人事は綺麗事では戦わない
人事関連の本を読んでいる。
よくある「これからのリーダーシップは〜」とか「成長する社員の作り方〜」みたいなやつじゃ無くて労務とか配置管理とか生産性とか。
一度、自分の身を守るという考えで労務関係の本を読んで見るといいかもしれない。本当に会社員は守られている。また、自分のキャリア形成という視点なら、「戦略人事」という本もおすすめ。
これを最後に読んだのは、多分人事側に共感しちゃうだろうなと思ったから。実際、とても人事が難しい環境で戦っている事が分かった。一部のキラキラ系人事は単なるブランディングかほんとに社内がガバガバなんだろう。
こんなに一挙手一投足が法律でガチガチに縛られてるとは思わなかった。
入社前の海外渡航をコロナを理由に制限する事も出来ないし、正社員とパートをテレワーク出来るかどうか差をつけても労働契約法やパートタイム労働法に引っ掛かる。リストラも適切な期間を置かないと希望退職の募集すら出せない。よく内定切りをしてる会社もあるけど、余程苦しくない限りはかなりダーティーな手段である事が分かる。
民間企業も大変だが、公務員ともなると、法律でさらに守られているし、労組も嫌われない限りは強力なバックアップで妨害してくる。
金融機関へのOB訪問で、労組が出世ルートの一つにあると聞いて驚いた事がある。労組は何か生み出す事業部では無く、単なる組合じゃないか。
しかし、よく考えてみれば労組には権力が集中する。会社に辞めさせられないかとビクつくなら、労組の力を盾にしてしまえばいい。社内政治さえ乗りこなせば、例え自分がお荷物だろうが法律と労組が守ってくれる。そうした人が群れを成して会社に対抗する。ちなみに労組があるかどうかは有価証券報告書を見れば分かる。ある場所の方が労働者にとっての環境はマシになりやすい。
実際、先人達によって、労働系の裁判は判例が積み重なっており、労働者がその気になれば簡単にはクビを切れない。
外資は比較的、流動性が高いと言われているが、それは社員がそこに留まる価値を感じない程度には転職できる人材だからである。日本国内で事業を展開している限り、仮に社員が本気で留まろうとすれば泥沼になるに違いない。
実際、日本IBMでは解雇が無効だという判決も出た事がある。
そう考えると、面接での「忠誠度を試す」質問というのは極々当たり前のように思える。
会社からしても、最初から転勤したくない社員を転勤させれば面倒ごとが起きるし、自分から学ばない社員に何か学ばせようとすれば「それは業務の範囲内なのか?」という問題が発生する。辛い時にストレスを発散できる社員じゃないと、鬱状態になったからといって簡単に雇用を切れない。
だから、当然それを見極めるためにリクルーター選考で何回も面接をしてから、やっと普通の面接が始まる場合もあるし、メガベンチャーでもお互いにもっと良く知りたいという名目で10〜13回面接をする事もある。
就活生からすればたまったものではないが、会社からしたら、それでも面接回数は足りないくらいだろう。
仮に辞退者が当初の予定を大幅に上回れば、またナビサイトへの掲載広告料が嵩む、入社後に豹変して自分の権利ばかり主張して思うように動かないモンスター社員になるかもしれない。そして、採用した責任はもちろん人事にある。たまたま1人だけ使えない人が紛れ込むくらいならまだしも、何人もそういう人が現れれば「あいつがokした奴全員ダメダメだったんだけど」と陰口を叩かれる。面接から通す時はいかに自社にマッチする人材か、という点も大事だが、その根本にあるのは、この人を通しても上司に、人事部長に失礼が無い人材であるという事だろう。
人によっては、こんなの面接のテクニックに過ぎないというかもしれない。だが、人事の立場に立てば採用したくなる回答は、「何でも出来ます、どこでも行けます、自己研鑽に励みます、みんなと協力します」に必然的に集約されるだろう。そして、その根拠として、体育会経験があったり、起業経験がある学生が喜ばれるというのは当たり前かもしれない。またバイトやサークルをしていない学生に不安を抱くのも無理はない。そうした経験のない学生が笑顔や愛嬌、言われたことは何でも素直に受け止めて、真摯に分からない事は質問する姿勢を取る事は果たしてテクニックという言葉で終わらせていいのだろうか?
内定を取るために自分を盛る必要はある。
よく就活のためのテクニックは批判されるが、AO入試のための塾が批判されている所は見た事がない。あれだって本来素のままの自分を出すべきなのだろうが、マンツーマンで徹底的に評価される自分を作り出す。
好きな人とデートをする時にも、メイクをしたり、服を揃えたり、話題を準備したり、ありのままの自分を最初からは出さないだろう。徐々に出していくのが一般的だ。
さらに言えば、営業もテクニックの塊だろう。YouTubeを見れば営業のテクニック講座はいくらでも転がっている。就活ではほぼ意味がないが、社会人になれば菓子折りを持っていくことや、先方が出た食事はまず確認してから食べたり、自分が苦手なものであっても完食しなければならないだろう。
社内に笑顔と愛嬌のある子がいたらやる気も出るだろう。朝からきちんと挨拶をしてくれる後輩がいたら、ちょっとは可愛げがある奴だなと思うかもしれない。
呑み会やタバコのコミュニケーションはテクニックでは無いのだろうか?上座や下座、注ぎ方、予約する店の選び方、これをありのままの自分で行っていたら、あっという間に人事評価は下がるだろう。
もちろんこういった事を出来ない、やろうとしない人を採用すれば、営業先から受注を切られ、社内の雰囲気は最悪、リストラが終わったら今度は人事部もリストラの対象という笑えない事態が発生する。
全ての大学生がありのままを表現したら、きっと企業は採用を躊躇うだろう。
部族で成人した際に痛みを伴う儀式があるように、社会に受け入れられるために、ありのままの自分から脱皮をするという行為はきっと、多くの大人たちが経験したはずだ。なのに、自分達が見定める側になった途端に手のひらを返して「ありのままを見せろ」と要求する。これはおかしい事ではないだろうか。
ただし、自分を盛って入社することが幸せかどうかはまた別の問題である。
ある採用者は本音で「会社に入っても、そいつがいじめられるなと思ったら取らない。かわいそうだからね」と言っていた。またある人は「学歴が低かったけど、熱意で何とか入れた。しかし、やっぱり勉強がダメで業界柄苦しんでいる」と語ってくれた。
擦り合わせは、未だ出来ていない。