【2022読書】No.37『沖縄の聖地の歴史を調べてみたら、かなりトンデモナイことが起こっていた』
本日もお読みいただきありがとうございます。
2年連続で、500冊の本を読みました、五木田穣(ごきたゆたか)です。
2022年37冊目の読書は、
『沖縄の聖地の歴史を調べてみたら、かなりトンデモナイことが起こっていた』
でした。
※なお、この投稿は、本の内容を要約する趣旨のものではございません。
あくまで個人的な感想をベースとしており、その心は、
本は自分で読んでこそ、自分の血となり肉となると考えるからです。
そこは、「知識」と「知恵」の違いであり、
「知識」を「見識」に高めるためには、
あくまで自分の知識と経験を高める必要があると考えるからです。
この記事が、何かのきっかけになれば幸いです。
読もうと思った理由
Kindle Unlimitedで沖縄本を物色中、見つけまして、面白そうだったので読んでみました。
読んだ感想
これまためちゃくちゃ面白いじゃないですか。
琉球王朝の時代から、薩長の支配、明治維新後の廃藩置県で沖縄県に。
琉球の信仰、日本の信仰、その共通点、そして、その違い。
面白い考察でした。
私が知っていること、考えていることとも一緒ですが、琉球の歴史に関しては、まだまだ疎いので、大変参考になりました。
ちなみに、
こちらは、浜比嘉島のシルミチューという御嶽です。
沖縄の神話では、久高島に最初の神の舞い降りて、その後、浜比嘉島で子育てをしたという話があります。
ハッキリ言って、神社・神道とは何の関係性もありません。
浜比嘉島は全体のエネルギーが素晴らしいのですが、このシルミチューの鳥居の前あたりから、明らかに気が変わります。聖地だな、と実感します。
で、シルミチューにも、鳥居がありますが、神社ではありません。
神社とはまったく関係がありません。
沖縄は全国で1番神社が少ない都道府県であり、15社くらいしかありません。なんで神社が少ないかというと、明治以前は琉球という独立国家だったから。日本じゃないので、日本の神社という文化は入っていなかったのです。
が、明治政府になり、廃藩置県が行われると、薩摩藩に侵略されていた琉球は、沖縄県とされてしまいました。それで、明治政府による琉球人の日本同化のために、神社を作ろうとしたのです。それでできたのが、沖縄の神社です。
琉球八社とか言われますが、元々は沖縄に古来から伝わる自然信仰であり、洞窟などの御嶽、拝所でしかありませんでした。そこに社を建て、いわゆる古事記・日本書紀に登場する神様を勧請して、神社にしていったのです。
(沖縄の神社は、ほぼ熊野信仰です)
例えば、波上宮という神社は、元々、波の上の城(グスク=御拝所)でした。神社的には、神様が住まうところを「お宮」や「お社」と呼びます。グスクは、城ではなく、元々、拝所を指します。その場所に、建物を建てると神社になり、〇〇という名前の神様を祀ると、神社になります。それが、波上宮。
同じく琉球八社の普天満宮や識名宮や金武宮には洞窟がありまして、元々洞窟の御嶽を信仰していたことがわかります。
同じく琉球八社の天久宮も、御嶽のあとが残ります。
まあ、このような流れは、日本全体の神社の歴史そのままで、元々は、何もない場所に、太陽や山や木や岩や滝に、何か大いなる力を感じ、拝んでいたのです。自然信仰が、すべての信仰の原型にあります。そこに、神様の名前をつくり、神社をつくって行ったのです。
ちなみに、神社を建てるようになったのは、仏教が奈良時代に入ってきて、仏教のお堂に対抗してらしいですね。
さらにちなみに、古事記や日本書紀は、旧約聖書を読むと分かりますが、めちゃくちゃ話が似ています。神話は世界共通であり、それを各地域ごとに間違って伝わったのか、伝言ゲームでだんだんズレていったのか、時の権力者がアレンジしたのかはわかりませんが、話の大筋はめちゃくちゃ似ています。
旧約聖書は、イエスキリスト誕生以前の神話の部分であり、新約聖書はイエスキリスト誕生後の話です。古事記で言うなら、神武天皇以前が旧約聖書で、神武天皇から新約聖書です。
というふうに色々調べていくと、宗教って政治なんだとわかります。時の支配者が支配するために、宗教を作った。宗教を変えた。これは世界的な歴史の中で起きている事実です。
宗教の支配は、支配の象徴というか、その土地の人々の信じる大いなる力を乗っ取るわけですから、これほど強い洗脳はありません。だから、布教活動するんですね。信仰心から勝手に奴隷的行動をするようになりますから。
キリスト教やイスラム教、仏教にしても、すべて戒律を守ろうとしますよね。自ら行動の制限を勝手にかけるわけです。これを洗脳と言います。
まさに、今のマスク、ワクチン、自粛に従う人たちのようです。そうする事が、素晴らしいと思いこんでいる(思い込まされている)わけですから。信じる者は救われる?マスク教、ワクチン教と言っても過言ではありません。
テレビ教、医療教と言ってもいいかもしれないですね。信じすぎじゃ無いですか?鵜呑みですか?教えは絶対ですか?これ宗教と何が違うんですか?
…話がそれたので、元に戻します。
そもそもの話でいえば、自然信仰は、宗教ではありません。大いなる力を信じるだけですから。特に、そもそも神道は宗教ではありません。ただ「神」という存在を信じる「道=生き方」ですから。
「お天道様に恥じないように生きよう」
これが日本人の根底にある信仰心というか、在り方であり、生き方なんだと思っています。
神道=神社という考えも洗脳されていると思います。神社という存在は、そもそも宗教ではありません。自然崇拝が基本にあるわけですから。明治政府によって宗教扱いされましたが、そもそも宗教ではありません。
おそらく明治以前は、一般庶民は天皇の存在なんて知らなかっただろうし、知っていたとしても崇める存在ではなかったはずです。それが明治から天皇という存在は特別な存在になったのです。
明治政府は国民の洗脳のために、天皇の正当性を説き、神仏を分離し、神社を特別なものにしていきました。…その結果が、国家神道であり、天皇万歳であり、戦争ですよね。
戦争を洗脳と言わず、なんと言えばいいでしょうか?特攻隊?言葉を変えれば、自殺ですよ。イスラム教の自爆テロと言いますが、旧日本軍の特攻隊と何が違うんですか?
イスラム教はヤバいみたいな言うけど、そんなことないですよ。それも洗脳です。ただ信仰しているだけじゃないですか。それを利用している人たちがいると考えた方が正当です。なぜか、戦争で犠牲になるのは、戦争を仕掛けた人たちではなく、軍隊の下っ端や一般庶民なんですから。
なんで、東京大空襲で皇居を攻撃せず、東京を焼き野原にしたんですか?なんで、一般庶民が犠牲にならないといけなかったんですか?
…話がどんどん広がってしまいましたが、
話を再び戻して、浜比嘉島のシルミチューに鳥居はありますが、ここにはお社(神社)はありません。巨大な岩があり、そこに洞窟があるだけです。つくりとしては、熊野本宮の近くにある神倉神社に似ているように思いました。
明治政府は、明治になってから、沖縄の聖地という聖地に、神社を信仰させるために、鳥居を立てまくったのです。でも、琉球の人々の信仰には馴染まなく、神社にはならず、ただ鳥居があるだけのところは多いのです。思いの外、神社設立は進まなかったんでしょうね。
というふうに、色々を知ってくると、沖縄で、神社を信仰するのってどうなんだろう?神社を普及させるのってどうなんだろう?神道を信仰するのってどうなんだろう?とか疑問も湧いてきます。
信仰心自体は、スピリチュアル的健康のためにもいいと思いますが、支配者の意図が見えてしまうとなんとも言えないなと。騙されているとしたら?それは、果たしてよいことなんだろうか?
でも、今の日本人にとって、神道や仏教や儒教の考え方は、切っても切り離せないものです。今更無くすのは無理でしょう。
さらに色々言えば、仏教も儒教もおかしいんです。仏教で葬式やってるのもおかしいし、そもそも儒教は特定の神を信仰してませんから、宗教ではありません。
神道は神を信じ、仏教は仏を信じ、大いなる力を信じます。儒教は、人としての在り方を説いただけです。「宗教」という言葉をつくった時点で、洗脳されているように思います。
そんなこんな言ってますが、私は、神社にも行くし、寺にも行くし、論語も読みます。聖書も読むし、コーランも読むし、スートラも読みます。
神社検定壱級ですし、高野山で仏教も学んでいます。
何を信じるか、自分が何をするかは、その人自身の自由ですし、なんであれ、自分の在り方、生き方がよくなればそれでいいと思っています。
1人1人の在り方、生き方が変わっていけば、世の中は良くなっていくはずですからね。
個人的な主観としては、神社やお寺もいいんだけど、やっぱりただの自然がある場所に行った方が、大いなる力は感じます。あちこちいろんなところに行ってますが、神社でも寺でも山奥にあるところに行くと、全然違うのが伝わってきます。沖縄でも、そのまま自然な形で残っている御嶽に行った方が大いなる力を感じます。
…というわけで、なんか、色々書き過ぎましたが(笑)、それくらい良い刺激になった本でした。
こんな方にオススメです!
・沖縄が好きな方
・聖地が好きな方
・神道や仏教の成り立ちに興味がある方
・ピンときた方
こちらの本もお勧めします。
今回書いたことに興味が湧いた方は、こちらの本をお勧めいたします。
ピンときたものがあれば、読んでみてください。
こちらの記事もどうぞ。
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