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電車に揺られながら『ソーシャル・ネットワーク』についてふと考える
映画としてどれほどの瑕疵があろうとも、狂的に好きな映画というのは誰にでもあるものだと思う。私にとってのそれは『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)であるのだが、ここ数日の間、ふと思い出すことがあり、何度かクリップを見返していた。
新生活が始まる時、自己紹介をする機会は非常に多い。趣味は何ですか、と問われれば、「サウナ」と答えるのはどうも下品で、「散歩」だと答えれば間の抜けたように思われそうで
『フレンチ・ディスパッチ』について
(この記事を書いている者は、最初の鑑賞では、疲労によって誘われる午睡感覚と戦うことに意識を集中していたために、二回鑑賞したことをここに告白しておく。)
ウェス・アンダーソンの映画には情報量が多い。今作に使われているのは、すぐれて手間のかかった空間設計、性急なカメラワーク、テンポの良いストーリー、ナレーション、英語とフランス語の両刀使い... ましてや、表層批評に徹する凡人には、到底追いつけるもの
ヴィム・ヴェンダースに対する所感
2022年1月、京都シネマで『ヴィム・ヴェンダース レトロスペクティブ ROAD MOVIES/夢の涯てまでも』が公開された。ヴェンダースの作家性を見つめ直す良い機会だったので、ここで彼に対する所感を述べたいと思う。
自分の中でのヴェンダースに対する評価をいまだに決めきれずにいる。ショットが撮れるわけでも、編集が上手いわけでもなく、同じニュー・ジャーマン・シネマならヘルツォークやファスビンダーを
『クライ・マッチョ』
2022年 クリント・イーストウッド
イーストウッドの新作が出ると聞いた時のことはよく覚えている。トレーラーを見れば、老人イーストウッドと少年が映っていて、どうやら馬も撮るようだ。あの途方もなく美しい『グラン・トリノ』をどこか想起させるようでいて、イーストウッド本人が馬にまたがるのは『許されざる者』以来と来た。これは否が応でも期待してしまう。
レイトショーを予約し、はやる気持ちを抑えつつ、京都
『グラン・トリノ』以降のイーストウッド
『グラン・トリノ』(2008年)で自らの肉体を棺桶に葬ったイーストウッド、その作家性を捉え直してみたい誘惑に駆られている。いったい彼は何を見つめ、何を撮ろうとし、どこへ行くのだろうか。
誰もが「これは映画か?」と困惑した顔で観終え、劇場を出た後も頭の隅に何かが引っ掛かっている。2008年以降の彼の作品は、そんな不可思議で奇妙な相貌を湛えている。『グラン・トリノ』(2008年)から『リチャード・
「ケリー・ライカートの映画たち 漂流のアメリカ」
2021年に出町座で行われた表題の特集について記す。蓮實重彦の『見るレッスン』でケリー・ライカートの名は知っていたが、実際に彼女の映画を見るのは初めてだった。
1. リバー・オブ・グラス
1994年 リサ・ドナルドソン ラリー・フェセンデン
寡黙なフィルムに映される情動溢れる男女の逃避行、それはアメリカ映画史に新たな移動神話を刻印する。それは『俺たちに明日はない』以来のロードムービーとの訣
『アメリカの影』
1959年 ジョン・カサヴェテス監督
ショットの美しさなど意にも介さず、ただただその天才的な編集によって”生の瞬間”を持続させ続けることが出来るカサヴェテスは、ひょっとしたら唯一で本当の映画作家なのかもしれない。そんな絶望的な事実に気づかせてくれるこのフィルムを、映画史はただひたすらに待ち続けていたのだろうか。
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』
ジェーン・カンピオン監督
キルスティン・ダンストというニュージャージー生まれの都会的な顔立ちをしたこの女が西部の砂埃にまみれる姿など到底似合わないだろうと邪にも思っていたが、いやはや、その不自然な”似合わなさ”こそが物語を推進せしむる異化装置であった。更に言えば、カンバーバッチのショットにおける収まりも見事なものだったと思う。英国紳士のカウボーイ姿におさまる肉体の狂気なぞこのメソッドアクターが演