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好きで完璧主義をやっているんじゃない
いろいろなところで「完璧主義にはならない方がいい。」とよく言われていることは知っている。
ただ、本当に完璧主義になりたくてなっている人はそこまで多くない。ということを知っている人は少ない気がする。
両親はよく僕に、「完璧を目指さなくていいんだよ。」と教えてくれた。しかし僕は完璧など目指したことは、一度もない。
「完璧」という言葉に囚われると大変だということは、知っていたからだ。
完璧とはどこまで行けば完璧なのか、テストで100点を取ると宣言したらどこまで勉強すれば完璧なのか。
これは誰にも分からないことだ。
ではなぜ、僕は両親に完璧を目指すな、と言われたのか。
僕のどのような行動が、両親にとって完璧を目指しているように見えたのか。
それは僕の勉強の仕方に原因があった。
僕は学校の勉強をしていたとき、問題集の進み具合が圧倒的に遅かった。
何度も何度も、数学のチャート式の問題集の例題部分だけを解いていたのだ。
たとえ例題部分が全部しっかりとできたとしても、必ず例題部分を3周以上解いていた。
1周目にできていたとしても2周目にはできていない所があると思ったからだ。
2周目のときは答えを覚えていただけで、3周目になったら解けないかもしれないと思ったからだ。
自ら完璧主義を目指しているわけではない。
不安だから。心配だから。
完璧はないということは自覚していたとしても、不安や心配が僕に完璧に近いものを目指させる。
ずっと同じ場所をぐるぐる回ってしまうのだ。
右を見ていたときに左に何かが現れたかもしれない。左を見よう。
左を見たら、右側が視界から外れた。その間に視界の外で何か起こったかもしれない。右を見よう。
これをえんえんと繰り返す。
もし信号の前でこんなことをやっている人がいたら、心底おかしいと思うかもしれないけど、
勉強をしてる時の僕はまるっきりこの状況だった。
完璧主義に、なりたくてなるわけではない。
不安や心配によって、完璧主義みたいになるのだ。
では、どうすればいいか。
魔法の呪文がある。
「まあいいや」
不安や心配があっても、怖くても、その不安や心配が的中しても、「まあいいや」と言って先に進むのだ。
リスクを取るという表現は、少しおかしな感じがするかもしれないが、もしあなたが不安などによって完璧主義っぽくなっているなら、
リスクを取らなければならない。
完璧主義を抜け出したいなら「まあいいや」と言いながらリスクを冒すのだ。