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度合いの違い 



今日は歯医者さんの日でした。

リクライニングチェア

先生が来られるまで
うとうと…Zzzしている時に

あれ~ 首が楽だな~と思いながら
椅子の頭部分を観察してみると
丸いドーナツ型/ベビー枕
のように真ん中が凹んでいる形


いつも同じ歯医者さんに
来ているけれど
この頃首の痛みが強かったから
初めて頭部分に気付いた。

長い付き合いの
・頸椎のヘルニア
・ストレートネック
日々の痛みがとても軽いのを感じ
快適な時間を過ごした


~ストレートネック~
首が長めの人、
スマホを同じ姿勢で長い時間
見ることの多い人のスマホ首も
より、痛みが強くでることも
《自身の体調と
指圧セラピスト時代の知識をもとに,,》

自然な湾曲になっていない
(ストレートネック)
その時間が長いために
首、身体への負担が大きく
肩凝り、頭痛や吐き気、眩暈
様々な不調となる。
そして私自身も、
肩凝りの慢性化もあり


~毎日使う枕について~
家で仰向けで寝ている時には
自分の後頭部は
出ているほうなので

自然とあごを引いた状態で
首が後ろに出て曲がることになる。

首は前に少し湾曲していて
顎が少し上を向いたような形が
良い状態で
それとは逆になっていて
顎を引いたまま寝ることで
(首のシワの原因にも)

・後頭部の出てる度合いや、
・枕選びによっては
・ほんのちょっとの違いだったり
ちょっと我慢してるという
意識でもなかったり、、

今日の歯医者さんの椅子の
頭部分の凹みに
後頭部が丁度収まる感じで
それだけのことで
身体はとても快適さを感じました。

枕を変えたりしてはきたものの
大して違いを感じなかったため
そこに時間を使わず
痛みは慣れるというか我慢、の日々

歯医者さんのあと色々と 
枕を外すなどしてみたり
しながら
縁のないソファなどに
頭だけ乗せずに という体勢が
今のところ
歯医者さんの快適な時間に近い
ようです。


長い期間ストレートネックを
そのままにすることで
肩凝りや頭痛など次第に
痛みに慣れてしうことで
我慢が積み重なり
色々な事柄に言えることだけど、
ちょっとの我慢は
いつの間にか
ちょっと、ではなくなっている



ちなみに、、
うちの子供は
苦手な物が多いけれど
その中の一つ

ティッシュのにおいが
とても苦手のため
ティッシュで汚れを拭きとるなんて
我慢できん
、とのこと。
それでも食事をこぼしたりする時には
ティッシュを使うことが現状のため
ティッシュに触れた後には毎度
手を必ず洗いに行く。

、、どれぐらい苦手なのかを
ママは理解してくれてない

と思ったようで(正解)
先日説明しておりました。

”あのね、ママは
手に泥が付いてたら
ティッシュで拭くやろ?

俺は、泥付きのティッシュで
手を拭くってぐらい
ティッシュが嫌なんよ

泥が付いてるティッシュで
手を拭かんやろ?
それぐらい好かん!

理解。

ちょっとではないから
面倒くさがりな子供が
手を洗いにまで行くわけです。

それを自分と同じように
そんなこと気にしないのよ!とか
言われることは
外ではあることだろうと
思うけれど
自分で手を洗いに行くのだから
大変なのは周りではなくて本人で


そのような事柄は
様々な面で見られる
自分と周りの度合いの違いや
自分を自分で把握していくことの
大切さ。


子供がもっと小さい頃は
こう思ってました。
私の言葉に対して
とてもはっきり「NO!」と
言えるもんだなぁ、、と

私は親からの言葉をそのまま
聞くほう だったと思った

今思うと、私もNOと
言うことはありながらも、
ただ
ずっと言われることのほうが
心が嫌な気持ちになるから
注意されないように、
何も言われないように

言われないように と
自分なりに自分を守っていた。

けれどそれは
我慢の積み重なりとなって
長い目で心に良くないこと



子供は私よりもNO!と言う
理由は、同じで
自分を守っている。
またはそれだけ強い思いを
伝えている


我慢は、している
ちょっとの我慢ではなくて
周りにとって些細
ほんの些細に思えても
本人なりの
多くの我慢をしている。
慣れてない場所ではもっと
我慢をしてしまったり

だから「相当な楽しみがないと
そこには足が向かない」

感覚の度合いは普段
目には見えないけれど
その度合いもそれぞれで
度合いが違うと別物にさえなる
度合いの違いは重要で
言葉で本人が説明してくれて
それを聞ける時には
知ることが出来る
あとはそれを信じるかどうか
度合いは違っても
我儘の見分け方、
良いこと、良くないことの
伝え方


子供とのやり取り
子育て通して、、
うちも同じよ~、どこも同じよ
子供はみんなそうよ
励ましてくれるような言葉が
とても辛かった時期が
だいぶ昔にある


特に小さい頃は
荒れている内容が
子供ならではの同じことが
多いだけに 違いがよく分からず

..だけど頻度と長さ、度合いが
全く違う

小雨、、嵐 
同じように雨が降る日
でも安心感や対処の仕方も
全く違ってくる
今日は雨、 
こっちは嵐、、
どこも同じね~ と
ならないのは

天候の度合いは
目に見えて、体感して
分かることだから


20数年以前に、
兄弟の子供と実家で過ごした日々に
子育ての大変さは知りながらも

自身の育児が始まってから
魔の二歳児という頃から
更に怪獣へと進化している
何か違う、、 という日々を過ぎ
友人の子供達とも全く違って

子供の、同じような行動の中でも
違う対応、理解が必要だと
実感していった。

その対応の中には
過保護としか
思われないようなことが多々ある
様々な周りの言葉は気にせず、
日々の対応で心身ギリギリだったり
する心が更に疲弊しないよう

親自身の心をケアしていくことの
大切さをと思うのです。


見えない感覚を信じることは
”UFOを見た”と言われて
その人の言葉をどれだけ信じる
ことが出来るのか、
というほど難しいことのよう

今まで信頼していた人のことでさえ

見えないことの話をすると
その人との今までの長い関係性が
変わってしまうことさえある。

感覚、思考、
目に見えない部分は
目には見えないけれど
とても大切な、それぞれの個性
その個性も様々で
それぞれ大切なこと。

Painted by.Sala




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