「えんとつ町のプペル」を読んだ感想
結論を申しますと、泣けました。
なぜ、泣けたのかを考えたときに、自分も夢を笑われた過去と、夢を諦めた過去があるからだと思いました。この世界は、夢を叶えられる世界ではなく、夢を叶えることができる世界です。自分の夢を簡単に叶えるほど、あまい世界ではありません。
しかし、多くの人が夢を叶えようと、努力してきた成果が、現代社会を創っていると思っています。しかし、夢を実現できるように努力することはすごく難しいです。西野さんが言っているように、
夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺
人の夢をバカにするのが当たり前になっているかのように、多くの人が夢を語れば、多くの人がその夢を笑う。語った夢は夢で終わらせ諦めてしまうのが、現代社会の風刺です。
現代社会に至るまで、人の夢をバカにする文化は昔からあったような気がします。
私たち人間は、自分ができないコトや、自分が分からないコトに関してバカにする人がほとんどではないでしょうか?
事実、今の私たちの生活が普通に送れているのも、昔の人の夢が叶い、今では当たり前になっているだけなのです。長生きできるようになったのも医療が発達したからです。
空を自由に飛べるようになりたいと夢を語った人、海を自由に移動したいと夢を語った人、速く移動できるモノを作りたいと夢を語った人たちの夢は、最初は、不可能だとバカにされ、笑われていたと思います。その根拠は、現代社会を生きる私たちが未だに、人の夢をバカにし、笑う文化が根付いているからです。もし、昔から人の夢を応援している文化があったならもっと、文明は発展し、幸福度も今よりずっと高くなっていたと思います。
今では、飛行機、船、自動車は当たり前のように存在しています。私たちの周りあるモノのほとんどが最初は夢から始まっています。夢こそが私たちの社会を良いものにしているのに、なぜ人はその夢を笑うのか。私には検討もつきません。
夢を諦めてしまう原因に、自分の能力の限界を、ほかの人から決められていないでしょうか。「お前には無理だ」「お前にできるわけがない」「お前、身の程を知れ」のように、小さい頃は、仮面ライダーになる、プリキュアになる、お医者さんになる、サッカー選手になる、プロ野球選手になる、ノーベル賞を取るなど、自由に夢を語れたのに、現実知り、自分の夢を諦めた人間から、批判され、諦める人がほとんどのような気がします。
夢を諦めた人が、他人の夢を批判し、批判された他人が、自分の夢を諦め、また他人の夢を批判するという伝統が昔から続いている
自分の夢と本気で向き合い、自分で自分には無理だと決断した人が、他人の夢を批判するでしょうか。自分で限界を決めたのではなく、他人が勝手に自分の限界を決められた人が、他人の夢を応援できるはずがありません。
今ある自分の能力には限界ないと知ったとき、また夢に向かって再出発できるのではないでしょうか。
笑われる夢ほど、やる価値がある
私たちの身の回りのモノは最初は笑われた夢が実現したモノが多いです。
そんな笑われたモノこそが本当に価値だと私は思っています。
「えんとつ町のプペル」を読んで流した涙は、自分の夢を諦めてしまった悔しさから出た涙だと、私は思います。
ライバルは常に自分です。まずは自分と戦ってみてください。そうすれば、いつか夢に近づいていくと思っています。
僕も毎日自分と戦っていこうと思います。
死ぬ前に読むべき絵本だと私は思うので、ぜひ「えんとつ町のプペル」をお読みになってみてはいかがでしょうか。
「えんとつ町のプペル」著作:西野亮廣
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