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「ポッケ」

 この寂しさや憂うつは誰しもが持っているもので、それに負けてしまうかは自分次第にかかっている。いちいち自己啓発本に頼る必要はなくて、むやみに読み漁っても疲れてしまう。なんでもかんでも型に当てはめるのはつまらないよ。

 昔の日記をペラペラめくると、なにも知らない子猫のような自分がいた。びくびくと怯えながらミルクを欲して待っているような。意地悪されたわけでもないのに泣く、鳴く。

 この頃からずっと「形」が私を慰めると思っていた。例えば、結婚、お金、美貌、肩書き。でも、それを手にしてもむしろ虚しさと疑念が生まれるばかりなのだと気付いた。同時に「自分の声」を無視する事が一番悲しいのだと知った。「自分の声」を無視してはならん。掻き消してはならん。今の自分の置かれてる状況がどうであれ。だからこそ私は私でいるしかない。

 「幸せは誰かが運んでくれるもの」と疑わずに無為に過ごしていたあの頃よりも成長したかな?他人に期待し存在を押し付けて、痛い目にあった過去が懐かしい。

 最近は「もう本当やってらんねーよ!」と、私が怒ったり泣いたりするのもなんだか貴重で大切なことのような気がしてきた。「ないものねだり」という言葉も今では既に消えつつある言葉になった。自分を諦めたわけじゃない。すべてすくいあげたい。

 相変わらず私は脆い。どうしようもなく不安になり、すぐになにかに縋りつきたくなる。でも今は「また見失わないでよ」と、自分が経験して得た答えたちが優しくそっけなく「お告げ」をしてくれる。「そうだよね」と、私は持ち直す。

 今、堂々と言えるのは「ごめんなさい」と「ありがとう」の言葉。だからその2つを忘れずにポッケにしまっておけば上等でしょう。

 気付けば、嬉しいことが立て続けに起きている。いや、嬉しいと感じる心が私に生まれてきたのかもしれない。

 生きやがれ、私よ。思う存分、私で居やがれ。

( 2018年4月4日 「石巻かほく つつじ野」掲載 )


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