父の教訓 災害の話【1】
ここ一年くらい私の父が防災グッズを買うことが増えた。
きっかけは2011年3月11日にあった東日本大震災があったあと。
今年で、もう12年になる・・・あっという間だった。
地震があったあとはそれはもう大変だった記憶しかない。
当時のことを語った上で何のために買ったかを綴ろうと思う。
まず、スーパーに行くと主食である米とパンが無くて、いつもならあるはずの食べ物がすっからかんだったからまるで「世紀末かよ・・・」と声がでてしまった。
ここで教訓になったのは、無い物は仕方ないということで、お湯で作れるもので作って食うしかないということだった。
おまけに季節的に寒いし、追い討ちかけるかのように計画停電まであった。
計画停電の時に思い出したのはソファーで父と身を寄せ合って寒さをしのいだという記憶。
おかげで父はガスで点火するストーブ小とカセットボンベのファンヒーターとガスボンベを何本かストックするくらい買っていた。
「これでまた計画停電があったとしても大丈夫」
見ていると、余程計画停電の時の寒さにこたえたのだろうと感じた。
この冬めちゃめちゃ寒いということでさっそく使ってみると暖かい。
電気でコンセント刺さなきゃつかないという溜息が出そうなことはなくなった。
だが、それだけには留まらなかった。
今度は寝袋と下に敷くマットまで購入して届いた。
「これで避難所に行ったとしても大丈夫だ」
「避難所に行く前提で買うのかよ」
さっそく寝袋使って寝ることにしたが、やはり枕と毛布じゃなくていいからブランケットは必要だと改めて感じた。
よくよく見ると何かあったら抱えていけるものばかりだと思った。
私も実は防寒用の銀色のシート?を持っているけど、いつ使うのやら。
日本は地震や台風、水災害、あるときは火山とかある、災害大国だから準備にこしたことはない。
ここで言いたいのは、ちゃんと調べて、みんなそれぞれの防災の仕方をして備えた方が良いということ。
どこに避難できるのか、避難所はどこか、その際に持っていけるものは何か、どれくらいの物を持っていけるかのリサーチした方がいいと思う。
今の時代、如何にして自分の身を護って、如何にして家族を護るのかが重要になってくる。
東日本大震災で何を失って、何を教訓としたのか、その周囲で何が起こって、何を第一優先にしたいのか改めて、見つめて考えてほしい。
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初めて目にしたもの 災害の話【2】|道成寺 夜香|note
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