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"他人に勝ちたい"なんて、身を滅ぼすだけ。


先日のエピソード。

職場の社内研修で
初対面の方と職場でお会いして
一緒に同じ研修を受けてたときのこと。

その方、なんだかすごく
自分の方が上だぞ😤」
みたいなエネルギーを出されてたんですよね。


その方は私よりも
20歳くらい年上だったんだけど

言葉の端々に
「積んできた年数と経験を活かしますよ!」
「こんなスキルと免許を持ってるんで✋」
みたいな


あなたには負けないわよ


ってエネルギーが
めちゃくちゃ滲み出てた。
(多分ご本人は気づかれてないけど)



私としては
別に勝ってようが負けてようが
気にしても無意味だと最初から分かっていたので
気にせず自分のペースで研修を受けてたんですよね。


そうしたら。
研修のなかで順番に『模擬授業』をしたとき
その人、失敗しちゃったんですよ。


質問に対する言葉が出てこず
詰まって無言タイム。
司会が中断して終わってしまったの。


そのあと
私が結構上手く授業をやってしまったので(笑)
その人、その場で泣いちゃったんです。
(もう50歳もすぎて良い歳してるのに…)



この状況、分かりますか??


私のこの見た目なので
多分その辺のボーッとした小娘か
大人しくて気の弱そうなヤツだと思ったのでしょう。


なのに
自分のたかーーいプライドを
この才色兼備な小娘にズタズタにされて

「自分ができてない」って現実を
直視してしまったんだと思う。


突っ込みたいところは色々あるんだけど
ここで私が伝えたいことの一つは

他人と勝ち負けで争うことはマジで無駄で
自分の身を滅ぼすことになるってこと。


なぜなら
あの人より上手くやろう、とか
自分の方が勝っていなきゃ、とか

そういう心の状態のときって
自分が考えていること
自分が感じていることに
全く許可が降りてない
んですよ。


常に外側をみて
自分の立ち位置をチェックして
「こうあるべき」って
自由な発想や感覚を縛り付ける。


そんなんで幸せなわけないですよね。



高みを目指そうとすればするほど
人は"孤高の存在"になるし

他人を排除して
自分の感覚さえも許可せずに上り詰めた先には
正直いって孤独しかない。


ならば、さっさとサレンダーすればいいんですよ。
何者でもない、『自分』という存在に。


なんでもいい。
私はわたしでいい。


そうやって存在への許可が降りたとき
一番下の地面に立って
一番の幸せを知れる。


他人との比較は
自己成長とか、理想を叶えるときのモデリングとか
そういうものに使えば良いわけで

不幸を生むための作用じゃないのよ。


"負けるが勝ち"って
多分こういうことなのかな💭


プレシャスな気づきを得られた
先日の社内研修でした🪴


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