見出し画像

人は自分自身を一番知らない。他人や謎の価値観に囚われすぎているから

自分が一番、自分のことをよく知っている。

そんなのは当たり前のことと思いがちですよね。

けど人って案外、自分自身のことこそ一番知らない。

他人と向き合うことより、自分自身と向き合うことの方が難しいし、怖いから。


生きていると、自分がわからなくなる

画像1

自分の本当の感情から目を背けたくなったり、自分が何をしたいのかわからなくなったりすること、よくありません?

私はよくある。

自分の心の内の本音や気持ちに気づいてしまう瞬間ってめっちゃ怖くないですか?

いやまじで、考えたくねえ!もうやーめた!ってなる。

特に今までとは違う自分に気づいてしまったときなんか。

その時点で自分と向き合えてない、自分を放棄してる。つまり自分自身のことを一番知れていない証拠なのではないかと思ったり。

人間は思考を使いすぎなところがあると思う。まあそれも大切なことだけど。

もっと自分の直感を大事にできたら、生きる苦しさから少しは逃れるんじゃないのかなって最近思う。



人は他人のことばかり気にして、本当の自分を見ていない

画像2

恋愛なんかが良い例。

好きな人ができると、その人のことばっかり考えちゃうよね。

自分自身をどこかに置いてきたかのように、その人のことで頭いっぱいになるよね。

自分が感じた感情よりも、
相手にどう思われているのか、
相手は何を考えているのか、
そればかりを気にしてしまう。

一番大切なのは、自分自身の気持ちなのに。
それすら忘れてしまい、相手ばかり優先してしまう。

「恋は盲目」って言葉の意味も分かる気がする。



謎の価値観に囚われて自分の本音がわからなくなる

画像3

私自身、専ら自分の本音を隠しがちな人生でした。

本当はこうしたいという欲がどこかにあるはずなのに、

「いやいやいや、そんなこと考えちゃダメだ」
「こんなこと思ってしまう私最低」

と、謎の価値観に囚われる。

本当は誰かに嫉妬してるのに、「私、嫉妬なんかしてないし」って自分の気持ちを否定する。

本当は誰かのせいにしたいのに、「あの人は悪くない、私がいけないんだ」ってなぜか自分を責める。

本当は怒っているのに、「私は怒ってなんかない」と、優等生ぶる。

それは次第に自分の“癖”になって、「自分の本音に気づいていない」ということにすら、気づけなくなる。

人間は慣れる生き物だから。
それが当たり前になってしまう。

けれどいつしか気づいたのです。

自分の湧き上がった感情を否定することが、一番自分自身を拒否することであり、一番の自己否定だということに。

苦しい、悲しい、怒り、
嫉妬、妬み、恨み、

一般的にはマイナスな感情だと思われがちだけど、それを感じ取れるのも人間の美しさではなかろうか。

感情を得られる生物は、この世で人間だけ。

マイナスな感情だとしても、そう感じれることこそ、人間らしく生きるってことではないのだろうか。

たとえ汚い感情でも、その人間らしさこそ、自分で受け止めるべきなのではないか。

それこそが、自分と向き合うこと なんじゃないかなって、思うのです。



自分を受け入れる、それが1番の自己肯定と自己信頼

画像4

自分の感情すら自分で受け入れることができなくて、他人を偉そうに受け入れることなんてできるはずがありません。

どんなマイナスな感情でも、まずは自分を受け入れてみることから始めてみると、生きやすさの近道が開けるのかも。

「ああ、私は今、悲しんでいる」
「そうだ、私はあのとき、あの人に怒っていたんだ」
「ずっとあの人が羨ましくて、嫉妬をしていた」

自分の感じた気持ちをオウム返しする…

そうやってちょっとの感情でも受け入れてみることから始める。

それが、自分自身を知ること、自分と向き合うことに繋がるのだと思う。

自分を受け入れることこそが、本当の自己肯定。

自分を信じることは、自己信頼を得ること。

それができたら、心地よく生きる鍵になるのではないかなと思うのです。

いいなと思ったら応援しよう!