英一蝶の雨宿り 等しく濡らす優しさとして
雨傘のない世界に、思いがけず花ひらくユートピア。
江戸時代の絵師・英一蝶(はなぶさ・いっちょう)が、「雨宿り」を題材に描いた絵をみて思ったのはそんなようなことだった。
その絵、《雨宿り図屏風》に描かれているのは突然のスコールにあわてて軒下に逃げ込んだ人たちの姿。
そこには大人もいれば子供もいる。人間ばかりか犬の姿もみえる。その顔ぶれはまちまちで、行商人がいるかと思えば町娘や旅芸人がいる。そうかと思えば、腰に刀を差したお侍もいるといった具合。さながら士農工商カタログといった風情だ。
そんな彼らがひとかたまりになって、(たぶん)「まったくよく降りますなぁ」なんて言葉をかわしつつ同じ空を見上げている。いったい、これを「奇蹟」と呼ばずしてなんと呼ぼう。
この封建主義の時代にあって、身分のちがいを越えてさまざまな人びとが同じひとつの空間を“友愛”的に共有しているわけだから。
有名なフランス革命のスローガンに「自由/平等/友愛」というものがある。そのうち“自由”と“平等”は権利として制度によって外部から規定することができるが、“友愛”についてはそういうわけにはいかない。なぜなら、言ってみればそれは心情として一人一人の心の内に興るものであって、けっして外からは規定できないからである。そして、だからこそむずかしい。
となれば、英一蝶は「雨宿り」の情景を描くことで、雨が降るときつかのま出現し、止んでしまえば一瞬にして消えてしまう町かどのユートピアの存在を絵に残しておきたかったのでは、などとつい深読みしたくなる。
なんといっても、庶民を題材にウィットに富んだ作品を数多く手がけた絵師であると同時に俳諧師としてもよく知られ、挙げ句の果ては幕府から目をつけられ島流しの憂き目に遭うというドラマチックな人生を送ったひとである。だれより江戸の町かどに、儚くもうつくしいユートピアの存在を夢見たとしてもなんら不思議ではないと思うのだ。
雨は降る あなたの肩を、ブランコを、等しく濡らす優しさとして
《没後300年記念 英一蝶 〜風流才子、浮き世を写す〜》展@サントリー美術館(六本木ミッドタウン)にて