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自己否定のプロ

坂口恭平『自己否定をやめるための100日間ドリル』(アノニマ・スタジオ、2024)を読んだ。
坂口さんは作家、画家、音楽家、建築家など多彩かつマルチな活動を行っている方。
また、自身が躁鬱病であることを公表している。
死にたい人は、電話サービス《「いのっちの電話」の人》と聞くと聞き覚えがあるかもしれない。

坂口さんのご著書はいくつか読んでいるが、彼はこの社会の枠組みに収まりきらない、収まることを良しとしない人だろう。
また、個人的な印象に過ぎないが、シャーマン的な要素とカリスマ性を持っている(持ってしまっているともいえるか?)人だと思う。
そしてこれも勝手な想像だが、恐らく常人のは比にならないほど「躁」時のエネルギーがすごいのだと思う。
私も治療過程で躁っぽくなることがあったし、現在も気分の波が大きいほうだが、「躁」時に彼ほど爆発的なエネルギーはない。
ゆえに彼の躁時と鬱時の落差はものすごいのだろうと想像する。

さて、彼は『自己否定をやめるための100日間ドリル』のなかで
ご自身を「自己否定界のメジャーリーガー」だと述べている。
これはおこがましいが私もまったく同様で、自己否定という競技があったら日本代表に選出され、世界ランクに入る自信がある。
どんな自信だよ…という話だが、この部分には謎に自信がある。
常人ならそそくさと死んでいるであろうレベルの自己否定と三十年ほどともに過ごしてきたのだ。自信も付く。
そして、それでも生きている自分の生命力の強さに嫌になる。

正直、いい加減楽になりたい。

歳をとれば楽になるのかとか少しは思っていたのだが、三十超えてもそれはますます強くたくましくなってしまっている。
困る。
かなり困っている。


というわけで、私は基本自己啓発本やビジネス本を読まないのだが
『生きのびるための事務』(マガジンハウス、2024)に引き続き、坂口さんの本書を手に取った。
彼の問題意識と生き方は信頼に値すると思うからだ。

本書で述べらる自己否定をやめるためのプロセスを、書籍をぜひ買ってほしいという書店員的視点で"ざっくり"示すと以下の通りだ。

まず、自己否定は圧倒的に「間違っている」ということを徹底的に認知すること。
自己否定をしてくる他者は誰なのかを明らかにすること。
その他者に対し、自分や周りの人を巻き込んで想像上で対話すること。
自己否定によって傷つけられている幼少期の自分の「さびしさ」を無視せずケアしてあげること。

以上である。
本書には、休めないことの正体、元気なときに「まだまだやれるはず」と思うことの危うさなど言語化され解説されることで改めて気づく視点が多い。
なにより、幼少期の「さびしさ」のくだりの文章が素晴らしいので、ぜひ実際に読んで涙腺を緩ませてほしい。


本書は「100日間ドリル」と銘打っている。
つまり、先に述べたプロセスを100日間で実行することで自己否定をやめることができる、というわけである。

私は10年以上心療内科に通っているが、そこでの治療は投薬中心。
根本的な問題が自身にあることはわかっていたため、カウンセリングにも通ってみたが10年通っても自己否定がなくなることはなかった。

とはいえ、カウンセリングを通じて、自己否定していると気づけたことは大きな収穫だった。
下の記事で書いている通り、自己否定は私にとって当たり前すぎて、自分がそれをしていることにさえ気づけていなかった。

しかし、自己否定に気づけたとしても解決にはならなかった。
それは私が自分の自己否定や死にたさをなんとかするべきではない
=それを解決してあげる価値のない人間
とみなしていたからである。

『自己否定をやめるための100日間ドリル』には、
幼少期の「私」を助けてあげられるのは今の私だけだと書いてある。
そうだ。まさしくそうなのだ。
カウンセリングでも、友人関係でも恋人的関係でも、私は救われない。
(本書でつづられている異性にその傷を埋めてもらおうとする…というくだり、「いやそうだよね、わかってはいるんだぜ」となる。私は自分から誰かを恋愛的に好きになることはないが、好きだと言われたら「じゃあお前私の苦しみをなんとかしてみろや??」と思ってしまう、よくない。)

ということで、私も100日かけて実践してみようかと思う。
あまりにも忙しくて書く気力がない日もあるかもしれないが、なるべく。
その記録をnoteに数日分まとめるという形でやってみようかな。


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