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面会謝絶!【大学病院血液内科54日目】
ようやく体調が戻ってきていた。
入院中の父の方ではない、看病中の娘の風邪の具合である。
これからまた毎日、いやほどほどに自分の体も労わりつつ面会に行けると思っていた。面会に行って何かできるわけではない。洗濯物や差し入れ(といっても大したものはいらないと言われてしまう)入浴頻度が少ないためにガサガサになってしまう顔や手足をタオルで拭いたり軟膏を塗ったり…そんなもんなのだ。でも、毎日顔を合わせることが大事なんじゃないかと勝手に思っていた。仕事の事情、家の事情ともに幸いにも私はそれができる環境なのだから、と。
ところがその「できる環境」が、自分の力の及ばないところで大きく崩れていくことになる。
リハビリを増やし、薬を減らしていく
血液内科51日目。回診時、利尿剤を減らし腹水が溜まったり浮腫が出ないかを見たいと。着々と薬を整えていく治療。少しずつ様子を見ながらやってくわけで根気もいるよなぁ、きっと。父本人は薬が減るのは嬉しいだろうから、悪化しないところまで減らせたらベストなのだろう。#TAFRO症候群
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) February 27, 2020
治療は順調のように思えた。
一時はアクテムラの減薬(投与間隔を空ける)により炎症反応がガーっと上がってしまったこともあったけれど、免疫抑制剤ネオーラルを追加したり、ステロイドを調整したりしている。数値も少しずつ落ち着いてきているようだ。
ほかにも、尿として体液の排出ができるように使っていた利尿剤を減らしてみましょう、などTAFRO症候群の症状を抑えるために必要な薬のベストバランスはどこなのか?を探るための治療が続けられている。
またこの週からリハビリが1日2回、それぞれ50分ずつ実施というわりとハードなものに移行していた。立ち上がり、歩行、関節のトレーニングなどをひと通りやった最後の最後に『じゃあ自転車漕ぎましょうか』と10分間のバイク漕ぎのプログラムを組まれたときは、父もさすがにPTのっぽ先生に『ドS!!』と叫びたかったようだ。
ただ、のっぽ先生には戦略がおありになる。
父の廃用症候群の度合いはかなり重い。TAFRO症候群の治療がある程度落ち着いたとしても、日常生活が送れるまでに体の機能が回復するのはもっと先になってしまうだろうという予測のもと、リハビリ転院が必要と判断されていた。
リハビリ転院とはその名の通り、リハビリのために病院を移ること。このご時世、長い期間の入院はどこの病院もさせてくれない。「リハビリのため」という目的のもとに想像を超えるハードなリハビリメニューが実施されるはず。そのために大学病院にいる今から、少しずつリハビリを増やしておかなければいけない、というのが戦略だと聞いている。
今は『ドS!』と嘆きたいところ。
それはこの時の父が、こののっぽ先生の戦略に本当に助けられることになるのをまだ知らないからなのだ。もちろん娘もまた同じであったのだけれど。
前代未聞の世界的大流行
中国の一つの都市から始まったと言われる新型コロナウイルスの感染拡大。病院内にも大きく張り紙が出されているのは知っていた。「早く収まればいいけれど…」とどこか他人事のように考えていたからなのだろうか、まさか自分の身に降りかかってくるなんて思っていなかったのが正直なところだ。
血液内科52日目。今日は盛りだくさん。
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) February 28, 2020
①水筒に熱湯を入れ、ティーパックのあったかいお茶が飲めるように
②病室で父とモンハン(2年ぶり5度目)
③リハビリ休みの土日、車椅子で一緒に廊下を歩こう会、発足
④明日から家族の面会禁止の突然の院内放送
④…ついに来た、キチャッター😥#TAFRO症候群
面会禁止。
入院中の父に会えない。
それがどういうことなのか?は、前回の自分の風邪で少しは体験していた。
でもこの時点ではまだどこか他人事だったように思う。「とはいえ、必要なものを病室に届けるくらいは」とか「とはいえ、気温が上がってくれば(インフルエンザと同じような感覚)」など、楽観的に捉えている自分がいた。
実際、院内放送の翌日はいつも通り面会することができた。
病棟内も情報が錯綜しているようで『面会できると看護師さんに言われたから』と父。
まあそれでも「いつも通り」とはちょっと違うか。病室に入るのではなく、看護師さんに車椅子に乗せてもらい、食堂に父が出てくる形での面会だった。
今朝、父から「家族は面会OKと看護師さんから言われた」と情報が錯綜。今日は入浴で洗濯物も出るのでひとまず病院に行ってみる。入口には画像のポスター。警備の方が説明してお帰りになる面会者も。よくわからずそのまま病棟へ。いつもと変わらない週末の風景がそこにあった。→ pic.twitter.com/4fjoodMhOI
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) February 29, 2020
誰からも何も言われず父と面会。看護師さんにお願いし車椅子に乗せてもらって食堂でリハビリ兼今後の対策を練る。自主的に面会間隔を少し空けてみるか?でも今後家族も面会謝絶になる場合も想定すると…など答えが出ない。週が明ければ病院の体勢も少し整うか?ちょっと様子を見てみることに。→
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) February 29, 2020
病棟スタッフさんはいつもと変わらず、警備の方がいる受付も特に混乱してる様子もなかった。土日だからか?病院もいろんな対応に追われているのだと思う。本当に頭が下がる思いです、ありがとう!と言いたい。
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) February 29, 2020
今後どうなっていくか?について父と話してみるも、まったく予想がつかない。とりあえず必要そうなものは余分に持ってきて、足りなくなって困ることがないようにだけしようと決めた。父も「なんとかなるよ」と言ってくれ、患者や家族も病院に協力しながらやっていくしかないよね、と話していた。
そして。週が明けた3月初日。
いよいよ家族でさえ病室に入ることはおろか、面会することができないというお達しが出ることになる。
血液内科54日目。今日行ったら病棟受付に「ご家族の方は荷物の受渡しのみ行いますので看護師をお呼びください」と貼り紙。父は午前中にそれを知ったようで「リハビリするから車椅子に乗せて欲しい」とタイミングよく食堂に出てくれ、少しだけ話せた。父、ナイス!いよいよ面会謝絶。#TAFRO症候群
— ノリ@TAFRO症候群患者家族 (@glue_TAFRO) March 1, 2020
この日は父が機転を効かせて自主リハビリの名目で食堂に出てきてくれ、タイミングを合わせて私が食堂に行くことでかろうじて面会成功。でもこの日以降、特に平日は会うのは難しいだろうというのが父と娘の見解だった。
この日は父が救急搬送されてからちょうど100日目だった。
これから先どうなっていくんだろう…治療も、感染拡大も。まったく予測はつかなかったけれど、父のおかげでさほど悲観的にはならずに済んだ。『未来についてグダグダ言っても仕方ない、今できることを探してやるだけ』これが父のいつもの口癖であり私たちへの教えだった。
経験したことのない感染症の大流行に、経験したことのない希少難病。ダブルで降りかかってきたわけだけれど、おそらく父は「今できることは何か」しか考えていない。
娘も、それに倣うまで、なのだ。