病名という市民権

病名がつくことで一般化する

Jは
ADHDであり
HPSだった

いまは
ADHDだ

あ、もっと詳細に書くと
ADHDで
鬱で
HPSで
鬱で
HPSで
ADHD
かなw

ちょいちょい
鬱はさむw

ま、これくらいにして



今から話すことは
とりあえず「心の病」的なものに限定して
書かせてもらう、とだけ断ってく
なんでもかんでもの病を
全部この話に収めると伝わりづらいから

そして、何度も言うが
病気自体の話ではなく
「病名」の話と思って聞いて欲しい



さて

病名がつくことで
「あーやっぱりか」という気持ちになる
やっぱりそうだったか、と

と同時に
「受け入れたくない」気持ちも芽生えることがある

ただ、
一度はどこかで
「だからこうなったのか」など
変に納得をしてしまうときもある

そのあとの後悔うんぬんには
本日は触れない


で、
病院のお医者様に病名を教えてもらって
安堵する時
病気自体に安堵するのではなく
病名がつくことの安堵を指すが
これにより
「ほら、ちゃんと病名があるじゃない」
「(お医者様によって)認められているじゃない」
「病気なら仕方ない」

「私がおかしいんじゃなかった」
「おかしいのは私だけじゃなかった」

な、構造をもつ


つまり、
意味づけによる安心だ

病名という市民権は
意味づけにより安心を得る方法だ
他人に認められることで自分を認める方法だ
他人を使って自分を認める方法だ


あれ?なんか…「良く」は聞こえない??
あれ?なんでだろう…


つまり
いまのあなたに安心していれば
病名はいらない

「一般化」なんて作業は
本来いらない

病名をつけることで大衆化する必要はない
その他大勢にならなくていいのに
病名を使って、
また同じことを繰り返そうとしている

なぜ、他と同じになる必要があるのか
なれるはずがないのに


大いに違うことで
多いな貢献ができるのに



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J
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