貧乏な小説家と古本屋と私
今年は、新年からバタバタが続き、4月まで毎日緊張感が続いた。隣人や愛猫がこの地球を去り、喪失感と天候不順と、精神的な緊張の中で、予定していたことがどんどん変更削除、書き換えを繰り返し、頭の中がモヤモヤしっぱなしだった。
何が起きているのか。
自分が立てた予定が、どんどん削除されるって、何なんだろう?
誰も答えてはくれないが、今までと違う、何かのリズムが生まれてくる過渡期なのかもしれない。
1年前から、何となく痛みを抱えていた右親指付け根、右膝を、メンテナンスする気になったのは、4月29日だった。ゴールデンウイーク前に病院に駆け込む。
どうせ、ロキソニンテープを処方されるだけだろうとたかを括っていたら、膝には、水がたまっていた。注射で吸い出すのだが、何だか微妙に圧迫感のある痛み。これを何回も体験するのは嫌だが、また水が溜まればやらねばならないのだろう。
親指の付け根は、使わないようにするしかないらしい。100均のサポーターで固定したりしていた私の処置は案外正しかった。が、病院で、新たなサポーターを勧められる。
固定感がしっかりしている。価格も24倍。膝と両方購入することになってしまった。
必要な時だけつけることにしよう。
手が使えないと、人形制作に支障が出そう。
しかし、アート活動というものは、お金がかかるものだ。お金が儲かるのは、ごく一部の人気作家だけで、大抵は、金持をお持ちの方がより有利に活動している状況が日本の現状。展覧会や雑誌に載るなんて、ただなんてあり得ない。必ず協賛金という名目の出費が待っている。
日本中にたくさんの自称芸術家、アーティストがいるのだが、その中で声をかけてもらえるのは(評価される)一握りなんだからと、言われるけれど。だからと言って、ただで参加できるわけではない。今の私には、無理だと言い続けているのだが、断るのは、なかなか精神的にもしんどい。
いっそ、もう、人形制作なんかやめてしまおうかと真剣に悩んだ。悩んで、悩みながら、ミシンを回し続けた。今まで、溜め込んだ着物や布地で、着られるものを作ること。そう、服代が節約できるというものだ。
ミシンをかけているときは、何だか、許されているような気分がしていたので、(何から?誰から?)随分とたくさん、服を作ってしまった。
貧乏について書いてある本も読んでみた。
「貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記」柳美里
芥川賞をとっていても、超有名な作家でも、これほど貧するのか。負けました。私の悩みなど、まだ、小さい小さい。
「私の小さな古本屋」倉敷蟲文庫店主 田中美穂
突然思い立って古本屋を始めてしまった若い女性の奮闘記(?)
あまり、奮闘している感じはなくて、なんか、ぼーっとして、のーんびりと20年続けています、蟲文庫。貧乏だーとか、お金がないーとか叫ばないのに、きっととってもお金ないと思うけど、これが、好きな世界なんですってわかって生きてる感じが、もう、すごいなあと思いました。
私も、昨年8月に突然、施設図書館にしますって、勝手に図書館ギャラリーを
宣言してしまったんだけれど、なかなか、本の整備も進まず、人も来ず。蟲文庫さんと違って、うちの前は、畑。人通りなし。この環境でまず無理でしょって立地。
まあ、まずアピールは足りないけどね。
今年は、これから、ちょっとイベントを組んでみたり、だいぶ前から、やりたいことを形にしてみたいと思ってる。人と関わるのが、何となく自分で閉じちゃう精神状態ではあるけれど、それでも、人は、人と生きなくてはならないわけで。
何の展望があるわけでもないけれど、ちょっと、軽く石を投げて波紋を見てみようかと思うのです。貧乏でも、できることを、取り止めもなく脈絡もなく。
だから混乱するんだけどね、頭の中が。