四代目左翼が思うこと
わたしは19〜29歳まで、「才能を発揮している私」のことは大好きだが、「そうでない日常生活の私」には酷いぐらい興味が無く、攻撃する男とばかり付き合ってきた。
あるタイミングで、親がそうだったから、男選びもそうだったんだなと気がついた。私は親に似た、私に愛情のない人に、愛情を欲していた。愛犬だけが、何も才能を発揮しない私を好きになってくれた。犬からの愛情を、この上なくありがたい奇跡で、この愛情一つあれば生きていける幸せな恵みだと思っていた。
けれど、なんか目が覚めた。そこじゃなくないか。犬からの愛情は感謝しかないが、わたしにはもっと見なくてはいけない本質がある。
つまり、わたし以外の人間に対しても起こること。「ある人の才能を発揮している面」のことは大好きだが、「そうでない面」を攻撃したくなるメカニズムについて、考えなくてはならない。
わたしはこう思う。
ある評価軸の固まった人間の集団の前で
才能を発揮する事自体に
「歪みを起こす力」がある。
ある評価軸の固まった人間の前で
才能を発揮することは、
才能を発揮した人間への
「客体化・偶像化・モノ化」に
つながる。
*
12月16日から幕をあける演劇『フェミキング』の中で、家父長制の始まりを原始時代から丁寧に説明してくれるセリフがある。(同時上演の『メサイア・カーミラ』にもある)
この一連のセリフに書かれたことを、俳優としてもっと理解して語ることができるように、友達がアメリカで買ってきた英語の旧約聖書解説本を読んだ。
そして思った。
女も「産む能力」を
評価軸の定まった集団、つまり
生きるためには農耕が必須で→農耕には労働力が必要で→労働力の再生産こそ生きるために必要だ→と一貫して考える「男」たちの前で発揮したから、
その後10000年、女は客体化され、偶像化され、「産む機械」としてモノ化されたのか
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『フェミキング』と同時上演される『メサイア・カーミラ』でわたしが演じるのは、グルーミングに遭う資本主義大国(おそらくアメリカの)政治家・カサンドラである。
脚本を読んでいる時に、カサンドラという役が掴めなかった。
それは、リーンインフェミニズムのトップに立った人間が、果たして自分がグルーミングを受けていたことに気づくことぐらいで、マルクス主義のような発言をするようになるんだろうか?という疑問があったからだ。
停滞しているわたしに、作家の田中円さんと、振付家の田中愛恵さんが『99%のためのフェミニズム宣言』を読んでみてくださいとアドバイスをくれて、すぐ読んだ。
読んでびっくりした。著者にびっくりした。
アメリカで研究職についていても、
ここまで、マルクス主義者になれるんだ。
マルクス主義の発言をするんだ!書くんだ!
ヴァージニア・ウルフは、資本主義下で女性が生き抜くためにまず経済力を手に入れろ。労働を有償にしろ。母から娘へ受け継がれてきた無償労働の円環構造を断ち切れ。というようなことを書いた。(と私は思う)
一方で『99%のためのフェミニズム宣言』に書かれていることは、
ストライキをしろ。資本主義下において無償労働を有償にされることもまた、資本家という奴隷主によって利子の首輪をはめられた奴隷になることである。
ということだと思った。いや~めっちゃマルクス主義だな〜。
でも、反共の総本山アメリカに住んでいる人に、マルクス主義者にならせるぐらいの、貧困がアメリカにはあるのだ。ニューヨークに行ったぐらいのわたしにはわからないぐらいの貧困、そこから生まれる暴力に、著者らは直面しているんだ。
『99%のためのフェミニズム宣言』は、タイトルにある99%に、自分が入るという自覚を持つことがまず大事だ。けれど、その自覚を持つのって本当に難しい。
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更に『フェミキング』と『メサイア・カーミラ』について考えを深めるため、知人が三里塚でもらった中核派の新聞を読んだ。
そして思った。
アメリカという国の知識層は100年遅れで共産革命をやりたがってるんだ。
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共産革命の土壌には
強大な軍事力と
抵抗するにあたいする巨大な帝国と領土
骨の髄まで人々を縛り付ける強固な宗教
この3つが無ければならない
と私は思う
この3つという大きな対抗勢力あるから、貧困の中にある労働者と学生が団結して「革命」を起こすことができ、革命後の体制を維持することができる(とわたしは思う)
そして今、そんな、共産革命に必要な3つを持っている国はアメリカしかない。
中国は宗教を破壊したからだ。だから毛沢東って本当にずる賢く、かつ、革命(ある権力が倒れ次の権力に移行する)メカニズムを理解していると思った。
軍事力・領土・宗教。
この三つの中で、軍事力と領土は実体を持っているが、宗教だけは実体を持っていない。
宗教は実存が無くとも人々をコントロールすることができる。
が、逆に実存を持っていないから、人々が言葉の洗脳から解け、宗教をフィクションとバカにするようになれば、もうコントロールは効かなくなる。軍事力・領土に比べて、とても弱弱しい存在だ。
けれども、その弱弱しさに気がつかれてしまうまでは、宗教は人々を何の担保も無くとも人々の人生をコントロールできる、権力者にとってコスパのいい支配方法だ。人々の人生をコントロールして、軍事力・労働力として徴収でき、実体のある領土を拡大し続けることができる。
権力者が実体を増やすために、実存のない言葉を利用する。
それが宗教だと私は思う。
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私が21年やってきた「演劇」は、宗教から生まれた芸術だった。宗教は権力の維持のために生まれ、権力の維持のために、演劇も使われてきた。
わたしは演劇を始めて、22年目にさしかかった。常に努力をして勉強し続けて、高い能力を得た。だけどそれで上手になったのは、広義の意味では、権力者がコスパよく何の担保もなく言葉ひとつで人を騙すことに、加担することだった。加担する中でわたしも騙されやすくなった。他人と自分を騙すために生まれたものに、人生をささげてきた。
もうそれは、わたしのやりたいことじゃない。
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演劇を続けたのは、親が望んだからだった。「才能を発揮している私」のことは大好きだが、「そうでない日常生活の私」には酷いぐらい興味が無く、攻撃する、左翼家の親。
わたしは四代目左翼だ。左翼もまた、宗教の一つだとわたしは思う。共産主義が革命を目指す、つまり権力の奪取と再構築を目指していると仮定するなら、共産主義の目指すところもまた実体を増やすことで、実体を増やすために、実存のない言葉を利用しているからだ。
そして演劇は言葉の芸術だから、権力者による利用から、逃れることができない。
わたしは、脱会カルト四世だ。
わたしは演劇をやめる。権力者がコスパよく人をコントロールする言葉の宗教・演劇から、イチ抜けする。わたしは実体を持つ。実存在になる。