【創作】北西航路の地図を描く・後編
〔前編のあらすじ〕
船はランカスター海峡を西へ進み、やがてビーチ―島という小島を通過した。
「フランクリン隊はここで最初の年の越冬をしている。だが何らかの理由で隊員3人が死んじまうんだ。そしてこの島に埋葬された」
「こんな何もない寂しい凍土に……。死因はなんだったんでしょう?探検初期に3人も亡くなるのは普通じゃない気がしますね」
「直接の原因は肺炎だったんだが、遺体を調べたら鉛中毒だったらしいな。飲み水や食料の缶詰が原因じゃないかと言われている――フランクリン隊の乗った2隻の軍艦には最新鋭の真水供給装置が装備されてた。その水に鉛が大量に含まれてたと言われてる」
「食料や水に鉛が入ってるって、怖い話ですよね。船にいる限りそれを摂らないわけにいきませんからね」
「水がおかしい、食べ物がヤバいってなって船の中はそうとう混乱しただろうな。体調はどんどん悪くなるし、氷に閉じ込められてて身動きもとれねえし」
「精神的にもきついですね」
「フランクリン隊が出航した時、地図のない区間は残り僅かだったし、船は頑丈、食料はたっぷり3年分積んでいて、豪華な備品、スチーム暖房もある。ご丁寧に立派な図書室まであった。まるで小さなイギリスだよ。北西航路発見は約束されてた。少なくとも隊員たちは成功を信じて疑わなかったはずなんだ。今の俺たちみたいにクルーズ気分だったかもしれない」
「自分たちも今この船に何かあって外に放り出されたら、フランクリンたちと同じ運命ですからね。文明とか科学なんて何の役にもたたないでしょう」
「そう、彼らは北極にイギリスを持ち込みすぎた――」
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島や半島の間をすり抜けるように南下した船は出発から二週間後にカナダ本土に近いキングウィリアム島に到達した。
「キングウィリアム島はフランクリン隊が最期を迎えた島でしたね」
「そうだな。フランクリン隊はキングウィリアム島北西海上で氷に閉じ込められて2回目の越冬をした。ところが夏になってもいっこうに氷が溶けず、もう一冬閉じ込められるはめになっちまうんだ。その間に隊員が次々死んで、フランクリン自身も越冬中に死んでいる。一年半閉じ込められた末に、フランクリンの後に隊を指揮することになったクロージャーは船を棄てることを決意。生き残り105名は徒歩でキングウィリアム島に上陸して南を目指すんだが――」
「全滅してしまうんですね。氷に閉じ込められたまま一年半も動けないなんて絶望的ですよ。しかも隊長が亡くなって統率もとれなくなっていたでしょう」
「彼らが氷の上を引きずって歩いたボートの中には、そんなもんいらねえだろって言いたくなるような豪華な食器だとか本だとか、重いものが大量に入っていたそうだ。しかも、現地に住むイヌイットに助けを求めることもしなかった。イヌイットにサバイバル術を学んだアムンセンとは対照的だよ」
「極寒の地でも自分たちの生活様式を変えられなかったんですね」
「フランクリン隊がとった航路はビーチ―島から南下してキングウィリアム島を西に迂回するルートだったんだが、実はキングウィリアム島の西側は冬に流氷が押し寄せる、氷に閉じ込められやすい危険な海域だった」
「東から回るわけにはいかなかったんですか?」
「当時キングウィリアム島は陸続きの半島だと考えられていて、フランクリンもそれを信じていた。半島だとすれば東側を迂回することはできない。西側に行くしかなかったんだ」
「その後、北西航路発見を果たしたアムンセンはここで東側を回ってますね」
「そう、アムンセンは水深の浅い東側ルートを小さな船で航行することに成功している。どっちみち艦船では東側は通れなかっただろうが、その辺が運命を分けたのかもしれない」
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クルーズ船はキングウィリアム島沿岸を時計回りに航行し、最終寄港地・ケンブリッジベイへ向かって西へ進んでいた。
探検家たちが命の危険を顧みず北西航路に魅了されたのはなぜなのだろうか。
成沢はここへ来ればその理由がわかると思っていた。
だが、成沢の目に映る北西航路は、ただ陰気な海と氷がどこまでも広がる静寂な世界でしかなかった。
「波多野さん、もう一度ここに来たいと思いますか?」
「ここへ?」波多野は苦笑いを浮かべた。
「俺はもうごめんだね、こんなつまんねえところ。ましてや安全が約束されてるクルーズ船でなんて。何がおもしろいのかわかんねえ」
成沢も笑った。まったく同感だった。
「成沢、お前これからどうすんの?いつまでも世界中旅してまわるわけにもいかねえだろ」
波多野は真顔になって成沢を上目遣いに見た。
「まだ何も考えてないですよ。できれば旅は続けたいんですが、難しいでしょうね。波多野さんはいずれ親父さんの跡を継いで社長でしょう。うらやましいなあ」
「やだね。親父の踏み荒らしたところを歩くなんて」
波多野の表情に一瞬差した影を見て、成沢ははっとした。
波多野はまっすぐに成沢の目を見つめると、低い声で言った。
「成沢、俺はおまえとやりたいと思ってんだ。考えといてくれ」
いつになく真剣な波多野の顔を眺めながら、
( 不思議な魅力のある人だ )
成沢はまた、そう感じていた。
「俺は親父が行ったことのない場所の地図を作ってみせる。たとえ野垂れ死にしても」
北西航路に魅了された探検家たちはこんな目をしていたのかもしれない。
成沢は胸にこみ上げる熱いものを隠しながら、
「考えておきますよ」とそっけなく答えた。