【読書感想】学校教育とジェンダー(著:鶴田敦子)
今日は『ジェンダーの発達科学』の第9章より、学校教育とジェンダーについての感想です。
昨日、こちらのnoteにて要約を記載しています。
著者の鶴田先生の文章が凛としていて、また所々、義憤を感じるような文章だった。
ジェンダー平等やジェンダー平等教育を後退させようとする様々な勢力があること、そしてそういった勢力が協力することにより、実際に何度も、私たちのジェンダー平等が後退してしまったことを目の当たりにした。
ジョニー・シーガーの『女性の世界地図ー女性たちの経験・現在地図・これから』において、下記のような文章があり心に残っている。
「壊れやすく、後戻りもすることもあり…」ということが、2000年代、自分がちょうど小学校~中学校入学頃に、まさにこの日本で起きていたとは知らなかった。まさかそんなことが起きているとは思わなかった。衝撃以外の何物でもない。本文には「2000年前後…日本会議がジェンダーフリー教育への批判を強め…義務教育の教科書からジェンダーフリーの単語が消え…」とある。私がジェンダーという言葉を初めて認識したのは高校くらいだったかもしれない。もしこんなことが起きていなかったら、私はジェンダーフリーという概念を小学校の時に知ることが出来たのだと思うと悔しくてならない。
※確かに日本会議が目指すものの「4.日本の感性をはぐくむ教育の創造を」に下記がある。
こうした社会の揺り戻し・後退を社会学的には「バックラッシュ」と呼ぶらしい。Amazonで「バックラッシュ」と検索すると、ちょうど「ジェンダーフリー」の単語が教科書から削除された2000年代中頃、2006年に「バックラッシュ」という単語をタイトルに含む本2冊が出版されている。うち1冊は上野千鶴子先生の著作である。
また、ジェンダーバックラッシュの歴史をまとめた本もあるようだ。
バックラッシュが起きる時には、社会の動きに声を上げていかなくてはいけないのだろう。それでも、日本の人口の半分6000万人近い人の属性に関わる権利教育が後退する時に、なんと2冊しか本がなかったのかと驚いた。2000年代のフェミニストの先人たちは、本当に険しい道を歩んで来られたのだと感じる。今はそれから20年がたち、手近なネット通販で「ダイバーシティ」「ジェンダー」などと検索すれば何百冊と本がヒットする時代になったのだ。
2000年代に起きた日本におけるジェンダーバックラッシュについては、また別途勉強して記事したいと思う。
さて、一方で、過去のフェミニスト達の活動に心から感謝の念を覚えることもある。私自身1990年代前半の生まれでゆとり教育の時代ではあったものの、小学校で男女別々の教科を教わることはなかったため、両親の言う「昔は、女の子は家庭科、男の子は日曜大工(工作・技術?)だったのよ」ということを「ふーん」程度に聞き流していた。しかし、まさか自分が生まれるちょうどその頃まで、性別役割分業に基づく教育課程が残っていたなんて信じられない。色々ジェンダーについて苦労したものの、教育だけはそれなりにジェンダー平等な時代に生まれたと思っていた。しかしそれさえも、ギリギリで達成されたばかりの時代で、本当にありがたい教育を受けさせてもらったのだと実感する。教科さえも別だったら、「男と女が違うことを学ぶのは普通なのだ」と信じていたに違いない。
これから自分が死ぬまで50年くらいの間に、何度もバックラッシュの波が来るだろうと思う。その時、社会が踏みとどまるために自分は何が出来るか、力を付けていくしかない。そういう覚悟を新たにさせてくれる本だった。
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