸っていたが、季節柄、陽も短くなっているので先を急がねばならない。途中、いい匂いがする小さなパン工場があったが、給食パンが主力なのか店頭販売はしていない模様。残念!
さらに坂を上ると糸我王子に至り、そこから峠越えもはじまる。確かに、前2つの峠に比べれば標高も勾配もキツくはない。ただ、こちらの体力がすでに残っていないことを忘れていた。ふくらはぎも前の峠以上に悲鳴を上げている。とはいえ、もう紀伊宮原に帰る気力もないのでフラフラと前に進んだ。
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峠を越えると茶屋の跡があった。江戸の頃、この茶屋の名物はミカンだったらしく、夏の頃にも振舞われたとか。保存はどうしていただろう。そして、この峠にも子どもにまつわる言い伝えが残っていた。
熊野詣のブームをつくったのが白河上皇で、計9回御幸を行ったが、その4回目、1118年のこと。峠の頂上で休んでいると、供奉している平忠盛からかつての愛妾の祇園女御が上皇の子を産み、元気だと報告があった。忠盛の子として育てられた男の子こそ平清盛だと平家物語は記している。
「やっぱ御落胤だったんだね~」とか、なんとか、江戸の人たちもミカンを食べながら、そんな話をしたのだろうか。いまは茶屋もないので、持ってきた麦茶を飲みながら、そんなことを思う。そして、本日最後の峠である糸我峠を越え、目の前に広がる湯浅や広の街を期待したところ、なんだか景色が広がらない。
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まぁとにかく、先に進むしかないので峠をくだり、次の逆川王子跡の逆川神社に参る。この近くにある吉川(逆川だったが「逆」の字を忌み、「吉」の字に変えたらしい)が、定家の時代のミステリースポットとして有名な川だ。なんとこの川、海の方から山の方に流れる川なのである。「水逆さまに流る 仍りて此の名有」と定家も記している。
当たり前だが水は高いところから低いところに流れる。単に、海側の方が高いからであり、ぐるりとまわって海に注ぐのだが、確かに海側にあきらかに高い山がないので「不思議感」はある、、、、かもしれない。(詳しくは下記の動画を)
吉川を渡ると少し坂になっていて、やはりというか、なんというか湯浅の街の前に小さな峠というか、丘があった。大したのぼりでもないのだが「もう勘弁してくれよ!」そんな気分である。ちなみにこの峠、方津戸峠とか方寸峠というらしく湯浅の玄関となっていたそうで、江戸時代には、大坂からの醤油の売上金をこの峠で正装で出迎えていた。峠の頂に着くとようやく、湯浅の街が広がり、ようやく今回の旅も無事に終わった。
後鳥羽上皇と藤原定家の5日目もここ湯浅で終わるのだが、定家の災難はこれからはじまる。
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まるみや食堂~糸我王子~糸我峠~逆川王子~方津戸峠~湯浅
歩いた距離 6.5㎞