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パン職人の修造 151 江川と修造シリーズ 赤い髪のストーカー


中学になると家庭科クラブに入り、料理やお菓子作りをするのが楽しく皆に混じって作っては出来上がりが良いのを心の中では嬉しく思っていた。

高校生になると料理クラブに入部する。ここでも大人しく、誰にも注目されなかったが、クラブのある日は少し心が躍った。

顧問の先生が「今日はシュトロイゼルクーヘンを作りましょう」と言って皆にレシピを渡してきた。シュトロイゼルクーヘンはドイツのお菓子で季節の果物とシュトロイゼル(そぼろ)を載せて焼いた物。

型に生地を敷き、上にカットしたイチゴを並べてシュトロイゼルを上に敷いて焼く。麻弥は作っている間ドイツのお菓子なんだという事に強い憧れを抱いた。

カットしたクーヘンを皿に乗せて皆に配り、試食をした時、焼きたてのサクサクのシュトロイゼルとイチゴのジューシーな酸味とその下のふんわりした生地が順に口に広がり、麻弥はこの時親ではなく自分でならこのように実現が可能な事を知る。

いつかお菓子作りを仕事にしたい、麻弥の心に将来への道ができた。

しかし日本にいてはあの父親が束縛するのではないかと気が重く、麻弥はどこか遠くに行く決心を固めた。

この家から逃れ、単身ドイツに渡る事を夢見て色々調べた。言葉を勉強したり、ケーキ屋のアルバイトに精を出してお金を貯めた。

麻弥は本当に声が小さく何を言っているのか耳を欹てないと聞こえない程だった。
だが意を決して先生に進路の相談をする時、お菓子の資格を取りに海外へ行く方法を聞き、先生も語学の勉強や受け入れ先を探す為に色々調べる約束をしてくれた。

先生にすれば存在感のない大人しいこの生徒が単身外国に乗り込んで困ることが多いように思えて、サポートをしてくれる受入れ先は無いかと探してくれた。
だが先生が言ってきた留学の費用は高校生の麻弥にとっては高額でとてもじゃないが予算が足りない。

先生は一括で払う訳では無いのだからお父さんとお母さんに相談する様にと言ってきた。
なので先に麻弥の有り金全てを支払い、後はドイツで働いて生活する、いわば捨て身の計画を立てた。それを聞いて先生はよく両親と話し合う様に麻弥を説得する。

お菓子の修行をする為と、その資格を取るのを理由に家を出ると言った時、父親は「お前みたいな気の弱い娘が外国でやっていけるわけが無かろう」と叱責して来た、そして麻弥の持ち金を聞き鼻で笑った「行きの飛行機代しか無いじゃないか。どうしても行きたいなら金を貸してやる、毎月働いた金で返済しろ、もし一度でも遅れたらその時は戻って来い」その系の言葉を何度も何度も高校を卒業するまで言い続けた。

母親は娘のためにドイツ行きの準備を一緒にして、なけなしのタンス貯金を持たせてやった。

麻弥がたどり着いた所はとても寒い地方で、日本人街もある都市で、そこで語学学校に通い、自分でヘフリンガーというベッカライのマイスター(親方)に自己紹介の手紙を書いた。自分はお菓子作りを12歳からやっていて、今では『黒い森のケーキ(シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテというさくらんぼのケーキ)』も作れますという内容を丁寧に書いた。麻弥はどんなパン屋なら自分でもやっていけそうか町のベッカライを調べていた時、ヘフリンガーのショーウィンドウからパンが怒涛の様に並べられているのを見て店内に入ってみた。パンが店内の3分の2、残りの半分がケーキで残りが焼き菓子という感じで並べられている。色んな種類があり過ぎて、パン達は一列ずつ並んで山の様に上に重ねて積み上げられている。ケーキもまた然り、こんなに色んなケーキや焼き菓子が覚えられるのならここにしたい、そう思ってマイスターに手紙を書いた。

程なくして働いても良いと言う内容の手紙がマイスターから届いた。

ベッカライヘフリンガーはライン川が真ん中を通っている町の右にあり、店の周りはドイツの観光地のイメージとは違い白い四角いピルが多い。

店内には多くの人が働いていた。
ドイツ人以外にも色々な国の人がいる。工房の奥には浴槽ぐらいの大きなパン用のミキサーボールが沢山あり、運ぶ時は専用の台車に乗せていた。その手前にはパンがどんどん流れてくるモルダーという製パン機械が見えていて、その機械で流れて来たパンを成形して板の上に乗せて発酵したら焼くのだが、日本のパン屋さんでは中々見たことのない何段もあるオーブンが数台並んでいて、そこでパンが焼かれラックに乗って運ばれて来る。

麻弥はあまり建物の奥に行ったことは無い、ケーキを作る部屋に行くとき通路の奥に見える程度だった。
麻弥の働いている所には真ん中に大きなテーブルがあって、その台の上でクーヘンやクッキーなどの菓子類を作っているのだ。麻弥の仕事は初め掃除と包装だけだったが、徐々に製造を教えて貰う事が増えて来た。

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またみんながサッカーの事で盛り上がっている。推しのチームが昨日の試合で勝ったのだ。麻弥はサッカーに興味がなくてそんな時は黙って見ていた。

大人しくて個性が無く居なくなっても誰にも気付かれない。

麻弥は静かな子と呼ばれていた。

例の通路の奥に見えるパン部門に背の高い日本人の青年がいるが話した事はない。
第一こちらを見る事もないので顔見知りと言えるかどうかもわからないが時々日本語が聞きたくなって、『あの人がこちらを向いて笑って一緒にカフェで話す所』を妄想した。
スタッフ全員で集まる事があるが日本人の青年は奥の方に黙って立っていて、ノアと言う職人が話しかけると何か返事する程度で目が合う事はない。
自分も話しかけたいが全くスキがないし、自分も勇気が出ない。

ノアは初めのうちはよく背の高い青年に怒鳴っていた、言葉の壁がありイライラする時がある様だが青年はそんな時も平静を装っている様だ。

麻弥は青年に対してシンパシーを感じてとても気になる存在になっていく。

同僚のモニカは顔立ちも派手で髪は黄色で赤いメッシュを入れている。明るい性格で、皆とよく話しをしていた。
麻弥はみんなに馴染むために髪をモニカと同じ色に染めた。
鏡に向かって微笑んでみた。
地味な自分には全く不似合いだったがモニカの様に堂々と生きているのが羨ましい。メイクもモニカに似せて目の周りを一周アイシャドウで囲った。

そんな日々の中、父親への返済が滞ると直ちに帰らされるのを恐れてキツキツの生活をしながら送金していた。麻弥は残ったパンを貰って帰って寮で食べ、天気の良い休みの日はライン川の近くの公園で過ごした。


川沿いの歩道沿いの並木の下に所々ベンチがある。そこからはこの街の観光スポットで有名な変わった形のアパートや電波塔が見える。

塔の上には回るレストランがあって、街を眺めながら食事ができるらしい。
その横の広場ではクリスマスマーケットの準備をしているのが見えた。そしてどうやって運んでいるのかは分からないがいつの間にか巨大な観覧車が聳え立っていた。麻弥はその観覧車を見ながらあの背の高い男の人と観覧車の上から遠い所まで眺めて、あれは何の教会だとか隣町が見えるとか話せたら良いのにと妄想していた。


お金もなくもうドイツにいるのも辛くなってきた頃、麻弥にとって心を大きく支配する重大な出来事が起こった。

麻弥はへフリンガーに来てすぐの頃は力も速さも劣り中々種類も覚えられなかった。概ねは通年同じ物を作る繰り返しだったが季節によっっては延々とお祭りの為の物を作る事もある。

どんどん流れてくるチョコレートにアイシングで線描きして行く時などは終わりがあるのかしらと思うぐらい大量にできるのでその時は驚きの連続だった。

クリスマスの準備で店内も工房も商品が変わりつつあった。麻弥はエンゲルスアウゲンというジャムを上に乗せた小型のクッキーを大量に作って可愛い包装紙に手早く袋詰めをした後店に並べていた。

その時突然グレーの帽子で黒いパーカーの男が鋭いナイフを持って入って来た。「Gib mir das Geld!」と叫んでいる。

「強盗だわ!」運悪く麻弥は一番近くにいた。

男は麻弥の手首を掴んでナイフを喉元に突きつけたり、そのナイフでレジを指して金をよこせと言っている。

ナイフの先は喉の皮膚を傷つけて少し血が出てきた。怖くて声は出ない。このまま鋒が突き刺さると死ぬんだわ。

運が悪い、まさにその言葉通りだわ。

いい事なんて無かった人生が終わるんだという気持ちと、死ぬのは怖いという気持ちが交錯した。騒ぎになり奥に何人かが叫びながら走っていった。

その時、工場から例の背の高い青年が現れた。



つづく



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