【BOOK】『生存者ゼロ』安生正:著 これは現代の黙示録なのか
圧倒的なスケールで描くクライシス・バイオパニック・サスペンス。というとかなり軽いアクション映画のような表現だが、自然の猛威なのか、人類のエゴが引き起こした厄災か、想像を超えた事象に人類が巻き込まれる様を描いた大作だ。
もし、日本が、世界が、いや人類が滅びるとしたら、こういった原因は十分に考えられる、と妙に納得してしまう。
それほどまでの説得力があるロジックと圧倒的な状況描写で最後まで緊張感が張り詰める物語だ。
宝島社刊『生存者ゼロ』 2013年『このミステリーがすごい!』大賞受賞作
宗教的解釈
本作品を読むにあたっては、宗教の教養があるとより深く味わうことができると思う。
私自身は不勉強で宗教に関しては一般的な知識程度しか持ち合わせていないので、読みながら自分なりに(簡単ではあるが)調べてみたりした。
本作では、キリスト教の「ヨハネの黙示録」で語られる「七つの鉢」が暗喩的に登場する。
「ヨハネの黙示録」とは『新約聖書』の最後に配された聖典であり、『新約聖書』の中で唯一預言書的性格を持つ書である、とされているらしい。
「七つの鉢」とは、神の怒りで満たされた鉢で、人類に三度訪れるとされる災いの中でも最後の災いとされているものを表している。
一方で本作の中には「パウロの黙示録」という言葉も登場するが、ヨハネの黙示録と同じようなカテゴリーのひとつとして使用されているワードのような気がする。著者の創作ともとれるし、主要な登場人物である冨樫が錯乱状態であることを示す表現ともとれる。
(パウロの黙示録とは、西暦400年頃に書かれたといわれている新約聖書偽典のひとつ。新約聖書に収められているローマの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙などで有名なキリストの使徒の1人がパウロである)
冨樫自身の宗教観について詳細は語られていないが、主人公・廻田に関しては自衛官という設定からか、日本神話の「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という表現も登場する。
黄泉比良坂(よもつひらさか)とは日本神話において、生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂、または境界場所とされている。
この時点では得体の知れない感染症で人々が次々に死んでいくことから、魑魅魍魎が境界を突破して生者の住む現世(つまり現代の日本)に溢れ出てきている、というメタファー表現になっている。
「ヨハネの黙示録」が予言書的な性格を持っているということから、もうひとまわりメタ視すると、この小説自体が現代の黙示録的な意味合いを持っている、とも言えるのではないだろうか、と思う。
それは、以降の生物としての人類、細菌、ウイルス、そして月の存在の解釈で説明できる。
生物としての人類とウイルスと細菌
物語の冒頭、研究者・冨樫は家族で中部アフリカガボン州南西部ニャンガ州ツバンデで研究を行いながら生活しているシーンがある。
危険と隣り合わせとはいえ、家族三人幸せに暮らしていた。
その幸せは長くは続かなかった。
冨樫の妻が、実験のため猿から採血をしようとした際、誤って自分の親指に注射針を刺してしまったのだ。
その猿は何らかの未知のウイルスを宿していたらしく、妻は何かの出血熱に感染し亡くなってしまう。
この事故と本編の物語とは、直接的な関係はない。
冨樫の感染症学者としてのエピソードのように描かれていたが、実はこれがラストシーンにつながっていることに、読後気づいた。
その前に、本編の物語を見ていこう。
本作の感染症らしきものの正体は、炭疽菌から派生した亜種で、突然変異を繰り返して強化していった細菌の一種となっているようだ。
その細菌がシロアリの細胞内に侵入することで感染し、攻撃的に変容させていったという。
これも不勉強なので調べたのだが、細菌とウイルスと真菌(カビ)の違いを理解しておくと、より分かりやすいと感じた。
ざっくりとした理解では、ウイルスが最も小さく、構造もシンプル、自己増殖ができないので必ず宿主が必要となる。細胞膜がなく人の細胞に寄生しているため、治療薬は少ししかないなど、人間にとっては厄介な存在である。
細菌は、人の細胞に侵入したり、毒素を出して細胞を攻撃してくる。細胞分裂で自己増殖できる。
真菌は、人の細胞と似たような構造を持ち、核やミトコンドリアがあり、構造は細菌やウイルスよりも複雑だ。それゆえ、真菌だけを狙って対応するという薬は開発が困難らしい。
ウイルスも細菌も真菌も、人間の体内に侵入することで、体内の免疫反応により戦うことになる。
その戦いに敗れるということは、人間の死を意味する。
NHKの番組で『ヒューマニエンス 40億年のたくらみ』という番組がある。
この番組で「真菌」を扱った回があった。
この回で、真菌と人とは構造的にはかなり近く、兄弟のようなものだ、という表現をされていた。
生物の進化の過程で、原始生命から「古細菌」と「細菌」に分かれて進化し、「古細菌」から「真核生物」、それから「植物」へ。
真核生物からアモルフェア、アモルフェアからアメーバへ進化していった。
さらに、「アメーバ」と袂を分かった「オピストコンタ(精子のようなイメージ)」が生まれ、そこから「動物」と「真菌」に別れたという。
そういった意味では「動物」と「真菌」は兄弟のようなものだという。
実は名前が似ているために勘違いされやすいが、「細菌」と「真菌」はかなり離れているそうだ。
(5) 【帝京大学 ✕ ナショジオ コラボ動画】大学院医学研究科 医真菌学・宇宙環境医学 槇村浩一教授の研究紹介「医真菌、健康障害の原因となる病原真菌の研究」 – YouTube
こうした予備知識だけはあったので、当初は真菌による人類滅亡のストーリーなのではないかと思っていた。
ただ、細菌であっても、かつてのコレラ菌や赤痢菌、結核菌も細菌に分類されるので、決して侮れない存在ではある。
そして細菌による人類滅亡の危機、という視点でいうと、カミュの『ペスト』を思い浮かべないわけにはいかない。
『ペスト』が不条理が集団を襲う様を描いた物語という点では、本作と通じるものがあるのかも知れない。
『ペスト』で描かれる「不条理」はドイツのナチスであり、大衆の理性など意味がなく、理屈が通じないナチスが世の中を一変させてしまうことや、それによって多くの死者が無慈悲に増えていく、とする解釈であるならば、本作の謎の感染症もまた、不条理であり、死者を大量に増やしていく点で同じ。
そしてその不条理は、昨今の停滞感に覆われた日本における無策無能な内閣であり政府であると見立てても差し支えないだろう。
もっと言えば、2020年からの新型コロナウイルス(covid-19)と置き換えても十分に成立するだろう。
もちろん本作は2013年初版発行なので、コロナウイルスを予見していたわけではないのだが、それにしてもいったん未知の感染症が発見された後の各所の動きや政治的な動きなどは、我々が目にしてきたコロナ対応の様子とまるで見てきたかのように同じであることに、驚きを禁じ得ない。それほどの圧倒的な知見のもとに描かれた物語なのである。
下弦の刻印の意味とは
ラストに廻田がアフリカ・ガボンの冨樫が使っていたとされる研究施設へ行ったシーン。
廻田は、冨樫の亡くなった妻を埋葬したらしき場所を探し出し、冨樫の遺灰も隣に埋め、供養する。
そしてふと邂逅する。冨樫が田に示せと問うた「第五の鉢」とはいったい何だったのか?
廻田自身にも腑に落ちないままに時が過ぎる。
冨樫が研究施設に残したノートの最後のページにあった記述、「下弦の刻印」の意味とは、いったい何だったのだろうか?
これまでに「下弦の刻印」という言葉自体が登場していないため、どうにもピンとこない。
(当初、「このミス」応募時は『下弦の刻印』というタイトルだったという)
「下弦」とは一般的には「下弦の”月”」を示すのだろう。
作中にも、シロアリに侵入した細菌は、血液中に漂っており、血液は塩分濃度が海水とほぼ同じなため、月の満ち欠けは潮の満ち引きと同じく微妙な重力変化にも影響がある、とされるシーンがある。
そして新月の日の夜、シロアリは地上に姿を現し、人間を食い尽くすという行動をとる。
「すべてはつながっているのだ」と冨樫はうすら笑う。
こうしてみると、「月」が重要なキーワードだということがわかる。
「下弦の刻印」とは、新月の夜を指しているのだろう。
地球に生物が誕生して以来、過去に5度の大量絶滅が起こったことがわかっている。
全ての生物種の90%以上が死に絶えるような大量絶滅である。
そして、現世の科学者たちは6度目の大量絶滅は人類が引き起こすのではないかと見ていた。
だが、それは人類ではなく「細菌」かも知れない、という見立ては、非常にスリリングである。
廻田がガボンに到着する前、機内で読んだ雑誌には、アフリカから実験用に輸入したサルに関わった職員が原因不明の発熱で大量死、ワクチン開発が難航している、というニュースが載っていた。
廻田は「第5の鉢」を提示できていない。このまま何もないわけがない。
「すべてはつながっているのだ」と冨樫は言う。
そう、全てつながっていて、きっとまだ(小説としては終わっても)この物語は終わらないのだろう。
それにしても、スケールの大きなストーリーだ。
最終的に北海道は半分以上が壊滅していることになる。
北海道の読者はどういう心持ちで読めばいいのだろうか、と余計な詮索をしてしまう。
著者の他の作品もすでに入手済み。期待して読みたいと思う。
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