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今こそ天皇制を通して民主主義を考えよう!1【歴史の復習篇】

☆このシリーズを立ち上げたきっかけ

先日、秋篠宮さまが「眞子さまの結婚を許す」と会見で仰いました。許すも何も、秋篠宮さま自身が会見で3度も仰っていたように婚姻は両性の合意のみに基づくので(憲法24条)、成人女性が婚姻するのに親の許可なんか必要ありません(民法737条1項反対解釈、ちなみに2022年4月1日の民法改正により成人年齢も婚姻年齢も男女ともに18歳になるので、未成年で婚姻するということ自体がなくなります。)

さて世間では、眞子さまのご結婚に反対する日本人が多いようです。私が上記の条文などを引き合いに出し当事者のお気持ちを尊重すべきだと言うと、おかげさまで多くのクソリプがつきます💢中には「皇族に人権なんかない」「皇族は日本国籍を持つ日本人ではない」と断言しやがる猛者もいます。

私は最初はどうせネトウヨだと思って片っ端からブロックしていたのですが😝けっこう割と普通の方でも、天皇や皇族の人権とか、憲法や法律がどうなっているのかについてあまりご存じないのではないか、ということに気づきました。(ブロックはやめませんが😝

かくいう私も、天皇制についてあまり真剣に考えたことはありませんでした。皇族女性の人権を考える目的で勉強をはじめたわけですが、勉強を進めていくうちに、天皇制を考えることは民主主義を考えることだ、という結論に辿り着きました。そこで今日から何回かに分けて、天皇制と民主主義についてお話ししていきます。今日は初回なので、歴史の復習をしておきます。ちょうど受験勉強にもなりますので、大人から学生さんまで広くお読みいただけると幸甚です🙇‍♀️

では、私と一緒に天皇制と民主主義について勉強していきましょう💕

☆最初の天皇って誰?

直接的に今につながる天皇制が形づくられたのは明治時代になってからですが、ご存じのとおり日本の天皇制には長い歴史があります。

『古事記』に登場する天皇の中で、考古学資料によって存在が裏づけられる最初の天皇は第21代の雄略天皇です。歴史の授業で、埼玉県行田市の稲荷山古墳で発見された稲荷山鉄剣の銘に「ワカタケル大王」の文字が彫られている、と習ったのを覚えていますか?このワカタケル大王が雄略天皇であると考えられています。

ワカタケル大王

🌸雄略天皇にはもう一つ呼び名がありましたね。覚えていますか?

5世紀末の中国の書物『宋書 倭国伝』には、「倭の五王」が朝貢してきたと記されています。

✅朝貢(ちょうこう)…中国の朝廷に貢物を献上すること。

「倭の五王」とは、讃・珍・済・興・武の5人ですが、いずれも倭国王を名乗っていたとされています。この中の武王が、やはり雄略天皇であると考えられています。

☆天皇制はなぜ存続したのか?

さて日本では、段々と天皇が統治する制度が固められていき、平安時代までは天皇が実権(権力+権威)を握っていました。

エモい小野小町

しかし平安時代末期になると平清盛らによって、天皇の家来であった「武家」が力を持ち実権を握りはじめます。その後の鎌倉時代に本格的な武家政権が樹立され、以後、室町時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代まで、武家の時代が700年近く続きました。

世界史を見てみると、王制の国々において政権が変わった場合、それまでの王朝は廃絶されたり、政権を追われた王は処刑されたりするのが普通です。しかし日本においてはそういうことはなく、武家政権と天皇家が併存する状態がずっと続きました。

🌸武家政権が天皇家を存続させた理由は何でしょうか?

いろいろな理由があったのでしょうが重要な理由の一つとして、「天皇家を権威づけに利用したかったから」ということがあります。

古代から続く天皇家や公家(くげ)と異なり、武家はいわゆる「血筋」がしっかりしていませんでした。特に戦国時代は下剋上の時代で、力のある者が地域一帯を制して権力争いを展開していました。お互いに牽制しあい、不満を持つ武士軍団がいる中で安定した支配を築くためには、統治することの「正当性」が必要だったのです。ですから、古代から続く伝統的な権威のある天皇から位を授けてもらい、自らの正当性を証明することがとても有効であると考えられたのです。

例えば、

🍑平清盛…太政大臣(だじょうだいじん)

🍑源頼朝…権大納言(ごんのだいなごん)、右近衛大将(うこんえのだいしょう)、征夷大将軍

🍑豊臣秀吉…関白、太政大臣 ※「豊臣」姓も天皇に与えられたもの

🍑徳川家康…征夷大将軍

これらはみんな、天皇に授けられた位です。

天皇から権威を与えてもらう一方で、江戸幕府は1615年、「禁中並びに公家諸法度」という法律を制定しています。この法律により天皇家は京都の御所に封じ込められ、一般の社会に出られないように厳しく規制されます。いわば軟禁状態です。そのため、江戸時代初期から300年近くもの間、天皇は一歩も御所から出ることはなかったのです。

京都御所

☆開国

江戸時代末期、外国からの圧力により日本は揺さぶられます。

19世紀になると、ロシアやイギリス、アメリカの使節や軍艦などが北海道(当時は蝦夷地)や浦賀、長崎、沖縄(当時は琉球)に来航するようになります。それに対して幕府は、1825年に「異国船打払令」(いこくせんうちはらいれい)を出しています。沿岸に近づいた外国の船は見つけ次第に砲撃したわけです。

1853年にペリー来航(黒船来航)がありました。

アメリカ海軍東インド艦隊司令長官のペリーは、艦船4隻で浦賀に来航、大統領の国書を渡して、幕府に開国を迫ります。

余談になりますが、ペリーは日本の浦賀を来航する前に琉球を訪れ、さらに首里城を訪問していたことを知っていますか?以下、首里城の公式ページより引用します。

当時、アジアに進出した西洋諸国に遅れをとらないよう、アメリカは東アジアへの重要拠点である琉球を開国させ、蒸気船に必要な石炭の補給基地の建設やアメリカ船への物資の補給を行えるようにする思惑がありました。
来琉したペリーはまず最初に首里城訪問を強く要求しました。王家の住む城へ軍隊を入れることで今後の交渉を有利に行うためです。王府は偽の行政機関を設け、上層部の役人や王族が直接接触することを避けましたが、強行的なペリーの押しに負け城門を開けてしまいます。しかし通したのは北殿であり、偽の役人たちが対応しました。これまで来琉した異国人に許さなかった首里城訪問を結果的に阻止できませんでしたが、首里城で最も重要な場所である正殿、そして琉球国王や中枢部を役人たちは守り抜いたのです。当時の人々が首里城を行政機関としてだけではなく、崇高な念を抱く対象として首里城を捉えていたことが伺えます。(引用ここまで)

黒船来航

🌸ペリーが浦賀に来たときの、幕府の狼狽ぶりを皮肉った有名な狂歌と言えば?

有名ですよ。教科書や資料集に必ず載っているはずです。正解は、


泰平の眠りを覚ます上喜撰 たつた四杯で夜も寝られず

ですね。

上喜撰(じょうきせん)は、宇治の高級茶です。本来の銘柄名は「喜撰」で、そのうち特に上等なものを上喜撰(あるいは正喜撰)と呼びました。喜撰は六歌仙の一人である喜撰法師に由来します。

「上喜撰・四杯」は「4隻の蒸気船(黒船)」の掛詞のようなものになっているわけです。なかなかシャレてますね。

上喜撰

結局、幕府はペリーの強硬な姿勢に屈する形で、安政元年(1854年)に日米和親条約、その後(1858年)日米修好通商条約を結びます。さらにオランダ、ロシア、イギリス、フランスとも同様の条約を結び、日本は長い鎖国政策を解いて開国することとなりました。

🌸日米修好通商条約に調印した、江戸幕府の大老は誰でしたか?

井伊直弼(いいなおすけ)でしたね。反対派を弾圧した安政の大獄(あんせいのたいごく)という事件名とともに覚えておいてください。

☆明治になっても続く「天皇家」の利用

欧米諸国の軍事力、技術力を見せつけられて、日本はひとつの国にまとまって外国に対抗しなければならない、という危機感が広がりました。外国の脅威に晒される中で江戸幕府は倒され、新しい国の体制が作られる明治維新を迎えます。

明治維新の思想には、「国学」「水戸学」の2つの学問が大きな影響を与えます。本居宣長『古事記伝』は有名ですね。44巻にわたる大著で、1790~1822年(これは『古事記』から約1000年後に当たります)に刊行されました。『古事記』の研究成果をまとめたものです。

しかしその内容は、『古事記』に出てくる神話をすべて事実であると断定するとんでもないものでした。詳細は割愛しますが、例えば初代天皇とされる神武天皇は『古事記』の記述をもとに計算してみると139歳の超長寿ということになってしまいます。そんなわけがありませんね。ですから神武天皇は神話上の人物であり実在しないというのが今日の常識です。実在を信じているのは日本会議と三原じゅん子、他自民党のヤバい人たちくらいのものです😝

…話が逸れました💦まあとにかく、強い外国に対抗するために日本を一つにまとめる必要があると考えました。そのためにどうするか。

歴史は繰り返します。ここでまた天皇家を権威づけに利用しようとします。「尊王攘夷運動」(そんのうじょういうんどう)って言葉は聞いたことありますね?「天皇を尊び、外国を打ち払おう」という思想・運動です。

幕藩体制のように全国に権力が分散していては欧米諸国に対抗できない、と明治維新を担った薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の下級武士たちは考えました。中央集権的な国家づくりのために、天皇が権力を持っていた古代日本をモデルにしようと考えたのです。

…だいぶ長くなってしまいました。実際にできた明治の天皇制がどのようなものだったのかは、次回のお楽しみに!

赤い紅葉と女の子

☆まとめ

🚩婚姻は両性の合意のみに基づき成人女性が婚姻するのに親の許可は必要ない。

🚩天皇制を考えることは民主主義を考えること。

🚩考古学資料によって存在が裏づけられる最初の天皇は第21代の雄略天皇である。

🚩武家政権は自らの権威づけに利用するために天皇家を敢えて存続させた。

🚩江戸幕府の「禁中並びに公家諸法度」により、江戸時代初期から300年近くもの間、天皇は一歩も御所から出ることはなかった

🚩神武天皇の実在を信じているのはヤバい人たちだけ😝

🚩「尊王攘夷運動」明治維新では欧米諸国に対抗するべく、中央集権的な国家づくりのために、天皇が権力を持っていた古代日本をモデルにしようと考えられた

今日は受験勉強にも役立つように、敢えて直接は天皇制と関係ない歴史の話も入れました。温故知新(故きを温ねて新しきを知る)と申します。現在の天皇制を考えるには歴史的経緯をしっかり踏まえる必要があります。次回は明治から終戦、そして現在の天皇制まで一気に話ができる…と思います(これから書くので書いてみないとわかりませんが💦)またねー!💕


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☆追伸 #FreeAgnes

この記事を書き終えた後の16:34、周庭さんの公式アカウントから以下のツイートがありました。

※報道によれば「懲役刑」ではなく「禁錮刑」のようです。

ショック過ぎて、また何もできない自分が悔しく歯がゆく、この記事の公開も正直どうしようかと思いましたが、既に書き終えている記事の公開をやめたところで意味はないと思い直して予定通り公開しました。

また、その直後16:58に日本共産党の志位和夫委員長がこのようにツイートしています。

力強いコメントを委員長自ら迅速に出していただき、大いに励まされました。日本共産党に対する信頼がますます増しました。

第2次世界大戦から75年経っても、自由にモノを言えない国がこんな身近なところにまだあるのです。そして日本もヒトのことをとやかく言えるような成熟度ではありません。例えば日本学術会議への人事介入問題は、禁錮刑ではないですが事の本質において香港で起きたことと変わりないでしょう。

憲法12条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあります。カマラ・ハリスさんも「民主主義は当然にあるものと考えてはいけない」という趣旨のスピーチをしています。私の記事で天皇制を考えることで民主主義について理解を深める契機になれば幸甚です。

周庭さん


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