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パン職人の修造119 江川と修造シリーズ ロストポジション  トゲトゲする空間


それを聞いていた立花が説明する。

「昇進や昇格試験の時に速さを競う所もあるのよ。包餡やドーナツとかパンの成形とか、どちらが早くて綺麗か。和鍵さん、何にする?あなたの得意な事で良いって」

こないだまで味方だった人達はもうとっくに辞めてしまっていない。和鍵の吹き込みのせいで職場の印象が悪くなったのだから。

和鍵は周りのものに助けを求めた。

「こんなの急に言われても出来っこないわよね。無茶言うわこの人達」

「和鍵さん、私達ここに来て何日か見てたけど、やっぱり人を束ねる人っていうのは悪い方より良い方に導く人だと思うよ。何か貶して自分をよく見せるのは無理があります。結局それって自分に帰ってくるもん」初めは仲の良かった登野にもそう言われた。

「何よ!やればいいんでしょう?じゃあこれ」

と言ってコルネの型を持って来た。

前の職場で何ヶ月間かいた時、コルネの成形が得意だったのを思い出した。

「これを早く綺麗に成形できた方が勝ちよ。そして負けた方はここを辞める」

「良いよ」

2人とも絶対勝ってやると心の中で言った。

「コルネならこの店でも人気のダブルコルネの成形にしましょう、2人ともそれで良いわね」

「ああ、良いよ」

立花は間を取り持ってダブルコルネにして形を競う様に決めた。片方は抹茶クリーム、もう片方はチョコクリームを絞ったパンが引っ付いていて、一つで両方楽しめる可愛くて満足感のあるパンだ。2個組なので普通のコルネより生地は小さくて、その分巻くのは難しい。

数は20個

2個組なのでコルネの生地を40個使う。

「では始めて」立花の合図で江川と和鍵は2人とも生地を伸ばし始めた

一方の端を細く、もう片方は少し太く伸ばし、形の太い方に太い方の生地を巻き始めてクルクルと巻きつけていき、最後に細い所に巻いて留める。

いくつもの数を作っていったが2人とも甲乙はつけ難い。

同じ様に作り進めて行った。

「同じスピードだ」みんな驚いて見ている。

最後に天板に並べる時に急に江川が早く並べだした。




あっ!

和鍵がまだ並べ終わっていないうちに江川が「はい!僕できたよ」とはっきり言い放った。

その声を聞いてからやっと和鍵は全てを並び終えた。

「初めからふたつをセットで持って並べやすい様に、向きを決めて並べていけばすごく早くできるんだ」

途中から戻ってきて黙って見ていた修造が口を開いた「何度も何度もやってるうちに気がつくことが沢山ある、それが経験値なんだ。そうやって色んな経験値を積んでベテランのパン職人になっていく。普段江川が仕事が早いのは材料を戻すときに次の材料を順に重ねて持ってくるからだ、当たり前の事だけど仕事の中に工夫を重ねることが本物の『時短』だ」



それを聞き終えて、負けた方の和鍵が「いいわよ別にやめればいいんでしょ?」と江川に言った。

「違うんだ和鍵さん、僕達せっかく一緒の職場にいるんだ。僕達修造さんの為に協力してやろうよ。明日からも一緒に仕事してよね」



「えっ」それを聞いて修造は感動していた。



江川、俺は嬉しいよ。

お前の事をみくびってたよ。

お前はきっと素晴らしいパン職人になれる。





江川が勝ったその夜

修造はこの一週間分の店の防犯カメラの録画を見ていた。

今朝は、姉岡がドリップバッグを持っている所を見つけて人気のない店の外で言い争いになったのだ。

「私が持って帰ったって言うんですか?」

「以前も防犯カメラに全く同じ調子の動きが映ってたんだよ」

「私の手って証拠がどこにあるんですか?もし証明できないなら訴えますよ」

「今『手』なんて言ってなかっただろう、『動き」って言ったんだよ」

「どっちでもいいでしょう。私は映っていませんでしたよね」

「姉岡さんって証明出来たら?」

「できません絶対」

という会話があったので今こうして動画をチェックしている。

「うーん、とりあえず姉岡さんが来てる時間に集中しよう」

閉店直後、姉岡はよく安芸川に話しかけていた。

修造はもう一台のカメラを見てみた「こっちはレジ側なんだ、2人はレジ係なんだからやっぱこっちかなあ」」



これは



修造はある会話に気がついた。



そして次の日に姉岡を呼び出す。



「なんの用ですか?今日弁護士の所に行きますから。裁判の準備があるので」

開き直った様にも見える姉岡に修造は言った。

「姉岡さん、防犯カメラに姉岡さんが安芸川さんと話してる会話の内容が撮れてたよ」

「会話?音なんて入ってないんだから会話なんて関係ないですよ」

「そうでもないよ」岡田に教えて貰わなければ音量の事など気にもしなかったのは我ながら恥ずかしい。

修造はちょうど姉岡と安芸川の会話の所を見せた。

『私さあ、デザインの専門学校に行ってた時奨学金を借りてて返済が結構残ってるんだよね』

『そうなんですね』

『だから店の商品を売り飛ばしてでも返済に充てなきゃ』

『そんなことしたら捕まりますよ』

『大丈夫よ、どうせわからないって』

修造は姉岡の顔を見て言った。

「まだあるよ」

と言ってその日のその時間にカーソルを合わせた。

姉岡が安芸川にスマートフォンの画面を見せている。

『これ私が書き込んだのよね、店の評判がさがったら少しは暇になるわよ』

という画面を見せて「これは安芸川さんに裏をとってあるから。俺の事を書き込んだよな」と画面を人差し指でトントンと叩いた。

「グっ」

「家に帰ったら家族に言えよ。裁判中お前がドリップバッグ持って帰ったり職場でペラペラ喋ってる所を証拠の動画で見ることになるだろうってな」

「俺を晒してちょっとは店が暇になって楽になるって?それも言わせて貰うからな」



修造は耐えきれなくなってテーブルをダン!と叩いた「俺の前から消えろ」

姉岡は黙ってドアの方に行き、出ていこうとして振り返り「訴えませんから」と言った。

当たり前だ全く!厚かましい!



修造は岡田に顛末を報告しに降りた。

「こういうのって追跡が大変なので助かります」

「ありがとうな、ほんとに」

「いいえ」

修造は一見クールで何を考えてるのかわからないのに滅茶苦茶頼りになる岡田という青年を心から信頼していた「何かお礼できないかな」



ところで

修造はみんなが働いている工房や店の様子を見ながら仕込みをするのが習慣付いてきた。


和鍵は江川に負けた後もずっと来ている。その次の日も次の日も。そして訴えると言う事は無くなったし、もう江川には以前のような事は言わなくなった。

今はなんと江川が和鍵の面倒を見てやっていて和鍵もそれに付いていってる。



人の心って不思議だな

それぞれの考えや環境も違う

那須田シェフの言う通りだ

結局みんな人それぞれの理由がある



ひとつひとつ解決していくしか無いんだ。



そうだ

今後の事も考えて

有無を言わさぬ立場にしちゃおう

岡田を店のリーダーにして、江川を株式会社リーベンアンドブロートの専務にするぞ

この店の為に2人で力を合わせて貰おう

修造はそれを印刷して掲示板に貼った。



早朝



「修造さん」

外に出てホースで花に水をやっている最中の修造の所に江川が走って来た。

「何だよ専務」

「ぼ、僕専務ですか?」修造が貼り付けた辞令を持っている。

「そう!頑張ってくれよ専務」

「は、はい!」



江川と2人高速道路の向こうから登ってくる朝日を見ながら言った。

「まだまだこれからなんだから」





おわり

次回読み切り
やのやのやのと見習いの俺
よろしくお願いします。



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